29話
茹だる熱気と蝉の大合唱が死滅し、吹き抜ける風に寒気が混じる時分。二十四節季に置いては秋分に差し掛かる時期。
二〇年前の当時、世界に戦禍と厄災をもたらし数多もの人々の命を奪い去った大戦が終結した。世界秩序を乱し、己が我欲を以って染め上げようとした枢軸国陣営の多くは敗戦の憂き目に合い、彼らに組した日本帝国もまた大戦以前から所有していた植民地を残らず手放す結果となった。
自国に不利な条約を結ばされるのは明白。故に軍上層部に位置する貴族の中には徹底抗戦を訴える者もいたが、元より物資の枯渇が表層化していた国にこれ以上の戦争続行は不可能。
強引な手法を用いつつも彼らを説得した停戦派の手引きによって結ばれた条約は、この地上で現状最期に結ばれた講和条約である。
ポツダム条約。
後の世に伝えられるこの名が、第二次世界大戦の終結を告げるもの。
以降、秋分の時期が訪れる度に世界中で何らかの催しが行われてきた。
ある国は鎮魂の儀式。
ある国は大統領による演説。
またある国は国辱を忘れぬための断食、というのも文化として存在する。
そしてこと日本に於いては、国中が諸手を上げて行う祭典が催しに該当していた。
元来、祭を好む国民性がそうさせるのか。あるいは再び災禍をもたらすことがないよう、敢えて記憶に残りやすい形を選択したのか。
彼らは朝から車道を封鎖して両脇に出店を開き、そこで各々が娯楽を享受していた。
おみくじ。的当て。焼きとうもろこし。
終戦記念の式典は夜まで続くものの、本番は出店ではなく七時より各地の会場で行われる祭典。
「あがッ」
陽の光が沈み、空が闇への最後の抵抗として燈色に焼ける中。車道を走る人力車の一つが、車輪の下に石ころを巻き込む。
結果、内部で腰を落ち着かせていた佐刀が天井に頭をぶつける。
「ッッッ……!」
「いったぁい」
頭をさする佐刀の横では、思わず宙に浮かんでいたフタバが尻をさする。
佐刀はミコガミから授かった漆黒の着物ではなく、襟全体を光沢を帯びた絹で仕立てた格調高い礼服、
一方のフタバは元々結婚礼服でも違和感のない服装であったためか、事前に新調した同一の純白に肘まで覆う白手袋を身に着けるに留まっていた。
車夫の不手際に眼光を鋭利に研ぎ澄ます佐刀だが、彼が反応する様子はない。代理として口を開くのは、漆塗りを中心に各所へ金箔をまぶした高級人力車を押す二人目の車夫。
「いやぁ、すみませんね。先頭の奴は入社して数か月なんですよ。
私が頭を下げますんで、ここはどうか穏便に」
「入社して何か月かとか、客には関係ないってことだけは肝に命じて下さいよ」
「いやぁ、手厳しい」
帝都で執り行われる祭典各地への運送役として、フィールド運送も名を連ねている。わざわざ高級車を用意している辺り、彼らの気合の入りようが伺えるが、それで技量不足の新入りを投入するようでは本末転倒というもの。
後部の車夫との会話用の覗き穴へ視線を合わす中、一瞬前方からの目を感じた。
「ん……?」
「……」
「ま、どうでもいいか」
呟き、佐刀は視線をフタバへと移す。
「なぁ、本当にいいのか?」
「ん、何が?」
「祭典への参加だよ。参加費、凄いんだろ?」
二人が赴く先は、帝都中に存在する祭典会場でも最も豪勢かつ絢爛なる館──骸銘館。
中央区に座する年齢は二五年。終戦より五年前に建設された館は当時の主の手を離れ、現在では幕府の手で管理されている。そして毎年終戦の日になると、記念の祭典が執り行われて豪奢な料理と当世随一の音楽が参加者を歓迎する。
そして現在でも絶大な影響力を及ぼす日本四六貴族には招待状が送られ、当然の話としてセーデキム家も受け取っている。
