夜明けの森

 最後の夜――エクトたち一家は、突然姉が魔女となり、突然、本当に一瞬にしていつもの生活が崩れ去った。

 だが、今日が最後と宣告せんこくされ、受け入れようもないその「最後」を受け入れねばならぬ夜というのは、どれほど胸が苦しいのだろう。

 想像するだけでエクトの目には、涙がにじんだ。



「ララは受け入れたんだ。自分の運命を。だから、俺たちも受け入れて前に進まなくては。

 父さんと母さんは毎日毎日そう言ったさ。でも、それは解っていても寂しかった。

 ララのいない家なんて、考えられもしなかったんだ。寂しくて、辛くて。聖都に引っ越そうかって話も、何度がしてたっけ。

 金はさ、あったんだよ」


 ソルの顔は、エクトからは見えない。きつくきつく握り締められている、その小さな手しか、見えない。


「眠り巫女の生家には、一生遊んで暮らせるくらいの報奨金ほうしようきんが出るんだ。

 見たことないような宝石や、立派な布地や、銀の食器、それに、すごい数のコインがさ、でっかい、これまた腹立つくらい立派な箱に入れられて、ララの代わりに置いていかれたんだ。

 でも、あれのせいで俺の家は壊れたんだよ」



 エクトは、ここに来る前のナイルスの話を思い出した。

 ソルが、エクトに絵の具を買うために、手放した宝石、レッドスピネル。


「まるで、俺たち家族が、ララを売ったみたいじゃないかよ」


 ソルの声は、震えて、ひび割れた。


「父さんと母さんは、あの憎たらしい箱を見るたびに、自分を責めた。娘を犠牲ぎせいにした、売ったんだって。

 それなのに、全然嬉しくないのに、毎日毎日、他人におめでとうって言われるんだぜ? すごいなって! 羨ましいよってさ!

 そりゃ誰だって、普通じゃいられないよ。

 みんなが言うんだ。

 嬉しくなさそうだなって。普通じゃないぞって。おめでたいことなんだぞってさ!

 それでいつの間にか、村の連中は俺たちのことを、不敬だとか、罰当たりだとか言い出したんだ。

 村の連中からの嫌がらせが始まるまでに、半年もかからなかった。

 父さんと母さんの心は、一年と保たなかったよ」


 気づけばエクトは涙をこぼしていた。


 ああ。同じだ。

 僕たちは、同じようにして、家族を失ったんだ。


「ある夜、俺は何かが焼け焦げる臭いで目を覚ました。パチパチって音がして、家の玄関の方が真っ赤になってた。

 あれは、誰が点けたのかは解らない。

 父さんかも知れないし、母さんかも知れないし、村の誰かだったのかも知れない。

 家が燃えてた。

 父さんと母さんのところに駆け込んだら、二人はベッドで手をつないで、死んでた。

 毒を飲んでね」


 幼いソルの絶望が、エクトにはよく解った。

 自分も同じ絶望を味わったからだ。


 置いていかれた。


 その絶望。


 それを、ソルは自分よりも十も若い、まだ幼子だったのに、味わったの言うのか。

 あんまりじゃないか。

 あまりに、酷すぎる。



「もう、どうでもよくなって、俺も自分のベッドにもどった。ララと二人で眠ってたベッドにさ。

 どうしてこうなったんだって思ったら、急にララが恋しくなった。

 ララの笑顔を、どうしてももう一度見たくなった。

 ララに会いたかった。

 だって俺の家族はもう、世界にララしかいないんだ。

 そしたら、声がしたんだ。

 取り戻したくはないか。お前の家族をって。

 ナイルスの声がさ。


 俺は、取り戻したいって、泣きながら叫んでた。

 ララを、ララを取り戻したいって。


 そしたら、窓の外が光って、ナイルスが現れた。ナイルスは、家の壁をふっとばして、俺を救い出してくれた。


 ナイルスは、ナイルスの大切な人を、俺はララを取り戻すために、お互いのために、契約を交わした。

 それから俺たちはずっと一緒にいるんだ。

 ナイルスは俺に生きるためのいろんなことと、ララを取り戻すために必要な、戦い方を教えてくれた」



 そこまで一気に話して、ソルはくるりと、エクトの方にふりむいた。


 笑顔だった。


「だから、俺達は一緒にいるんだ。

 お互いの、大切な人を取り戻すまで。絶対諦めないって約束した。

 たとえ、世界中の人間から憎まれ、恨まれたとしても」



 ああ。眩しいな。


 ソルの向こうから、朝陽がさしてきた。

 エクトは、こんなにも辛い想いをして、さらには国をまるごと敵に回してまで、諦めずに笑うソルを、心から眩しく思った。



「ソルは、強いな」



 思わずこぼれたその言葉を聞いて、ソルの笑顔がくしゃっと崩れた。


「おう、今は、さ」


「……今は?」


「今は、強く在るって、ナイルスと約束してる。でも、全部終わって、ララを取り戻したら、ナイルスは、自分の帰るべき場所に帰ってしまう。

 俺は、一緒には行けない」


「……!」



 つまり、ソルの戦いは、ララを取り戻した後、ナイルスを失ってもなお続いていくということか。


 ナイルスの代わりにララがいたとして、反逆者となった兄を見て、果たしてついてきてくれるのか……ソルは怖くはないのだろうか。


 そのときになって、ララに拒絶されたら。

 そしてナイルスもいなくなってしまったら。



 ひとりぼっちじゃないか。



 どんなに強くたって、そんなの、立っていられるものか。




「……ソル」



 エクトは、歯を食いしばった。


 眩しいからなんだ。

 自分がどれほど暗いところにいようとも、朝陽は、太陽はこうして追いかけて照らそうとしてくるじゃないか。

 僕は、僕はいつまで自分で暗闇に逃げ込もうとしているんだ。



「ソル! 僕、決めたよ」


「エクト?」



「僕は、ソルを待つ。ソルとの約束どおり、君が帰ってくる場所で、ずっと君を待ってる」


「……」


 ソルが目を見開いた。


「ララちゃんが一緒でも、一緒じゃなくても、ずっと待ってるよ」


 うまく笑えただろうか。

 涙でべちゃべちゃだけれど。


 そうエクトが思っていると、ソルが、小さく、震える声で呟いた。



「ありがとう」



 ソルの顔は、逆光で見えなかったけれど、キラキラ輝くしずくが一滴、ソルの足元の小さな花に落ちて、はじけた。

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