28話

「……また辻斬り事件か」

「はい、ソウジ名誉大尉……」


 墨田区の路地裏、刀鍛冶の集中している地区からやや離れた地点では、今日もまた哀れな犠牲者が血に濡れる。

 天気予報の予測通り一滴、また一滴と雨が振り出す。帝都を覆う曇天の空が流す涙は、今日もまた発生した辻斬り事件の被害者への黙祷か。

 終戦記念の式典も一週間を切り、青龍隊と警備隊合同の調査となった今事件への現場に、ソウジ・ス・ニューディーと警備隊所属の角ばった顔立ちをした男性が顔を合わせる。

 第一発見者は墨田区在住の男性。

 彼が午後三時頃に刀鍛冶を訪ねた際、普段から通行する道から零れる不審な異臭につられて路地裏へ入り込んだ所、仏様と遭遇したとは本人の弁である。


「発言の信憑性は取れてますか?」

「先に到着した警備隊員が近隣住民から聞き込みを行った所、普段から男性の姿を目撃しているという証言を取っております。

 ところで……遺体は損壊状態が著しいため、見るのはお勧めしませんが」


 男性の言葉は、心的外傷に端を成す心の脆弱性を抱えたソウジを気遣ったもの。

 家が荒事に関わる必要性の薄い貴族──それも日本四六貴族であることも相まって、彼のことは警備隊内でもそこそこに有名であった。だからこそ、男性も彼を気遣い、死体から遠ざけようと言葉を選んだのだろう。

 心遣いはありがたい、と思う。

 ソウジ自身、心的外傷の克服など出来ておらず、にも関わらず任務には幾度となく赴いてきたのだ。先の佐刀戦よろしく、不意の事態に著しく身体性能が低下したことも〇ではない。

 それでも。


「いいえ、今回はこれまでとは異なるやり口と聞いてます。それを一目見ないことには、判断のしようがありませんから」

「そう……ですか。分かりました、ではこちらへ」


 藍色の瞳に宿る覚悟を理解したのか、もしくはどう言葉を選んだ所で意味はないと観念したのか。

 男性はソウジに背を向けると、沈鬱とした表情で部外者侵入防止の帯を潜る。

 実を言えば、男性は既に死体の有様を目撃している。何せ、最初に現場入りした警備隊員は彼とその同僚なのだから。その関係もあり、ソウジには刺激が強いと暗に警告出来たのだ。

 尤も、ソウジ自身が強く決意しては意味がないが。

 立ち込める血の匂いが濃密さを増す度、ソウジは息を飲む。

 一定間隔で降り続ける雨が多少なりとも血を洗い流しているにも関わらず、鼻を突く血潮の香は留まることを知らず。現場へ向かうに従って、徐々に周囲も明度を落としていく。

 そして、闇の中で鮮烈な赤を目撃した。


「んッ?!」


 瞬間、ソウジの内より何かが込み上げる。

 口内を苦いものが包み込み、額から脂汗が一気に噴き出す。思わず手から零れる傘が地面を転がり、やがて屍へと接触。

 男性も咄嗟に視線を逸らす死体には、頭がなかった。

 厳密には頭部を形成していた肉片が辺りに散らばり、ただでさえ足元や寄りかかる壁に咲き誇る花弁に一層悪趣味な彩りを加えている。頭部を粉砕された時点で死亡していることは決定的に明らかであるが、その他の部位も相応に損壊著しい。