骸銘館に足を運ぶことに招待状は必須ではないが、そのためには莫大な──それこそ参加するだけでも貴族への仲間入りと評されるだけの参加費が要求されるのだ。
「あぁ、それね。
今年は兄さんが主催側で参加して、他の兄妹も不参加らしいから、丁度アレが使えたんだ」
佐刀の指摘に、頬を吊り上げて上機嫌なフタバが答える。
にやにや、という擬音が相応しい表情は、眼前で拝む側としては正直若干腹が立つ。
「さっさと教えろよ、そのアレっての」
「ふっふっふ……」
「笑うな答えを寄越せ」
端的な指摘に、フタバはそうかそうか待ち切れないか、とやたら勿体ぶる。
仮にここからじゃあどうでもいい、と答えたらどういう反応を示すのか。
佐刀の脳裏を過った邪な発想は、残念ながら心底回答が望ましいために脳内妄想だけで満足する。
「個別で雇い入れた護衛枠だよ」
「護衛枠? んだそりゃ」
「呼んで字の如くってとこかな。参加家族一世帯に一人、護衛を参加させることが可能なんだ。
勿論、あくまで護衛だから絶対禁酒や独自の立ち入り禁止区画とかの面倒はあるけど、その代わり帯刀も許可されてるんだ。佐刀としてはそっちの方がいいでしょ」
「そいつは最高だなぁ……ありがとう、フタバ」
折角新調した浅噛を保持したまま会場入り出来る、という特権は祭典参加だけでも十二分に望ましい佐刀にとって望外も望外。
新しい玩具を買って貰った幼子を彷彿とさせる様子で足を振り、佐刀は会場を心待ちにする。
「お客様方、そろそろ骸銘館です」
前方の車夫が告げたように、件の館が漸くその姿を現した。
腰にぶら下げた刀に手を添えて並び立つ石像に守護された正門を潜ると、来客者を歓迎する広大な敷地。多数の観葉植物が迷路状に敷き詰められているが故に気づきにくいが、その気になれば野球を行える程度の面積を有している。
とはいえ、迷路の形状に惑わされず直進すれば、容易に館へと辿り着く。
洋風の建設方式を参考に、日本の技術と意匠を多数盛り込んだ紺と紫の館こそが目的地。
周囲を見渡せば、屋敷周辺には佐刀達の他にも多数の人力車が駐車している。彼らも等しく貴族ないし貴族に比肩する財源の持ち主に違いない。
「お客様方、到着です。ここまでの旅、お疲れ様でした」
「ありがとさん、帰宅の方も楽しみにしてますよ」
人力車から降車し、佐刀が後方へ手を振りながら館へと足を進める。連なるフタバは振り返って頭を下げると、佐刀の後を続く。
二人の背中へ視線を注ぎ、徐々に目つきを鋭利に研ぎ澄ます。
「えぇ……帰宅の方も、是非ともお楽しみ下さい」
奥から姿を現した男が人力車の後部に手をかけると、月夜に照らされるは二振りの車輪の鍔持つ日本刀。
片割れへ手渡すと、男は鯉口を切って内の刀身を確認。
月光を反射して輝く刀身は、刀鍛冶の腕前を反映するかのように鋭利。指を這わせれば、容易に骨身へ達すると想像に難くない。
扉の先には、毛足の長い絨毯を敷き詰めた一階。左右には弧を描く階段が二階までの道案内をし、正面には張りついた笑みを浮かべた格式高い服を纏った受付嬢。左右の道へ逸れれば、宿泊や非公式の商談用にあてがわれる客室が二〇は用意されている。天井から吊り下げられた照明器具の灯りが、招待客を柔らかくもてなした。
豪奢な受付で招待客として訪れたフタバは大剣二振りを預け、佐刀は護衛であると説明して禁止事項を一瞥。
「……なんです、これは?」
次に手渡されたのは、黄と黒の警戒色で彩られた首輪。
動物の所有権を主張するために用いられるものとは異なり、柔軟性に優れた素材を使用したそれは、大方元の世界で言うリボンを想定した作りなのだろう。
だが、それを何故自分に?
