おもいでがたり ――ソル――

 エクトが外に出ると、木々の枝葉の隙間から、薄明はくめいの空が見えていた。

 真っ暗で何も見えなかった森の中の草木の姿も、ほとんど見えるくらいまで明るくなっている。


「こんな森の奥でも、太陽の光って届くのな」


 後ろからソルの声がした。

 振り向くと、いつもと同じ笑顔のソルが立っていた。


 エクトはぼんやりと、ソルの笑顔は太陽の光のようだな、と思った。



「ソル……僕、どうしたらいいのかな」


 エクトの思考はもうずっと、停止していた。


「エクト?」


「姉さんの身体に魔女がいて、姉さんは姉さんの意思で魔女と一緒にいる……」


 一歩、踏み出してみた。

 土は柔らかく、足音を静かに吸い込んだ。


「どうして姉さんが、あの日、魔女になったのか。姉さんが本当に人を殺したのか。ずっと知りたくて、でも怖かったこと、全部話してもらったんだと思う」


 何となく、空を見上げる。

 光を求める小さな芽のように。

 けれど、樹々が生い茂る隙間すきまの、わずかな間からしか空は見えない。


 出口は、手の届かな居場所にあるように見えた。


「それで、僕はこれからどうしたらいいんだろう?

 姉さんと一緒に、ダナブさんがやろうとしていることを応援したら良いのかな?

 それとも、ダナブさんと姉さんを説得して騎士団のところに連れて行ったらいいのかな?」


 ザッと、足音がした。

 ソルが、エクトの目の前に立って、エクトの灰色の瞳を見上げていた。


「エクトは?」


「え?」


「エクトは、どうしたい?」


「……わからないんだ」


 答えたエクトの顔は、泣き笑いのような顔になった。


「わからないよ。ずっと、十年間、魔女をつるエサだって閉じ込められてたんだ。何となく……エサの役目が終わる時って、食われて……食い殺されるときだって……思ってた」


 口にして、今初めて、エクトは恐ろしい自分の本音に気付いた。


「ああ。そっか」


 ――そうか。


「僕、姉さんと一緒に……」


 ――一緒に、さばかれて、死ぬときを待っていたのか。


 そう口にしようとしたとき、ソルが目を見開いて、エクトの口の前に手のひらをかざした。



「いいよ。言わなくて」


「ソル?」


「言ったら、ほんとになっちゃいそうで、俺、怖いからさ」


 笑顔のまま、眉毛がふにゃりと八の字になった。


「ソル……」


 ソルは照れくさそうに「へへ」と笑って、エクトに背を向けた。


「ねえ、ソル。ソルはどうして、ナイルスさんと一緒にいるのか、聞いても良い?」


 エクトが聞くと、ソルは顔だけ振り向いた。


「いいよ」


 答えたソルは、背を向けたまま、さきほどのエクトと同じように、樹々にさえぎられた空を仰いだ。



「俺、妹がいるんだ。名前はララ。双子なんだ。……エクトはさ、ララって名前、聞いたことないか?」


「う、うん。何となく聞いたこと、あるかもしれない」


 十年間灯台にいたエクトは、世俗と離れていた。だが、その「ララ」という名前は、ときどき村や港街で聞いたような気もする。


 確か――


「もしかして……眠り巫女さまの……?」


「そう。やっぱ知ってるよな」


 エクトは驚いた。

 眠り巫女。

 それは、百年もの長き時、神に仕える巫女なのだと聞いた。

 永遠の時を眠り続ける神の夢の中に行き、神の御心をお慰めする。

 そんな風に聞いた。


 エクトが子供の頃に先代が亡くなってからしばらくは空席となっていて、姉の魔女騒ぎの後しばらく塞ぎこんで、ようやく外のことに意識が向いた頃、ふとしたことで新たな巫女が就任していることを知った。


 その時は、自分が世の中からすっかり置いていかれているのだと思ったものだった。



「その眠り巫女なんだ。選ばれたときは突然でさ。双子の流れ星が流れたから、それがご神託だって言って、朝にいきなり騎士が来たんだ。

 それから三日後、ララは聖都に連れて行かれた。

 最初は怖がっててさ。アイツ、母さんにべったりだったから、母さんと一緒に聖都に行きたいって泣いたりした。

 だけど、村の人間たちがとっかえひっかえ、餞別せんべつだの祝いの言葉だのって家に来てさ。祝宴なんてのも開かれたりして。

 俺たちはあの時、六歳だった。

 六歳のガキにも解ったさ。

 これは、ってさ」



 エクトは、我知らず胸元で震える手を組んでいた。


 それはきっと、六歳の子が、何かをあきらめた瞬間だったのだろう。


「ララは言ったんだ。最後の夜。聖都に向かう前の日の夜。

 神様に、お父さんとお母さんと、お兄ちゃんが幸せに暮らせますようにって、直接お願いできるなんて、ララは誰よりも幸せな子だって気付いたのってさ。見たことないくらい、キラキラした笑顔で言ってさ」

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