 あり得ない方角へ折れ曲がった腕。千切れかかっている足。関節から剥き出しの骨格。いずれを取ってもこれまでのどの辻斬りとも致命的に異なる。

 というよりも。

 見覚えがある。

 そう、あれは吉原支部での一件。地下に転がっていた頭部を潰された骸の集団と、酷似している。


「見ての通りですが、どうも犯人の得物は刀とは異なる。たとえば重鈍な鈍器を用いられた可能性があります」

「刀、いがい……?」


 なんとか振り絞った言葉を伝え、ソウジは再び胃から逆流した胃酸との格闘に専念する。


「はい。着物を見てもらえば分かりやすいと思うのですが、激しい外傷に反して切創が皆無かつ、切断面を見ても鋭利な刃物ではなく強引な力で引き千切られた状態なのです。

 これは刀では到底不可能な所業です」


 涙で視界を歪めながら、ソウジも死体の足へ視線を運ぶ。

 滲む視界に映り込む死体の足は、なるほど確かに刀を用いた綺麗な切り口ではない。

 野蛮で暴力的、力づくで抉った醜い損壊具合は正しく鈍器による所業。拳、という可能性も否定し切れないが、そこは浮かぶ青痣の形状から推測。


「それと、これが今までの犯行と異なる決定的証拠なのですが」

「置手紙……?」


 男性が手渡したのは、前面に血で丸が描かれた手紙。雨に濡れないよう保管されていたのか、雨天にありながら驚く程に湿り気がない。

 ソウジが手紙を開けば、そこからは達筆が歓迎する。


『憂国軍拡同盟の狙いは終戦記念の式典。総勢五〇〇〇を越す剣士の集団が骸銘館を筆頭とした式典会場を襲撃する。

 奴らと正面から切り結ぶな。ぱらいそで強化された膂力が刀ごと血肉を両断する。

 Oより』

「ま、る……? それともれいか……隠語にしても候補が多い」


 匿名ではなくわざわざ文字を描いておきながら、これでは情報提供者の特定は困難。尤も全てが事実であると仮定した場合、件の人物は同盟内でもかなり中枢に近づいている可能性もある。なれば、特定し辛い偽名で情報を流し、恩赦が確定した段階で名乗り出るつもりなのかもしれない。


「置手紙だけではなく、付近には例の紙薬物も未使用の状態で置かれてました。

 情報の信憑性はともかく、配置の参考程度には出来るかもしれません」

「どうせ元々参考はないんです。ある程度は信を置いてもいいのかもしれない。マドカさんにも報告しましょう」

「了解」



 ソウジがこれまでとは異なる事件の現場に赴いていた頃、通信総合商社本社でもはかりごとの準備が行われていた。

 高所から渋谷区を一望可能な社長室には、三つの命が顔を合わす。


「君達に重大な任務を告げる」


 両の肘を机に置き、唯一椅子に腰を下している赤と黒の洒落た西洋制服を纏った男──シラキヤ・キセルが重い口を開く。

 シラキヤの前に立つ二人は、社長の命令一つで背筋を伸ばすような小賢しい精神性を有しておらず、どころか髪の先端を黒く染めた──もしくは黒髪を白く脱色した──男は任務、という単語に獰猛な呼気を漏らす。


「さしずめ、私達と憂国軍拡同盟の繋がりを知っている者の殺害、かしら?」


 人差し指を天井へ向けて口を開くは、白衣の女性。白髪交じりの茶髪を揺らす様は、過剰なまでの自負に満ち溢れている。

 ヒヒガミ・連と我道天才。

 両者の一挙手一投足を凝視し、任務へ臨む姿勢は充分とシラキヤは判断。つり上がる頬は、彼らの姿勢を評価したものか。


「正解だよ。訂正する箇所があるとすれば、決行日が終戦記念の日の翌日以降というくらいかな」

「あら、祝日に働かせるつもりかしら。コンプライアンスというものをご存じで?」

「さて、始めて聞いたね。そんな大陸言葉は」


 相手の知らぬ言葉を使いたがる悪癖を無視し、シラキヤは視線を連へと向ける。

 呼気こそ荒くなっているものの、燕尾服が踵を返す様子は皆無。むしろ肺の動きに合わせて胸部が上下する程度で、それ以外では微動だにしない。

 血肉を分けた唯一の肉親たるヒヒガミ・蓮の死は、シラキヤの耳にまで届いている。

 社長からすれば、たかだか社員一人の命が失われただけで統計上の出来事に過ぎない。だが、血の繋がった兄である連からすれば話も大きく異なる。

 血走り、実験の弊害で真紅に染まった右目を一目するだけでも、彼がどれだけの激情を抱えているのか、その一端が窺い知れるというもの。


「憂国軍拡同盟はいい仕事をしてくれたよ。

 ぱらいそをばら撒き、帝都で辻斬り事件を頻発させることで警備隊を攪乱。そして然る後に帝都中の主要式典会場に襲撃をかけることで、警備の薄まった貴族や幕府の要人を抹殺。いい計画だ。

