一歩

 ソルは、ナイルスの背から立ち上る黒煙を見て、目を見張った。


「ナイルス!」

「ああ、何かあったようだな」

「早く行こう!」

「承知した」


 ナイルスがさらにスピードを上げる。振り落とされないように、必死にしがみつきながら、ソルは黒煙をにらみ続けた。


 黒煙が上っているのは、村にあった見張りのやぐらと、灯台の入り口を見張っていた小屋からだと気付き、灯台そのものが燃えているわけではないことに、少しだけ安心した。


「何があったんだ」


 ソルは、幼い頃の景色を思い出していた。


 火を放たれた家。

 その中で、絶望に負けて生を手放した両親。


 ソルは、ギリギリと音がするほど、強く歯を食いしばった。



「あれは、村の人間か? ソル。村人と騎士が、たくさんいるぞ」

「他の奴らは、どうだっていい、エクトは?」


 ナイルスに問うソルの声は、震えていた。


「待て……いたぞ……だが」


「どこ?」


「灯台の、最上階だが……あれは……」


 ソルが目を凝らす。

 ようやくソルの目にも灯台に群がる人間たちが見えてきた。

 そして、ナイルスの言う最上階を見て、ソルは絶句ぜっくした。



 エクトは、手すりの上に立って、虚ろな瞳で夕陽が沈み始めた海を見ていた。



「……エクト!」



 何があったのかは、わからない。

 だけど、ソルはあのうつろな瞳が何なのか知っていた。


 生を手放そうとしている、全てを諦めた人間の目だ。


 自分をのこして死んでしまった、両親と同じ。



「ナイルス! 急げ! 急いでくれ!」

「解っている!」


 ナイルスはほとんど滑空かっくうするようにして、一気に灯台に近づいた。


 同時に、地上で灯台の中へと駆け込もうとした騎士と、ソルの目があった。


 皆同じ鎧兜姿だが、何となく、あれはナジだと、ソルには解った。


 市民のために必死になって走る騎士を、ソルは他に知らないからだ。


 地上したから、ソルたちを指差して叫ぶ人々の声に、ナイルスはちらりと視線をそちらへ向けた。


 あれはなんだ。

 魔女の使いか!

 魔女が! 魔女が来たぞ!


 下は下で大騒ぎになっているようだったが、それらはソルの耳には一切聞こえていないようだった。



 たった一瞬、ほんの数時間だけ会話しただけで、ソルにとってエクトは、随分大切なものになったらしい。

 きっとそれは、罪人の家族として全てを諦めて生きている姿に、ララを失って全てを諦め、周囲からの迫害に負けた自分の両親と重なって見えたからだろう。


 ソルにとって、エクトは今、ララ以外で唯一の、大切な人間と言えるのだろう。



 ――死なせるわけにはいかなぬな。



 ナイルスは心の中でそうつぶやき、エクトの目の前に飛び出した。


「エクトーーーー!」


 ソルがエクトに声をかけた。


 エクトの瞳が、ピクリと揺れた。


 ゆるゆると顔が持ち上がって、目があった。

 頬が腫れている。顔や腕のあちこちの痣ができて、服も泥で汚れている。エクトのあまりの痛々しい姿に、ソルは息を呑んだ。


「そる……」


 エクトが弱々しく声を出した。


「エクト!」


 もう一度ソルが声をかける。

 あと少し。あと少しだ!

 このまま、真正面からエクトを灯台の中へ押し戻す!


 ナイルスとソルが同じことを考えて、前進する。


 エクトの顔が、ふにゃりと歪んで、子供のような泣き顔になった。

 先程までの無感情で虚ろな瞳に、涙がうかび、夕陽を反射して輝く。


 そして、エクトはそのまま、宙に身体を投げ出した。

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