浅噛

 千代田区に程近い中央区に存在するセーデキム邸を後にし、向かう先は刀鍛冶が盛況の墨田区。

 平日故か、通勤の時間帯から僅かに遅れて利用することで路面電車の乗客は冗談みたいに減少している。何せ座席には疎らに人が座っているだけで、一瞥すれば全員の顔を難なく覚えられるのだから。

 目的地がオウ工房と確定しているのだから、フィールド運送なり別の会社なりの人力車を手配する手もあった。が、電車の方が安上りのために今回はそちらを選択。


『次は墨田区、墨田区』

「っと、ここだな」


 運転手からの放送を受け、佐刀が窓付近に設置された突起を押す。すると運転席にまで連絡が通り、次の駅で停車しますと放送。

 殺風景な電車内の光景に彩りを加えるべく、申し訳程度に下げられた広告が前後に揺れる。


「それじゃ、降りるか」

「うん」

『墨田区、墨田区。お降りの方はお忘れ物がないようにお気をつけ下さい』


 放送を受けて電車を降りれば、二人の肌に寒風が突き刺さる。

 墨田区は終戦記念の式典が近いことも重なってか、普段に増して活気づいていた。尤も活気の内何割かは、辻斬り事件の不安を吹き飛ばすための空元気に等しい部分を含むが。

 その証明と言わんばかりに、電車に揺られる内に空模様は鼠色へと変化していた。


「コトリは工房の方で待ってんだよな」

「うん、急がないと雨が降りそうだしね」


 二人は至る所から金槌の音が響く歩道を、小走りで通過。

 中には記念式典に合わせて、特価販売を始めている鍛冶屋もあるが、二人の興味を引くことは叶わない。折角用意したのぼりも、視界に入れて貰わねば存在しないことと同義。

 やがて二人の視界にオウ工房の看板が飛び込み、二人は勢いを維持したまま扉を潜った。


「頼もー!」

「うるさいよ、フタバ……」


 元気一杯に挨拶したフタバを出迎えたのは、紫の髪を掻く小柄な少女──コトリ・オウ。寝不足なのか目蓋を幾度も瞬かせ、左手には布に包んだ棒状の武具を携えている。

 彼女の姿を認めた直後に、佐刀の脳裏に無視し難い疑問が生まれた。


「ん、学校はどうしたんです?」

「学校……? あぁ、そんなの刀の調整のために適当言って休んだよ。

 それに自分で打った刀を客に手渡すなんて大役、別の誰かに譲れるかっての」

「あぁ、そうですか……」


 藤の花をあしらった着物を着崩し、コトリは不機嫌な声色で答える。右肩を露出して素肌を晒しているのも、扇情的な主張ではなく寝る間も惜しんで刀を打ち続けた反動なのだろう。

 現に、彼女は佐刀を前にしても自らの服装に欠片も疑問を抱けていない。

 コトリは慣れた手つきで柄を突き出し、佐刀へと刀を差し出す。


「……!」


 柄を握り締めると、これまで使用していた刀とは一線を画す一体感を覚えた。繰り返し巻かれた糸が一度掴んだ掌を離さず、適度な引っかかりが剣戟時の安定性に寄与する。

 興奮を内に秘め、引き抜いた先には漆黒を埋め込んだ刀身。


「ご要望通りに刃は鋸刃造りを採用。元の刀の損耗具合から小太刀程度の刀身に縮めて、その分重ねを厚くして強度を確保。

 柄には日本海産の鮫皮を採用して、蛇腹糸の平巻で滑り止め。御子派全刀流を使うにあたって利便性があると思って、柄は気持ち長めに。鍔に関しては特に要望がなかったから、折角だし烏の羽を意識してみたよ」

