魔女のけじめ

 聖堂の中に、小さく拍手の音がした。

 聖王が、パチパチと手を叩いていた。

 それに釣られるように、騎士たちも手を叩く。


 ララとワーキは、微笑んで、お互いの体を離した。


「さようならをしないと、いけないね。ララ」


「うん。寂しいけれど。今までありがとう、ワーキ」


 ララはソルの元に戻り、ワーキも兄の元に戻った。


 兄に寄り添いながら、ワーキがダナブの顔を見る。

 皆が、ワーキに釣られるようにダナブを見た。


 ナジは、またリノスが戻ってくることを祈って、ダナブの瞳をじっと見ていた。


「ダナブ……君は……」


「私は、この身体とともにやらねばならないことがある」


 ダナブがそう答えたとき、聖堂の、正面の扉が開いた。


 控えめな、ぎぃという音でも充分に響いてしまったので、全員がそちらを見た。

 扉を開けたのは、エクトだった。

 申し訳無さそうに、顔をのぞかせている。


「エクト……」

「エクト!」


 ナジが呼びかけると同時に、ソルもエクトの名を呼んで、扉にかけよった。


「ご、ごめん。何だか心配で……どうしてもいても立ってもいられなくなって……歩いてきちゃった」


 エクトは、騎士やら何やらえらそうな聖職者やらがこちらを見ているので、ものすごく恐縮きょうしゅくした。


「大丈夫だ! 全部終わったよ。こっち来て!」


 ソルはエクトの手を引いて、ララのところへ連れてきた。

 エクトは本来の姿に戻ったナイルスを見て、驚きの悲鳴を上げた。


 ナジは、騎士として、聖王が室内にいるということもあり、微動びどうだにできずにその光景を見ていた。

 どこか、置いてけぼりをくらっているような気分になった。


 ふと視線をそらしたその先に、ナジは異変を見つけた。


 エクトが入ってきた聖堂の扉から、見覚えのある革鎧を来た男がこっそり入ってきた。


 ――あの革鎧は……辺境へんきょう警備兵の……


 そんなことを考えているうちに、男は異様な目つきでエクトたちを睨み、一気に駆け出した。


 その手に。


 ナイフが。


 ナジは冷水を浴びたような、恐怖と不安に刈られた。

 身体が勝手に動く。


 そのナイフが向かう先に立っているのは――



 大事な――親友の――



 リノスの身体。



「やめろぉッ!」


 ナジの叫びで、全員が一斉に振り向いた。

 男の存在に、全員が気付いた。


 もちろん、ダナブも。


 だがダナブは、逃げることも、構えることもなく。


 ナジの伸ばした手は、あと少しのところで届かず。


 ダナブの、リノスの左腕に、深々とナイフが突き刺さった。



「姉さん!」



 エクトの絶叫が響いた。


「きゃあああ!」


 ララが悲鳴を上げた。

 ソルが、素早く動いて、男を蹴り飛ばした。


 男は、床に仰向けに転げた。

 虚ろな目が、ニヤリと歪んで、口から不気味な吐息が漏れた。


「はは、は、ははは、やった……やった……魔女め……ははははははははははははははは! 死ね! 死ねよ! アハハハハ」


 男は、狂ったように笑い始めた。


「あ、あなたは……!」


 エクトが目を見開いた。

 男は、エクトを蹴り飛ばし、エクトの灯台を荒らした、あの若い兵士だった。



 ナジはすぐに笑い狂う男の腕をひねり上げた。


「誰か! 縄を!」


「は、ハッ!」


 騎士団長の後ろにいた騎士にナジの声が届いた。彼らは、慌てた様子で縄を持ってきた。

 兵士は、ソルを生け捕りにするために用意されていた縄で縛られ、聖堂から引きずり出されていった。


「ダナブ!」


 ワーキの涙声に、全員が振り向いた。


 ダナブは、己の腕に刺さったままのナイフを、一瞬表情を歪めて引き抜いた。

 栓の代わりをしていたナイフが抜かれたことで、腕から大量の血が飛び出した。


「兄さん! ダナブを助けて!」


 ワーキが泣きそうな声で兄にすがった。


「我はもう、ソルとの契約を解除してしまった。魔法は使えぬ。人の子よ、手当を頼めないか」


 ナイルスが言うか早いか、ナジが駆け寄った。

 ひとまず何かで止血を……と動くナジを、ダナブが右手で制した。


「大丈夫だ。ちょうどいい。少し、待ってくれ」


 ダナブは少しだけ、痛みを堪えるような声でそう言うと、しゃがみこんで、傷口を右手で握りしめた。


 指の間から血が溢れて、そして、穏やかなオレンジ色に光った。


「……ッ! リノス……本当に、感謝しているぞ……! 今まで、ありがとう」


 言い終わるが早いか、傷口から下の腕がすっかりオレンジ色の光に包まれた。


 額に脂汗を浮かべて、ダナブがエクトを見た。


「エクト。こちらへ」


「は、はい!」


 エクトがダナブに駆け寄る。


「受け取ってくれ。私からの、詫びと、礼だ。リノス……。

 エクト、光の中に両手を」


「え?」


 エクトがそっと光の中に手を入れる。

 すると、何か、あたたかくて柔らかいものに触れた。


 血の感触もなく、ただただ優しい触り心地のそれが、エクトの両手にすがりつくようにして乗ってきた。



「あ……!」


 光が消える。


 その場の全員が、奇跡を見た。


 エクトの両手は、ひとりの赤ちゃんを抱いていた。


 代わりに、ダナブの左腕は、さきほど刺された場所から下が、きれいに無くなっていた。


「こ……これ……」


 赤ちゃんは、墨黒色の髪に灰色の瞳の女の子だった。

 大きな瞳でエクトを見つめる。

 エクトが胸元に引き寄せると、うつらうつらと眠りだした。


「リノスだ。リノスの魂は、もう私と共にはいない。その子に託した」


 ナジが、エクトが、目を見張った。


「聖王よ。頼みがある」


 ダナブは、すっと立ちあがって、奇跡に感動して祈りを捧げている聖王を見た。


「私は、ワーキを取り戻すためとは言え、十年前に、このリノスの身体で人を殺した。それは人の世の法に反している。

 私を、この体ごと裁いてほしい」



 ダナブの申し出に、その場の全員が驚いた。



「これは、リノスの願いでもある。全てを終えたら、けじめをつけたいと、ずっと言っていた」


「そんな……!」


 エクトが泣きそうな声を出した。


「良いのだエクト。それが、リノスと私が交わした約束だ」


「ダナブ……」


 ワーキがダナブに駆け寄る。


「愛しいワーキ。一足先にそこの兄と帰っていてくれ。なに。人間の身体が朽ちるまでの間だ。我らにとっては、ほんの瞬きの間よ」


 ダナブは、重荷を肩から下ろしたかのように、今までで一番明るい顔で微笑んだ。

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