「正規参加者と護衛として参加している方とを視覚で差別化出来るようにする手段です。過去に正規参加を装った護衛が不当な
「はぁ……」
事情を知れば納得せざるを得ない。心中はともかくとして、あまり不満を口にして出禁にでもなれば堪ったものでもないのだから。
佐刀は渋々といった態度で首輪を首元で結び、服装に新たな彩りを加える。
会場は二階だという案内を受けてから階段を昇る道中、幾度かすれ違った人々から奇異の目で見られている感覚が、礼服越しでも理解できた。
「……んなに目立つのかよ、この首輪は」
「佐刀」
「へいへい、理解してますよ」
好奇の目を向けて横を抜けていった男を睨むと、フタバから短く名を呼ばれる。
セーデキム家名義の護衛として訪れている以上、佐刀が事を起こせばその泥を彼女までもが浴びる羽目に合う。それだけは避けろという言外の主張を理解し、彼はわざとらしく口元に笑みを形成した。
会場と廊下を遮る扉を開くと、そこには華美と贅沢が待ち受けていた。
まず視界に飛び込んでくるのは、それなりに人が集まり相応の広大さを誇る会場の正面にありながら衆目を注がずにはいられない一枚の肖像画。
鷹を彷彿とさせる獰猛な眼差しと獅子の如き勇猛な髪を併せ持つ豪将。
名を、ヒツギ・ガイメイカン。
骸銘館の元々の所有者にして、世界大戦において多大な戦果を上げた英霊の一人。
「へぇ……」
佐刀の視線も自然と肖像画へと向けられる。祭典に足を運ぶ者やその随伴が如何様な人物かは皆目見当もつかないが、描かれている男は画家の腕も手伝い、一騎当千の古強者だと確信を抱けたが故に。
戦場で焼けた浅黒い肌。頬を抉る生々しい傷痕。今にも抜刀しそうな絵画は、ヒツギの気迫を十全以上に引き出していた。
「一度、会ってみたいな」
そして──
祭典から脱線し倒した佐刀の思案を食い止めたのは、肩に乗せられた手であった。
「いつまでボケっとしてるのさ。ほら、いこ」
「あ……あぁ、そうだったわ」
肖像画から視線を外せば、帝都内でも未だに闇市が盛況とは思えぬ豪勢な料理が盛られた長机や服装規定に則った貴族達が談笑に花を咲かせている。手に持つ茶碗に注がれている真紅の液体は、輸入元の大陸では飲む宝石との評判も得ているワインであろうか。
会場内に流れている音楽は軽快で、目を凝らせば至る所で二人一組で踊り合っている。
「いやはや、あの娘がセーデキム家のご息女か」
「ハジメ様は美しかったが、フタバ様はまだ可愛らしいものだな。アレでまだ一六なのだろう」
「しかし、誰だ。あの野良犬染みた少年は?」
音楽の影で鼓膜を揺らすは、セーデキム家次女であるフタバを称賛する言葉。そして彼女に付き添う佐刀を値踏みするかのような言葉。
正直に述べれば、複雑な心境である。
フタバが絶賛されているのは心地いい。彼女が可愛いのは事実だし、知り合いが誉められていることも気持ちを幾分か高揚させる。
だが他方で、同じ口から溢れる自らへの言葉。野良犬だのなんだのといったものに、フタバへ送ったような感情は絶無。むしろ場違いだと暗に主張されているようにも思えて、佐刀は意味もなく眼光を研ぎ澄ますばかり。
「安全圏から文句を言うしか能のない木偶の分際で……」
「そんなこと言わないの。それに、あの人達皆、佐刀よりも強いよ」
「は?」
遠巻きから囁き合う連中が自分よりも?