「いい仕事じゃないですか。結構高く見積もってたつもりですけど、それでも過少評価だったとは……!」


 自らの顔が映り込む美しい刀身を眺め、佐刀が呟く。

 自分のために打たれた、という文面に興奮している側面を抜きにして判断しても、コトリの技量は中学生相応の体躯から隔絶している。

 素人故に何を伝えればいいのかも覚束ない佐刀の言葉と預けられた前任の日本刀に刻まれた損耗だけを根拠に適した形状を推測、そこに相手からの要望を組み込んで一振りの刀として成立させたのだ。どれだけの経験をすれば成せる業なのか、佐刀には検討もつかない。


「ほぇー……すっごいね、コトリちゃん。惚れ惚れするよ」

「褒めても何も出ないよ、フタバ……それに多分、タカナシが打てば刀身の寿命も八年は伸びてる」

「八年、ですか……」


 自虐の混じった呟きには反応するものの、佐刀の視線は未だに曇りなき刀身へと注がれている。


「せめて素材だけでも同じ土俵に立てれば少しは変わるけど……私も最高級の玉鋼を用いてるのに、それでもタカナシが使ってるのは劣る。工房に置いてる分も全然使わせてくれないし、いったいどこで仕入れてるのかもだんまり。

 全く、秘密主義なのかは知らないけど、情報共有くらいはしてほしいよ」


 嘆息するコトリには耳も貸さず、佐刀はただ自らの刀に魅了されていた。

 鮫の歯を彷彿とさせる鋸刃は彼の要望通りであり、担い手に獰猛な切れ味を期待させる。漆黒の刀身に鮮やかな赤を差し色にすれば、いったいどれだけ綺麗な光景を拝めるか。

 期待が際限なく高鳴り、脳内で幾度となく他者を斬り捨ててもまだ足りない。

 如何に夢想しようとも、実物を見ないことには満足できないのだから。


「コラ、佐刀ッ。打ってくれた刀鍛冶の話はちゃんと聞こうね」

「って」


 頭を叩かれ、佐刀の意識が現実へと引き戻される。

 冷ややかな眼差しを向ける青の眼光に軽く頭を下げると、溜め息を一つして言葉を紡ぐ。


「……その刀の名は浅噛あさがみ、浅く噛むと書いて浅噛。

 由来は、幾重に研がれた無数の刃が傷口を縫えないまでに引き裂くことから。別にそっちでつけたい名前とかはないでしょ」

「確かに。ここはそちらの案を尊重しますよ」


 コトリから受け取った鞘に漆黒の刀身を納めると、今度はその状態で刀を掲げる。

 鞘には過多な装飾が伺えず、表面の仕上げに漆塗りを行ったほおの木は単純ながら製作者の才覚を証明するように色合いが均一。一部の塗り忘れもなく、また斑な塗りで場所によって色が異なるという事態もない。

