天使が、人へと還るとき

 ソルが中枢施設ちゅうすうしせつの中に入って最初に見たのは、大きくて立派なステンドグラスだった。


 外は暗い夜だ。昼に外側から陽光に照らされていたら、さぞ美しいだろう。

 だが今も、室内の四方に置かれたランプがぼんやりと照らしていて、これはこれで幻想的な美しさだった。

 銀髪碧眼ぎんぱつへきがんの青年が、翼の生えた少年を抱きかかえた様子を表した色とりどりのガラスたち。

 それが見下ろす、中央の部分。


 丸い花壇かだんの上に植えられた色とりどりの花と、たくさんの野草やそうたち。

 その上に設置された、ガラスのひつぎ


 ソルは、その棺に駆け寄った。


 棺の中には、血色を失い、どこか蝋人形ろうにんぎょうのような見た目の、銀髪の青年が横たわっていた。

 両手を胸の前で組んで。


 棺の中で眠る、ララと同じ姿勢しせい


 ただ、ララとはちがい、明らかにその身体には、もう血が流れていないのは明らかだった。


 屍蝋しろう――というのだったか。ナイルスに教わった。


 ガラスの棺の中、眠る青年。この、美しき木乃伊ミイラこそが、戦天使・星守せいしゅラスアー。


 彼は己の身体と生命をしろにして、永遠の夢の世界をつくり、ナイルスの弟であり、皆がナスル神と呼ぶ神を、そこに閉じ込めている。


 そして、その夢の中に、ララの魂も閉じ込められている。


 いや、正しくは。

 ララの魂は、夢の世界の延命えんめいのための、燃料とされているのだという。


 この仕組は、ナイルスたち神の世界から、地上にナスル神を追いかけてきた神の一人からラスアーが聞き出したものだと言う。


 その神は、ラスアーに捕らえられて、夢の世界の燃料にされたのだと聞いた。初代の、眠り巫女として。



「ナイルス、ダナブ……今、終わらせるからな」



 ソルはそうつぶやくと、ガラスの棺に棒を突き立てた。

 以前、ダナブが来たときは、このガラスの棺には触れることすら叶わなかった。

 ラスアーが、棺に、神に連なる者が触れたとき、弾き返すよう、対神の結界を張っていたからだ。


 この役目は、ただの人間であるソルでなくてはできないことなのだ。


 棒の先端に渦巻く炎が、ガラスを溶かし始める。

 そして、ナイルスの炎がガラスの表面に穴を穿うがつ。

 そしてそこからヒビが走り、棺はもろくも美しい音を立てて、砕け散った。


 ソルは首から鎖を外し、その先に着いていたシリンダーのコルクのせんを抜いた。



「アンタも、大切なものがあったんだろうな……けど」


 乾ききった屍蝋のくちびるに、シリンダーをそっと当てる。


「返してもらうぜ」


 シリンダーをかたむけると、きっともう空洞くうどうであろうその身体の中に、乳白色の薬が流れ込んでいく。



 ナイルスが種を撒いた果実で、ダナブが作った、呪いの薬。



 彼岸ひがんへと行ってしまった青年の夢を、此岸しがんへと引き戻す。


 世界を蘇生そせいさせる、呪いの薬。




「……!」


 ラスアーの、戦天使と呼ばれた屍体が、白く光る。


 ソルが眩しさに手で顔を覆う。

 その手の向こうに、サラサラと砂になっていくラスアーの身体が見えた。


 最後、わずかに小さな骨が、胸があった場所に転がった。


 それは、右手の小指の先の、骨だった。


「今まで……お疲れさま。おやすみ、天使」


 ソルは、その骨をそっとひろい上げると、ララが眠る聖堂へ向かうべく、立ちあがった。

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