 だが、もう脅威を煽るには充分だ」

「物事を力でしか進められない愚劣極まりない衆愚には、適切なタイミングで退場して貰わないと面倒だものね」


 シラキヤとしては、幕府の新設部隊である青龍隊との語り烏の安定供給という取引が出来た段階で彼らの役目は終わった。

 ぱらいそは市井に食い込み、既存の薬物よりも効き目がいいと極道の注目も集めている。また薬物乱用者による辻斬り事件も後を絶たないことは明白な以上、青龍隊に休まる日はない。それもまた、語り烏を筆頭とした備品の交換などで利益が上がるということ。

 万が一にも国がひっくり返ってしまえば、経済にも影響が出るではないか。ここまでの努力が残らず水泡に帰すのは困る。

 そうでなくとも、戦後経済を引っ張る柱の一つである通信総合商社にとって、種を撒く以上の事態は不要なのだ。


「だから切り捨て、私達に繋がる証拠も隠滅する。あわよくば、この功績で更なる発展にまで繋がる……というのは、傲慢かな」

「傲慢で結構。持たざるを美徳とするなど弱者の発想よ」

「何でもいい……そんなことよりも、吉原支部を襲撃した連中の処刑は?」


 掠れた声で告げた連の目には、憤怒の炎が煌々と燃え上っている。

 俺に仇を、妹の仇を討たせろ。

 口にするまでもなく、彼の意図は西洋制服越しの肌にまで突き刺さる。

 溢れ出し、留まることを知らぬ憎悪に気づかぬは、他者に自らの価値を証明する者以上の興味を示さない我道のみ。利益こそを何よりも追及するシラキヤでも、彼の埋め尽くさんばかりの感情には理解が及ぶ。

 だからこそ、ここは言葉を慎重に積み上げる。


「確かに奴らへ落とし前をつけることも肝要。だが、それは一応でもこの国を守ってからだ」

「そんなものへの興味は皆無……奴らを滅ぼすならば、いっそ国ごと──」

「犬畜生を重宝した覚えはないわ」


 際限なく憎悪を燃やす連を牽制し、我道は流し目で睨む。

 シラキヤは我道に首肯し、連に微笑みかけた。見ている者の背筋を凍らせる、絶対的強者故の笑みを。


「そうだ、我々は文明人。

 刀は爪牙の代替かも知れないが、取り外しが効く理由くらいは考慮すべきだ」

「……考慮しよう」


 この場で最も力を有しているのは連だ。

 戦斧を所持してこそいないが、その気になれば両者共に縊り殺し、窓の外へ骸を放り投げることも容易い。きっとその時には、悲鳴を上げる余地すらない。

 だが、何故か。

 シラキヤの口から紡がれる言葉が、連の内から熱を奪う。


「だが半身を失った我が憎悪も、相応だと心得ろ」

「あぁ、勿論。機会は設けるさ」


 しかして、鎮火することなど不可能。

 蓮だった肉塊を前にした時の絶望と、身を焦がす慚愧の念は今も無形の鎖となりて連を縛りつける。度重なる人体実験の後遺症など、全身を苛む鎖縛と比べれば児戯に等しい。

 氷にも似た冷たい眼光にも動じず、シラキヤは言葉を続ける。


「任務の詳細は後日伝えるが、性質上失敗は絶対に許されないから、仕事は的確に頼むよ」

「失敗など、私には無縁の言葉ね」

「了解」


 事の善悪を問わず、一週間後に向けて謀略は張り巡らされる。

 或いは、全てを知らぬことが幸福だとしても。自らの歩む道が不幸で舗装されていても目を逸らすことこそが、幸福だとしても。

 人々は転換期へと立たされる。己が意志を無視して。

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