 佐刀は浅噛を腰に巻きつけた帯に挟むと、業物を打った刀鍛冶へ頭を下げる。


「重ね重ね礼を言いますが、本当にいい仕事をありがとうございます。

 この場こそフタバが払いますが、いずれは俺も恩を返していきたいと」

「そんな気にすることないよ、佐刀。このくらいどうってことないし」

「……男として嫌だって話だよ。奢られっぱなしは」

「……ま、私からすればちゃんと払ってくれるならどっちでもいいけどね」


 コトリのはにかむ笑みを遮り、入口の扉が開く。

 外界の寒気を運ぶ先には、幾人かの空色の外套を纏った剣士達。腰に携えた日本刀には車輪を模した鍔が覗けた。


「済まないが、タカナシはいるか?」

「タカナシなら留守だよ。刀鍛冶の仕事なら私が聞くけ──」

「餓鬼に頼めることなどない。タカナシがいないなら、帰宅するまでここで待たせてもらうか」


 剣士の先頭に立つ男が簡単にコトリとやり取りを交わすと、展示されている刀の周辺へと移動を開始。彼女の鋭利に研ぎ澄まされた視線も、眼中にないと言わんばかりに。

 一部始終を眺め、佐刀も蔑視の眼差しを連中へと注ぐ。横に目を移せば、フタバもまた頬を膨らませていた。


「コトリちゃんのことも知らないのに、酷いこと言うよ……」

「ハッ、ちょうどいい。コトリさえ良ければ、早速浅噛の切れ味を確かめましょうか」

「いいよ、別に。慣れてるから」


 それに今はまだ事実だし。

 コトリの言葉には諦観と、いずれは乗り越えるという確信にも似た自信が潜んでいた。

 言われた当人が引き下がる以上、部外者が何かを口出す権利もない。頭の中では理解していても、フタバは剣士達へ抱く怒気を抑えることに困難する。

 同時にコトリも思考していた。

 タカナシの腕前を買ってオウ工房を訪れた人達にも、いつかコトリに依頼しなかったことを後悔させてやると。



「あぁ、遅くなりましたッ。申し訳ありません……!」


 ややあって、息を切らしたタカナシが大慌てで扉を開く。額には不自然な光沢を見せ、同時に滴る汗が頬を伝わる。

 オウ工房の主の帰還に一早く反応したのは、前出の剣士。

 足早に彼との距離を詰めながら、口から出るのは愚痴の類。


「遅いぞタカナシ。この時間なら大丈夫だと言ったのはお前だろうッ?」

「いやぁ、すみません。こちらとしても急用が入ってしまって」

「何タカナシ。客と約束しておきながら自分で破ってたの?」


 受付で佐刀やフタバと談笑を重ねていたコトリが、申し訳ないと平謝りする義兄の失態に睨みつけた。


「タカナシ、そもそもお前は時間への遵守意識が甘い……」

「まぁま、積もる話は奥でしましょう……

 あ、コトリ。いつも通り部屋には決して近寄らないで下さいね」

「はいはい。大きな仕事なんでしょ、それ。

 だったら時間に遅れて御破綻、ってことにならないように気をつけてね」

「ハハ……」


 薄い笑みを浮かべ、タカナシと彼に続く剣士達が工房の奥へと足を進める。

 彼に引き連れられる剣士の後ろ姿を睨む佐刀の眼光は、扉が閉じるその時まで続いた。

 工房では熱せられた刀が幾度となく金槌で叩かれる。一度打てば火花が舞い散り、二度打てば形状が歪み、そして三度打てば刃が僅かに鋭くなる。

 工房中に鳴り渡る音へ辟易しながら、剣士がタカナシを一瞥。


「よくも毎日毎日トンカントンカンと飽きないものだ。俺なら三日で寝込む自信があるぞ……

 で、だ。

 ?」

「はて、何の話ですか」


 剣士の疑問もどこ吹く風、タカナシはすっ呆けて普段の態度を崩さない。

 眼鏡の奥に宿る瞳は、光の反射で外からは不可視。

 ただ、朗らかな笑みが張りついたように維持される。


「私はしがない刀鍛冶、タカナシ・オウですよ」

「狐が……

 まぁ、いい。そんなことよりも依頼していた刀は出来ているのかい?」

「ご安心下さい。既に準備は出来ていますよ、私作の刀振り。

 今頃は江東区の港にある木箱に納品してますから、然る後に回収して頂ければ」


 タカナシの報告に、剣士は嗜虐的に頬を吊り上げた。

 墨田区に刀鍛冶多けども、彼が知る中でオウ工房を上回る鍛冶屋など存在しない。そしてタカナシ・オウ以上の技量を持った刀鍛冶もまた同上。

 しがない、などという謙遜は妹を筆頭とした多くの刀鍛冶には皮肉にしか聞こえないだろう。


「よくやった。金は後日用意させよう」


 故に述べるは謝辞。

 一流の仕事に相応の態度で臨むのは、全く以って正しい行為なのだから。

 そして当人は隠し通してるつもりかも知れないが、漏れ出ている物への指摘もまた剣士の役目。


「そして身体を洗うなら時間をかけてでも丁寧にやれ。血の匂いが仄かに香るぞ」

「おやおや、それは失敬。何せ約束の時間に遅れそうだったもので」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る