彼岸からの手

「エクトーーーーー!」


 アア。

 この。

 この声は。


 幻聴げんちょうだろうか。

 ソルの声がした。


 ゆるりと顔を持ち上げたら、ナイルスの背に乗って、夕陽を背負ったソルが、こちらに向かって飛んできていた。


 アア。


 ほんとうに?

 ほんとうにソルがいるのだろうか?

 それとも、これは、自分が無様にすがった希望が見せた、幻だろうか。


「そる……」


 呼んでみた。

 そうしたら急に、涙がこぼれてきた。


 ほんの少しの間しか、話さなかった少年。

 話す大鷲おおわしの背に乗って、自由に空を飛ぶ少年。


 あっという間に、エクトの憧れとなっていた少年。



 いいなあ。ソルみたいに、自由に空を飛びたいなあ。

 ソルみたいに、走りたい。

 ソルみたいに、笑いたい。


 ソル。

 ソル。


 君と一緒に、自由になれたら、どんなに――。




 さあ。

 ぜんぶおしまいにしよう。

 じゆうに、なれるよ。




 足元から、暗い自分がわいてきて、右足を、虚空へと引きずりだした。




 エクトは泣きながら、宙に身体を投げ出した。


 そしてそのまま、もう意識を手放す――そのはずだった。



 ガクンと、大きく身体が揺れた。


 落下が止まる。

 右手を、誰かが握っている。


 目を開くと、手を握っていたのは、ソルの右手だった。



「エクト……!」


 ソルは、顔を真っ赤にしてエクトの手を掴んでいる。


 そのソルのシャツを、ナイルスがくわえている。


 ナイルスがバサバサと羽ばたいて、灯台の手すりの向こうへと入っていく。

 ソルは、揺さぶられながらも、必死にエクトの手を掴んでいた。



「ソル、いいんだ! ぼく……もういいんだよ!」


 エクトは涙をボロボロこぼしながらそう言った。


「ありがとう……ありがとうソル。でも僕は、魔女の弟でいるのは、もう……もう」

「エクト!」


 エクトの声を、ソルが遮った。


「諦めるな! エクト! 死なないでくれ! 一緒にごはん食べるって約束しただろ!」


「それは……ごめんね」


「何言ってるんだ! 許さないからな!」


「ソル……」


 ポタリと、エクトのほほに雨粒が落ちてきた。

 それは、ソルの涙だった。


「たのむよ。死なないでくれ。俺、全部終わったら、必ずエクトを迎えに来るから。だから、俺を待っててくれよ……!」


「ソル……!」


 自分のために泣いてくれる……そんな人間がまだいたことに、エクトの心は大きく揺れた。


 そして、ナイルスがつよく引っ張ったのだろう。

 ふたりとも大きく揺れて、一気に上に引き上げられた。



 エクトは灯台の石畳の床にしたたか身体を打った。


「いたた……」


 エクトが目を開けようとした途端、ソルが抱きついてきた。


 ソルは、声も出さずにシクシクと泣いていた。

 エクトの涙が引っ込むほど、ソルの泣き方は、悲しかった。


「ソル、ごめん。ごめん、もう泣かないで」


 エクトは、ソルの肩を、そっと抱き返した。


 視線を上げると、ナイルスが困ったような目でこちらを見ていた。


「エクトよ。我からも頼む。どうか、生きてくれ」


「ナイルス……うん、ごめん。ごめんなさい。もう、しないよ」


 エクトがそう言うと、ソルはガバっとエクトから離れて、エクトの顔を真正面から見た。


「ほんとか?」


「うん、本当。約束する」


「じゃあ、ゆびきりだ!」


 ソルは、まだ涙に濡れた瞳で、真剣にエクトを見つめて、右手の小指を差し出してきた。

 エクトは、力なく微笑んで、自分の小指をソルの小指にからめた。


「約束だ、もう、自分の生命を諦めないって」


「うん、約束する」


 エクトがそう応えると、ソルはようやくふにゃりと笑った。

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