肖像画越しに気迫が伝わるヒツギならまだしも、外見だけ取り繕った三下連中。纏めてかかってきても軽くいなせる確信にも似た自信が、佐刀にはあった。
しかし、フタバは積み重なった過信を容易に切り崩す。
「たとえば右のロクロ・ヒ・サクムテル。彼は大戦中、満州方面軍第一七〇連隊を指揮。自身も前線に立つ猛将振りで敵軍から『婆沙羅』、十二神将の一角にたとえられるまでに恐れられていたよ。
その左で笑えない冗談を飛ばしているのはクロツチ・カガヤ。徴兵された身でありながらも南方方面軍として戦線に従事。殿を務めた撤退戦で部隊は壊滅、自身も全身を串刺しにされながらも気迫だけを以って敵中隊を撤退に追い込んだ上で生還。最終階級こそ大尉だけど、それは明確な手柄を数え難い撤退戦が主な功績だったことが大きいわ。
間に挟まれて柔和な笑みを浮かべているのはケドウ・ニシムラ。かの有名な五輪一流を修めた剣士で、彼の振るう双剣の錆で太平洋が赤く変色したって噂が上がる程だよ」
「えぇ……」
語られる逸話のどれもが、佐刀のやる気を奪うには十二分であった。
流石は世界を巻き込む二度目の大戦であろうか。生き残った兵士の誰もが滲み出してもおかしくない剣気を完璧なまでに覆い隠している。大らかな態度の裏にあるのは、異常なまでの戦果。
異世界からの異邦者である佐刀には、なんでそんな化け物連中を揃えた国家が大戦に敗北しているのかが理解できない。
「ま、終戦してから二〇年も経ってるから全盛期よりは技量が落ちてるだろうけど、それでも佐刀が一〇〇人揃っても勝てないね」
「否定してぇけど出来ねぇわ……飯食お、飯」
気概が根こそぎ削がれたためか、背筋を曲げて佐刀は長机を指差した。
机の上に列挙しているのは、見る者の食欲をそそる料理の数々。最高級の食材に一流の料理人の腕が光り、並びは並ぶ極彩色の輝き。
豚の生姜焼き。
「バイキングって、こういうのだったっけ……?」
「ばいきんぐ? 何それ?」
「あぁ……うん、大陸だとこういう形式の料理をこういってた、気がする。多分」
「へぇ、そうなんだ。ってことは、佐刀はやっぱり大陸出身なんだ」
「それも……多分」
ワインは輸入しているのに、他の西洋式の料理は組み込めていないのか。そういうものだと言われればそれまでだが、どうにもちぐはぐな印象を受ける。
尤も、料理人の腕前は確かなのだ。多少和式に偏っている程度、何のことはない。
例を上げれば、今手に取った牛肉のたたき。
赤々とした内側に、適度に炙られてこんがりと焼けた外側。そのいずれもが佐刀の食欲をそそり、箸の手を口元にまで運ばせる。
「では、頂きます。
……うん、美味い。なんというかこう、油がいい感じ? で美味い」
間違いなく美味い。美味いのだが、材料尽くの凄まじい品質が合わさり、貧乏舌だと胸を張って言える佐刀には慣れない味が口内で存在感を主張する。
「あぁ、美味しい! これお母様が作ってたのに似てる!」
貧乏舌が慣れない料理ということは、貴族には慣れ親しんだ味ということ。
フタバは箸を持つ手を持ち上げて料理の感想を告げる。それでいて、喋る途中で料理を口から零す愚は犯さない。しっかりと飲み込んでから口を開くのが、作法である。
他の参加者のように談笑に花を咲かせる相手もいないため、二人はひたすらに食べては感想を述べるを繰り返す。
「この刺身、美味いぞ」
「うわぁ、鯛とか鮎だぁ!」
「あ、白米も美味しい。白米おかずに白米食べれそう」
「モチモチする~!」
「なんだ、こう……これも間違いなく美味い。うん、俺には分からんけど」
「生姜が効いてるっていうのかな、癖になる!」
「あの、もう少し静かに箸を進められないですか……?」
背中から飛び込んできたのは、そのような叱責。
主にフタバが異様にはしゃいで感想を述べていたため、第三者からすれば迷惑だったのだろう。音楽に聞き惚れていた者からすれば、雑音極まりない。文句の一つも出るというもの。
ここは流石に分が悪い。
佐刀は振り返って謝罪を述べる。途中で閉口した。
「すみませ……ん……?」
「佐刀鞘……!」
「ソウジ・ス・ニューディー……!」
浅葱に黒い波を走らせた羽織を纏う線の薄い少年。普段は乱雑な白髪をある程度整え、祭典の服装規定に沿った姿をした彼は、数日前に壮絶な殺し合いを演じた青龍隊隊員。
藍色の眼光が鋭さを増し、返す佐刀の眼差しも射殺す程に。
