救援要請

 港街の隣、北方騎士団の宿舎。

 ナジは、宿舎にある書庫の扉を開き、資料を読み漁っていた。

 鎧装備よろいそうびは本をめくるのにひどく不便だったので、上半身だけ脱いでいた。もちろん、兜も外している。


 騎士団や修道院などの施設には、過去の記録がたくさん保管されている。

 ナジはひとまず、過去に魔女が現れていないかを調べようと考えたのだ。


 表向きには、リノスが最初の魔女とされている。

 だが、ザビクの玉座はソル・ワサトという反逆者を、人々から隠蔽いんぺいしている。

 教団――ひいては政治において不利益な存在は、隠す体質であるという証拠しょうこだ。


 過去の教団が、魔女の存在を隠蔽、抹消まっしょうした可能性はあると考えた。


 というのも、とにかく「魔女」というものについての知識が、本当にとぼしいのだ。


 神殿にいるお偉方は、我々騎士や兵士は、とにかく敵を倒せばそれでいいと思っているのだろう。

 深く知る必要などない。

 お前たちは、所詮手足にすぎないと。

 頭脳は、国を動かすのは、神殿だと。


 しかし、膨大ぼうだいな量の記録を全て読むとなると、本当に骨が折れる仕事だった。

 それに、ナジは騎士だ。

 それも小隊長。

 女性で、まだ二十八歳という若さでの任命は異例だ。風当たりも強い。


 騎士の本来の仕事も、いつも以上にしっかりこなしたうえ、周囲からも怪しまれることなく調べなくては、いろいろと面倒だ。


「ふう」


 空振りに終わった十数冊目の日誌を棚に戻して、ナジはため息を付いた。


「隊長! ナジ隊長!」


 そこに、部下が駆け込んできた。


 ナジは慌てて、顔を引き締める。


「どうした」


「イエド・プリオル岬から、灯台の兵から救援要請きゅうえんようせいです」


「何……?」


 ナジは驚いた。

 まさか、が動いたのか?


「ふもとの村人たちが暴動ぼうどうを起こしていると」

「暴動? どういうことだ」


「駆け込んできた兵によると、村人たちが松明たいまつを持って灯台に押しかけ、兵士のみはり小屋に火を放ったというのです」


「その兵はまだいるのか?」

「はい」

「話はできる状態か?」

「腕の骨が折れているようですが、話はなんとか」

「連れて行け」


 全く予想だにしなかった事態だった。

 何が起こっているのか、考えが追いつかない。

 ナジは、冷静さを失わないように、必死に己に言い聞かせながら、宿舎の入り口まで走った。


 兵士は、宿舎に入ってすぐのところで床にぐったりと座り込み、医療班の騎士たちに折れた腕の応急処置をされていた。


「ナジ・サイファ小隊長だ。何があったか、説明していただけるだろうか?」


 そばにしゃがみこんで声をかけると、弱々しく顔を持ち上げた兵士を見て、ナジはドキリとした。昨夜、自分をエクトの元へ案内してくれた兵士だった。


「あなたは、昨夜の……」

 

 兵士はナジを見て、大きく目を見開いた。


「た、助けてください。エクトが……彼が……追い詰められて」

「落ち着いて。何があったか、解る限りでいい。話してくれ」


「私は、彼と一緒にふもとの村に買い出しに行きました。わ、私が悪かったのです。私が愚かでした。村人たちが、先日の、光の玉が墜落ついらくしてきた事件を、魔女の仕業しわざであると思いこんでいて、気が立っていると聞いたもので……彼を、エクトを表に待たせて、彼の代わりに私が店に入ってしまったのです。

 エクトを、外に、一人にして……!

 すると間もなく、騒ぎ声が聞こえてきて。外に出ると、老人がエクトを杖で殴っており、何人もの村人たちが、出て行けと叫びながら、石を投げていました。

 私は慌てて止めに入ったのですが、情けないことに返り討ちにあってしまいました」


「見張りのやぐらにいた兵士たちは、君を助けに来なかったのか?」


「あ、あそこにいたのは……魔女に、家族を殺された者たちで……彼らは、エクトが乱暴されているのを……見て見ぬふりをしていました」


「何だと……?」


 ナジは、怒りを覚えた。

 国民全てを守るべき兵士が、個人の感情に振り回されてその責務を放棄ほうきするなど。とても許されることではない。


「わ、私を見張り小屋まで、エクトは肩を貸して連れてきてくれました。しかし、すっかり混乱していて、私を小屋の前に下ろすなり、そのまま灯台へ駆け込んでしまいました。小屋に残っていた兵が、エクトの様子を見に行こうとしたときです。村人たちが、追いかけてきて、手に、松明たいまつや、酒瓶さかびんを持っていた」


 説明する兵士の顔は、どんどん青ざめて、呼吸が乱れていく。

 医療班いりょうはんが、ナジの肩にそっと触れた。

 早く本格的に治療をすべきだと、目で訴えている。


「一人が、酒瓶に、火を点けて、こちらに投げつけてきた。私の、相棒は、目の前で真っ赤に燃えて……」


 彼はそこで、ついに耐えかねたように泣き出してしまった。

 普段は威厳いげんに満ちた、壮年そうねんの男性であろうに、今や、その顔は涙と鼻水と血と泥で汚れて、ぐしゃぐしゃになっている。



「ナジさま、あれが……あれが、人のすることでしょうか? 魔女など……魔女など本当にいるのですか? 人間のほうが、私は、よほど恐ろしい……!」



 ナジの肩に置かれた手に、力が込められた。

 もう限界だという合図だ。


「解った。よく話してくれた。あとは私たちに任せて。奥で、医療班から治療を受けてくれ」


 すっと立ち上がったナジの足を、ガクガクと揺れる兵士の手が、強く掴んだ。


「ど、どうか……エクトを……あの気の毒な青年を……たすけてください……!」


「ああ。必ず助ける。安心して、待っていてくれ!」


 ナジのその言葉を聞くと、兵士の腕は一気に力を失って、床にパタリと落ちた。

 気を失ったらしい。


「彼を頼む」

「ハッ!」


 医療班の騎士にそう言うと、ナジは自分の部下に向かって大声を張り上げた。


「すぐに出るぞ! イエド・プリオル灯台の暴動を、制圧する!」


 部下たちは「おう!」と頼もしい声で応えた。


 ナジは、部下のひとりが持ってきてくれた鎧兜を身に着けながら、エクトのことを心配していた。


 ――どうか、どうか無事であってくれ……!


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