ダナブとエクト

 エクトは、マルフィーク大森林というものを、初めて見た。


 エクトの故郷は国のほぼ中央にあり、南端にあるマルフィーク大森林に行くには、巡礼の旅に出るくらいの心構えが必要だった。


 だからだろうか、第一印象は「本当にあったんだ」だった。


 上空から見下ろした森は、思っていた以上に大きく、深く、アスクレフィオス聖王国の領土側の入り口は見えても、出口はそのまま大きな山脈に続いており、入ったら二度と出られないという話は、本当なんだろうと思った。


 ――こんな場所に、本当に姉さんはいるのだろうか。


 心臓がバクバクと暴れる反面、どこか現実感を喪失そうしつしていく。

 そもそも、灯台、村、港街の三箇所以外の場所にいるなんて十年ぶりなのだ。

 十年ぶりの遠出とおでにしては、あまりに遠すぎて、ついつい「これは夢かもしれない」と思ってしまう。


「今度は上から行っても弾かれないよな?」


 ソルが言った。


「……もしかして、この前夜に飛ばされてきたのって……」

「ああ、ここから森の中に入ろうとしたら、ダナブの魔法で弾き飛ばされたんだ」

「はじきとばされた……」


 エクトにはそれがどんな状況か、想像もできなかった。

 そんな想像を絶する話を、笑ってするソルのことを、改めてすごいと思った。いろんな意味で。


「降りるぞ」

「あれ、でも今のナイルスの大きさで降りれんの?」


 ソルが言った。

 そう言えばナイルスは今、大の男二人を乗せても背に余裕があるほどの巨体だ。木々が生い茂る中に降りることなど不可能ではないのか。


「何とかしてもらおうではないか」


 ナイルスはそう言うと、ゆるゆると降下を始めた。

 すると、下から小さな白い光の玉がたくさん浮かび上がってきた。

 光の玉はまるでホタルのように、優しくゆらゆらと揺れてどんどん増えていく。


「うわあ……!」


 エクトは目を輝かせた。まるで夢の中のような光景だ。

 自分たちをふわふわと浮かぶ光が包んでいく。


「きれいだな~!」


 ソルも楽しそうにそう言った。

 二人は顔を合わせて、微笑んだ。


 そのとき、光の玉に周囲が完全に包まれたと思うと、身体が浮かぶ感じがした。


「わっ」


 足元を見ると、ナイルスが、カラスほどの大きさまで縮んでいた。

 その背に乗っていたはずのソルとエクトは、見えないなにかに抱かれるように、ふわりと浮いて、次の瞬間、森の中に立っていた。



「すご……!」

「これが……魔法?」


 二人が驚いている横で、ナイルスは特に面白くもなさそうにしていた。


「さて。家の外で出迎える気はないようだな」


 そう言うと、ナイルスは目の前のログハウスの方へと羽ばたいていった。

 ナイルスがドアの前に立つと、扉が勝手に開いた。


「わ!」


 エクトが驚いて声を上げた。

 ソルがエクトの手をひいて「俺たちも行こうぜ」と言った。


「ま、待って……!」


 エクトは、ソルの手をぐいっと掴んで立ち止まった。


「? エクト?」


「中に、その。魔女がいるんだよね……? 姉さんが……」


「えっと、エクトの姉さんではないみたいなんだけど……俺にもよくわかんないんだよな……」


「ちょ、ちょっとだけ……!」


 そう言うと、エクトは右手でソルの手を握ったまま、左手を自分の胸に当てて深呼吸をした。


「すう、はあ、すう、はあ」


 ソルは、静かにそんなエクトを見つめていた。

 すると、家の中からダナブの声がした。


「――待ちわびたぞ」


「……!」


 エクトの心臓がはねる。


 姉の声ではないと、思った。

 でも、自信がなかった。

 十年も、聞いていないのだから。


 姉はエクトを見て、十年も経ってしまって、自分が弟だと解ってくれるのだろうか。


 急にそんな不安がよぎった。


 コツン、という音がして、扉の中から、黒いエンジニアブーツのつま先が見えた。


 そして、ゆらりと星空色のローブが揺れて、墨黒色の髪の女性が現れた。


「ね……」


 姉さんと呼びかけようとしたエクトは、息を呑んだ。


 顔を上げて、こちらを見た「姉」の瞳の中心が、真っ白だったからだ。


 姉の瞳は、暗い灰色だったはずだ。



 ――やっぱり――




「我が名はダナブ。エクト。お前に伝えたいことがあり、ここまで来てもらった」



「ダナブ……!」



 やっぱり、姉さんじゃなかったんだ……と、エクトは思った。

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