「何故貴方のような人殺しがこの場に」
「なんだよ、大戦で名を上げた人も沢山いるんだろ。今更一人増えただけで何の問題もねぇだろ」
「この国を守った英雄の方々と同列のつもりか、悪鬼」
「そうじゃねぇのはもう知ってるわ。さっき知ったわ」
気づけば、手に持っていた皿は近場の机に置かれ、二人の距離だけが息のかからんばかりに接近していく。
「あ、フタバ様だ。こんばんは」
「あぁ、ミツバちゃんだ。いつ以来かなぁ!」
互いの間に火花を散らす裏で、漆黒の髪を伸ばしたミツバは赤毛のフタバと挨拶を交わす。
言葉の応酬は際限なく加速していくが、二人にとっては知った話ではない。先の殺し合いの一部始終を目撃していたミツバも、別に佐刀に対して特別敵意を抱いている訳でもないのだから。
故に、決定的な一線を超えるまでは、フタバとの久々の再開を喜ぶばかり。
「今日はソウジの護衛?」
「いや違うぞ。今日は仕事だ、だからミツバも制服を着用している」
「仕事?」
フタバの疑問に答えていいものか、黒髪を揺らして小首を傾げるも、すぐに拍手を一つ。フタバの耳に口を近づける。
「今日の祭典に襲撃予告が出てるらしい」
「え……!」
思わず顔を向ける少女の顔に浮かぶは、驚愕の二文字。
終戦記念の式典に襲撃をかけるなど前代未聞、かつ通信総合商社を筆頭とした情報会社からの一切の情報もない。
だがミツバは口元に人差し指を当て、無言であることを要求する。
「最悪を防ぐためのミツバだ。それにソウジもいるし、他の青龍隊や警備隊の中でも指折りが警戒に当たっている。
それに受付さえ守り切れば、参加者の皆さんに得物を返せるしな」
確かに、骸銘館に集っている参加者の多くは剣の道に精通している者ばかり。青龍隊だけでも一〇や二〇程度の集団であらば、会場に足を踏み入れる前に全員の首を飛ばすことが可能。
そこに彼らの得物が返却されれば、対抗するにはそれこそ大隊規模の戦力を用兵せざるを得ない。
国家に仇なす一組織にそれだけの戦力を確保出来るか。答えは否。
「だから安心してフタバ様は祭典を楽しむがいい」
「それは、嬉しいけど……」
如何に警備がいようとも、不安の種は拭えない。
その意向を伝えようとした時、背後から皿の割れる音が鳴り響いた。
振り返れば、眉間に幾つもの皺を刻み憤怒の表情を浮かべる佐刀が、ソウジの胸ぐらを掴んでいた。
「なんつったよ、今」
「もう一度言いましょうか。僕個人は、フタバ様が憂国軍拡同盟の関係者だと疑っている」
「──」
フタバの思考に、空白が生まれる。
何故そのような疑惑が出ているのか、全く以って預かり知らぬ罪状に困惑すら口から溢れぬ。
胸ぐらを掴まれ、なおもソウジは刃の如き眼光を佐刀へ注ぐ。
「吉原支部の一件において、地下には頭部を破損した外道の所業が無数に転がっていたッ。そして彼女は、真実を語るべき場でそれを怠り、もう一人の存在を覆い隠している!
そこに同じ末路の死体が発見され、同盟の関係を示唆しているッ。ならばフタバ様自身の潔白を誰が証明できるというのかッ!」
「ち、違う……違うよ……!」
思わずたたらを踏むフタバをミツバが背後から掴み止める。
ミツバは、突然の謂れなき嫌疑に動揺しての眩暈だと予想した。無理もないとも。
だが、フタバが否定の言葉を漏らした理由はそこではない。吉原支部以外で発見された頭部なき屍、その犯人の容貌を深く知っているが故に否定を漏らしたのだ。
まさか、彼がそんなことを。脳裏を過った流し着の眼鏡姿が、下手人ではないと妄信するように。
代わりに彼の理論を否定するのは、額に青筋を浮かべた佐刀。
「んなこと、フタバに出来る訳ねぇだろッ。アイツは剣もなしに地下へ行ってたんだぞッ。
それとも素手で撲殺しましたってのかぁ、オイッ!」
彼女の愛刀たる大剣二振りは当時、吉原支部の受付に預けられていた。そこから武器の所在が変移していないのは警備隊の調査により判明している。
調書においても、フタバは管理してあった法律違反な量の武具から現地調達したと報告している。そこに偽りはない。
しかし、ソウジは自論を曲げない。
「だから彼女自身が起こしたのではなく、彼女が犯人を隠蔽したと言っているッ。彼女自身が切り伏せた重症人から遠く離れた地点での屍に、当人が干渉出来るものかッ!」
「だ、だったらそいつが全部悪いんじゃねぇかッ。フタバに罪を擦りつけんじゃねぇよ!
