有罪

 むごい。


 馬を飛ばして岬にたどり着いたナジが、最初に思ったのは、その一言だった。


 黒煙こくえんが、あかく染まり始めた空を汚している。


 木や石や、植物や、いろいろなものが焼け焦げる不快な臭いが周囲に立ち込めている。

 遠くに見えていたやぐらは、黒く焼け焦げた柱一本を残して崩落ほうらくしている。

 昨夜ナジが訪れた見張り小屋の壁は真っ黒で、崩れてできた穴からチロチロと赤い炎が見え隠れしていた。


 その隣に、焼け焦げた革鎧かわよろいを来た、無残な遺骸いがい



 ここは、戦場でもなんでもない。

 旅人や船乗りたちを導く、希望の火を灯す、灯台であるはずだ。

 それが、今や人々の狂気で満たされている。



 国境にそびえ立つ雄大な山脈と、そのふもとの深く危険なマルフィーク大森林に南を守られ、波の高い大海原に他の三方を守られた立地のアスクレフィオス聖王国は、他国に攻め込まれたことはほとんどない、平和な国だった。

 国民も皆、ザビクの玉座の敬虔けいけんな信徒であり、争いごとも少ない。


 騎士や兵士は、ほとんどが実戦経験がないほど、平和な国なのだ。


 ナジも、ナジの部下たちも、こんなにもひどい光景を見たのは、初めてだった。



「出ていけ!」

「魔女が来る前に、出ていけ!」

「殺せ!」

「殺してしまえ!」

「魔女に捧げる生贄いけにえにしろ!」



 耳を覆いたくなるような、怒号が響き渡っている。


 手に手に松明をかかげ、灯台に向かって、老人も青年も、中には長いスカートをはいた女性たちまでが叫んでいる。


 既に一部は灯台の中に入っている。


 中からは、ガシャンガシャンという金属音が聞こえてくる。

 おそらく、檻の鍵が開かないのだ。

 鍵は、この木炭と化した見張り小屋の中にあっただろうが、もう探しようがない。


「愚かな……」


 ナジの隣の部下が、ぼそりと呟いた。

 全く同感だった。


「ああ。だからこそ、これ以上愚かな行為で傷つく者を減らさねば……! 行くぞ!」


「ハッ!」


 ナジは意を決して部下を引き連れ、灯台の敷地しきちへと入った。



「静まれ! 北方騎士団所属、ナジ・サイファ! ザビクの玉座の御意志の元、この無益むえきな争いを止めに来た!」



 ナジの声は、よく通った。


 近くにいた村人の数人がナジに気づき、驚いたように数歩下がった。


「騎士団だ! 騎士団が来たぞ!」


 村人のうち、誰かがそう叫んだ。

 ガシャンガシャンという音がやむ。


 人垣ひとがきがわれて、灯台の中から、暴動を先導していたと思われる男たちが出てきた。


 彼らの年齢は、さまざまだった。



「騎士が、今更何をしに来たんだ!」

「そうだ!」

「十年間、俺たちを放っておいたくせに!」

「そうだ! そうだ!」


 たんまり金をもらっていて何を言う。

 ナジはそう思ったが、口に出さぬようにこらえた。


「俺たちは、自分たちで自分たちの村を守ることにしたんだ!」


「そうだ!」


「兵士も騎士も、俺達じゃなくて、この、魔女の弟を守っているんじゃないか!」


「そうだ! そうだ!」


「騎士がなんだ! やっちまえ!」



 誰かがそう叫んだのを皮切りに、数人の興奮した若者が駆け出してきた。

 手にナイフや包丁を持っている者。松明を振りかざしている者もいた。


 ナジは部下を手で制してから、すっと腰を落として構えた。


 一人目のナイフをかわして、手首をひねり上げると、その手をつかんだまま、二人目の包丁を蹴り飛ばした。ひるむ二人目に、一人目を投げつけると、三人目は松明をめちゃくちゃに振り回して駆け寄ってきた。


「火を振り回すな……!」


 そう言いながら、姿勢を低くすると、長い足で男の足を引っ掛けた。

 男は前のめりに転げ、その手から落ちた松明を、部下が素早くふみつぶして消火した。


「強い……」


 誰かの口からため息がこぼれた。

 村人たちの士気が、目に見えて解るほど下がった。


 それでも逆上ぎゃくじょうして飛びかかってくる若者が何人かいたが、ナジは彼らを剣を抜くことなく倒してしまった。


 ナジに敗北した者たちは、ナジに倒されるはしから騎士たちに捕縛ほばくされていく。


 あっという間に、十人以上が縄で縛られ、残った者たちも完全に意気消沈した。


「連れて行け」


 ナジが部下に命じたときだった。


「待って! 待っとくれ!」


 女性の声がした。

 振り向くと、恰幅かっぷくのよい女性が息を切らして坂を上ってきていた。

 女性は、パン屋のおかみさんだった。


「騎士さま、その人たちはみんな、子供や孫が生まれたり、これから生まれるってヤツらなんだ。大事なものがあるんだよ。そこに、魔女がやってきて村が戦場になったらって、不安だったのさ。どうか、温情おんじょうを……!」


 女性の言葉に、静まり返っていた暴徒ぼうとたちが、ひとり、またひとりと口を開いた。


「そうだ……そうだ!」

「魔女が生きている限り、安心できないんだ!」

「俺達は悪くない!」


 ナジは、兜で見えないことをいいことに、眉間みけんにシワをきつく寄せた。


「だが。彼らはすでに……放火と殺人の罪を犯している」


 ナジの言葉を聞いて、パン屋のおかみさんは目を見開いた。

 自分のすぐ横で真っ黒に焼け焦げている、見張り小屋に、震える瞳を向けた。


 そして叫んでいた暴徒たちも、振り上げていた腕を下げ、口を閉ざした。


 今更ながら、自分たちがしたことの恐ろしさに気付いたのかもしれない。



 だが、もう遅い。



 彼らは、声高に弾劾だんがいしていた「魔女」と、同じ罪をおかしてしまったのだ。



「あなた方も全員、北方騎士団のとりでまで連行させていただく。そこから先のことは、我々ではなく、ザビクの玉座の執行機関しっこうきかんにおまかせすることとなる」


 ナジの冷徹な言葉に、何人かが後ずさる。

 逃げようとしているのだろうが、既に周囲は騎士団が包囲している。

 駆け出した一人は、すぐさま騎士たちに取り押さえられた。


「下手に逃亡をはかると罪が重くなる恐れがある。努々ゆめゆめ、抵抗などなさらぬよう」


 ナジは、ついこの間も同じようなことを言ったなと思った。


 努々、抵抗などなさらぬよう――


 言葉同じでも、あの時の感情とは大きく違った。

 守るべきであった民草が、暴徒と化してしまった。


 己の心に住まう恐怖や不安に負けて、犯さずともよい罪を犯してしまった者たちへの、忠告。


 いや、懇願こんがんか。


 頼むから、もうこれ以上、罪を重ねないでくれ――


 ナジが、騎士たちに撤退てったいの指示を出そうとしたときだった。


 パン屋のおかみさんが、悲鳴を上げた。

 彼女の視線は、灯台の上を指していた。


 ナジの立っているところからは、彼女の見ているものが見えなかったので、ナジはおかみさんの元へと駆けよった。


 震える彼女の指先を追い、背筋が凍った。



 彼女が指差した、灯台の上。


 ごうごうと朱く燃え盛るかがり火に背を照らされて。

 海に沈む夕陽を見つめる青年の横顔。


 手すりの上に立って、うつろな瞳をしている、エクトだった。

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