第七章 決別と自立

目覚めのとき

 アル・ナスル・アル・タイル。

 神の名乗りと咆哮ほうこうは、ララの聖堂の中にも響いた。


 だが、中で魔女と対峙たいじするナジは、それを聞く余裕すらなかった。

 中は、長椅子や燭台しょくだい教壇きょうだんまでもが、メチャクチャにたおれ、こわれ、散らばっていた。


 ナジは、ララの棺の前で、自分めがけて飛んでくるガレキたちを交わし、剣で叩き落とし、防戦一方ぼうせんいっぽうを強いられていた。


 対するダナブは、ふわりと優雅ゆうがに宙に浮きながら、手首を一振りするだけで突風を巻き起こし、ナジを翻弄ほんろうしていた。


「ナジよ。なぜそうまでして戦う。なぜ、そうまでしてリノスに固執こしつする」


「……ッ」


 答える余裕もないくらいに、次々と飛んでくるガレキと戦いながら、ナジはひとつの疑問ぎもんを抱いていた。



 なぜ魔女は、一思ひとおもいに自分を殺さない?



 魔女が放つ魔法の恐ろしさは想像以上だ。それに、十年前は十八人もの騎士を焼き殺している。

 その気になれば、自分など、一瞬で仕留しとめられるだろうに。


「お前こそッ!」


 ギィンと音を立てて、ナジの剣が、飛んできた燭台しょくだいはじき飛ばした。

 燭台は、ダナブの顔に向かって飛んでいく。

 ダナブはまゆ一つ動かさず、人差し指を立てた。燭台が、指に触れる直前でぐしゃりとひしゃげて、ダナブの足元に落ちた。


 聖堂内に、ガランガランという不快な金属音がこだまする。



「お前こそ、なぜ私を殺さない!

 お慈悲じひをくれてやるとでも、言うつもりか!」


 叫びながら、ナジは駆け出した。

 転がる椅子を踏み台にして跳躍ちょうやく。剣を頭上に振りかぶって、ダナブの眼前までせまる。


 息を吐いて、渾身こんしんの力を込めて、剣を振り下ろす——その手首に、ダナブの右手の人差し指が触れた。


「くっ……!」


 つかまれているわけでもない、ただ軽く触れているだけなのに、ナジは腕を動かすことができない。

 それどころか、宙に浮いたまま、全身が動かない。


 もがく間もなく、ダナブは、ナジの顔の、文字通り目と鼻の先に顔を近づけてきた。


「お前は、リノスの友だからな」


 吐息といきがかかるほどの距離で、真っ白な瞳孔どうこうがこちらを見つめたまま、そう言った。


「何だと……」


「それに我々の目的は、破壊はかいや攻撃ではない」


 そう言うと、ダナブがふっと離れた。


 ナジの身体は、糸が切れたように、突然落下した。

 何とか受け身をとって、体勢を立て直す。

 意外にも、ダナブは攻撃してこなかった。



「私の役目は時間稼じかんかせぎだ」



 ――ソル!


 何の時間を稼いでいるのかは解らないが、この場にいないあの少年。必ず、ここに来ると言ってたアイツがいないということは、ダナブはソルが何かを成し遂げるまでの間、自分を足止めしていたということだろう。


 だが、何を――ソルの目的は、この妹ではないのか。

 

 そう思った時、地鳴じなりが響いた。


 反射的に顔を上げて、背後を見上げると、ララの棺の周囲が大きく振動していた。



「何だ……何が……!」




 棺の周囲に透明とうめいな何かがあって、それが激しく振動してどんどん歪んでいっているように、ナジには見えた。

 ララの顔が、もうよく見えない。まるで、ひび割れたガラスの向こう側にいるように見えた。


 パリン……というはかない音がした。

 同時に、銀色の羽根のようなものが、ブワッと周囲に舞い上がった。

 羽根は、ナジの顔のすぐ横まで飛んできて、けむりのようにふっとかき消えてしまった。


 それは、美しい景色だった。


 羽根が消えた先……棺の前に、一人の少年が立っていた。

 華奢きゃしゃな身体。先がとがった耳の後ろに小さな羽根のようなものが生えている。

 少年は、息を呑むほど美しかった。

 彼は、腕の中にララを抱いていた。


 もう二度と目覚めない、百年の夢のすえ生命いのちが尽きると言われた眠り巫女が、少年の腕の中で、そっと目を開いた。

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