人を容易く殺すような奴が馬鹿正直に正体を明かすとかそれこそ馬鹿だろうがッ!」
唾の応酬を繰り広げ、気づけば互いの周囲には無数の人盛りが形成されていた。
何事かと様子を見守る者。
不幸にも付近の席を確保してしまったばかりに、料理の確保も出来ずに手をこまねく者。
喧嘩の匂いを感知し、野次を飛ばすのは戦後復興の中で成り上がった者か。
佐刀は首に装着した首輪から、ソウジは羽織った浅葱に波打つ黒波から。簡単な所在は把握可能だからこそ、さほど深刻というものでもない。精々が青龍隊の出張る案件かと側を離れる程度。
「はぁ……埒が空きません。ならばいっそこの場で決着を……」
「上等だ、漸く新調した浅噛の試し切りが出来るというもの……」
不意に二人の言葉が止まる。
腰に預けた刀を掴み、鯉口を鳴らしていながら、それ以上は刃を抜かず、微動だにしない。不審な様子に疑問符を浮かべる大衆を他所に、二人は耳を澄ます。
会場内を埋め尽くす音楽、ではない。
音楽に紛れて微かに大気を揺さぶる雑音、招かれざる来客を告げる靴の音。
瞬間、二人は全く同時に跳躍。
弾ける衝撃に床が弾け、周囲がどよめく。
互いに向かう先は会場端、豪奢に縁取られた曇り硝子。周囲には会場の熱気を嫌って少しでも外気に触れたいと陣取った貴族が数名いたが、彼らの迷惑など気にも留めない。
何故ならば硝子の一つ、本来なら主宰の演説用に設けた舞台へ近い側の端が割れていたのだから。
「向こう側は裏庭のはずッ」
「割れた場所を見てみろボンクラッ、鉤爪で登るつもりだッ!」
硝子が散らばる地点へ到着し、ソウジが割れ損ねた残骸を薙ぎ払う。
「ハッ、意外と大胆な手にも出るんだなッ」
「非常事態ですッ、止むを得ない!」
割れた窓から鉤爪の先を覗き見れば、縄伝いに壁を登る登山家共。一様に灰の外套を纏う集団は、骸銘館の頂点に骸の旗を掲げるつもりか。
しかして、佐刀とソウジに発見されたが運の尽き。
喜々とした笑みを浮かべて佐刀は縄に浅噛の刃を乗せ、ソウジは刀を下手人へ切先を向ける。
「止めッ……!」
「止める訳ねぇだろ」
軌跡を残す二閃が縄を切り裂き、胸元へ切先を突きつける。
悲鳴を上げながら落下する一団を見下ろし、佐刀が先んじて口を開く。
「ソウジ、コイツらは全員殺っていい奴だよなぁ?」
「……無力化こそが最優先だが、無理強いはできない」
「ハハッ、充分だよ!」
割らんばかりの大笑を浮かべ、佐刀が身を宙へと踊り出す。続くソウジも、素直に階段を降りる手間が惜しいと躊躇いは薄い。
と、そこに一足遅れて到着したフタバとミツバ。
辛うじて視認出来た二人へ、落下しつつある佐刀とソウジはあらん限りの声を張り上げて指示を飛ばす。
「フタバッ」
「ミツバッ」
「そっちの敵は任せたッ!」
「そっちの敵は任せましたッ!」
急速に世界から灯りが失われつつある中、なんとか二人の顔を拝めた。その表情こそ不明であるが、困惑よりも納得の方が強いと信頼が置ける。
佐刀が足元に視線を向ければ、落下地点に外套の内一人が丁度転がっていた。
手首を回して浅噛を回転させ、逆手持ちへ。刃の切先を地面に横たわっている外套へ。口元には、嗜虐的な笑みを添えて。
「ぐ、あ……!」
貫く先は心の臓。外套に覆われて目こそ不明だが、覗ける口からは力が失われていき、やがて閉口。
刀を引き抜き、栓を失った心臓が噴水の如く血を噴き出す。
返り血が雨となりて佐刀を濡らす中、顔を上げた先には各々の得物を構える軍集団。
「そら、祭典の第二部……開幕だッ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます