まぶしい世界

 エクトは、パン屋のおかみさんに頭を下げて、よろず屋へ向かった。

 少し怖かったけれど、魔女が憎まれて、自分が歓迎されていないのはいつものことだから、と腹をくくってしまった。


「君はここで待っていなさい。ランプの油だろう? 僕が買ってこよう」

「え?」


 よろず屋に着くなり、兵士がそう言いだした。


め事はお互いのためにならないってだけさ」


 そう言って、肩をポンポンと叩くと、兵士は中に入っていった。

 エクトはハラハラしながら、一人残されて扉の前に立っていた。

 外で、兵士が自分の見える場所にいなかったことなど、初めてだった。


 どうしよう。早く出てきてくれないかな?


 おかしなものだ。最初は監視される毎日が、きゅうくつで仕方なかったというのに。

 それが十年も続けば、監視なしで外に立っていることが、こんなにも怖くなるなんて。


 早く灯台に帰りたい。

 かがり火の横で、絵を描きたい。


 そんなことを思いながら、目を閉じて、祈るように待っていると、不意に、腕に衝撃しょうげきを覚えた。


「いっ、いたッ……!」


 直後、足になにか固いものが落ちてきた。

 目を開けると、それは小さな石ころだった。


 反射的に、どこから飛んできたのかと周囲を見ると、遠巻きにこちらを見ている人々が何組かいた。


 人々はエクトと目があうと、サッと視線を外し、何事もなかったかのように立ち去るふりをした。そして少し離れた物陰ものかげでまたこちらを伺い始める。

 いつもの景色だった。

 だが、その中に、一人だけ立ち去らず、目も反らさずにこちらを見つめている、杖をついた老人がいた。


 石を投げたのは、彼だと、エクトは気付いた。


 彼は、昔からエクトをよく思っていなかった。

 会うたびに、嫌悪のこもった目でにらみつけ、買い出しの最中ずっと、少し離れた場所からこちらを見ている、そういう人だった。


 ――この人のほうが、当たり前なんだよな。


 おかみさんや、優しい兵士、それにナジのような人とばかり話していると、忘れてしまいそうになるが、彼の反応こそが「普通」なのだ。


 何せ、天上の神々から放たれた恐ろしい魔女の、弟であり、その魔女をここへおびき出すためのエサなのだから。



「兵士はどうした。なぜ、ひとりでいる!」



 老人が怒鳴どなった。


 直接話しかけられたのは、初めてだった。


「あ、い、います。ちゃんと。その、中に……」


 エクトが店の方へ視線を動かしたとたん、老人は二つ目の石を投げつけてきた。


「痛っ……」


 今度は左肩に当たった。


「この前の落ちてきた星は、あれはなんだ! お前のところに魔女が来る、前触まえぶれじゃないのか!」


「ち、ちが……」


「お前がいるだけで、わしらは十年間、夜も満足に眠れん! 魔女がここに来れば、この村は焼け野原だ! 若いものどのは、お前がいれば村に金が入るなどとぬかすが、金などいくらあったところで、魔女がこの村を焼いてしまえばおしまいだ!」


「……ッ!」



 今までなら、言い返せなくとも、姉ならそんなことはしないと思えたのだが、は姉ではないかもしれないという、ナジの言葉を思い出して、今更にエクトは空寒そらさむい心地になった。


 そうだ、姉でないのならば、本当に、村を焼くくらいのことはするかもしれない。

 だって、は、十年前に聖都の神殿を襲い、騎士に追い払われてマルフィーク大森林に逃げたとき、追ってきた騎士たち十八人を、一人残らず――焼き殺したのだ。


 十八人もの人を、残酷に、無慈悲に、一瞬で消し炭にしたのだ。


 姉だったなら、もしかしたら、再会できたら説得できるかも知れないと、どこかで思っていた。

 でも、姉ではないのなら、説得などできるわけがない。

 ましてや、本当に予言のとおり、天から降ってきた神なのだとしたら、こんな矮小わいしょうな人間一人のことなど、何とも思うまい。



 気付いてしまったら、急に足が震えだした。

 汗が全身から吹き出すのが分かる。

 恐怖と不安で、心臓が暴れだした。



「お前、なぜ黙っている……! やっぱりこの前の星は、魔女の仕業しわざなんだな!」



 それは、本当にそうなのだと、ナジが言っていた。

 でも答えられない。

 魔女がどうしてそんなことをしたかもわかっていないのだ。


「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……」


 気付けば、エクトは震える声でそうつぶやいていた。

 この謝罪を「先日の光球は魔女の仕業であると」認めてのことだと受け取った老人は、カッと目を見開いて、大声を上げた。


「聞いたか! 認めたぞ! みんな聞け! この前岬に落ちた星は、魔女の仕業だ! 魔女が村を焼きに来るぞ! このままでいいのか!」


「ち……ちが……」


 慌てて、ちがうと言おうとしたが、老人の正気を失うほどの憎悪の瞳と、振り上げられた杖を見て、エクトの頭は、真っ白になった。


 こわい


 杖が振り下ろされた。


 こわい


 歯噛はがみがあわない。


 エクトは頭を抱えてうずくまる。


 その背中に、もう一度、杖が落ちてくる。


 いたい

 こわい


 近くの家からも、騒ぎを聞きつけた村人たちが出てきた。

 少し離れた場所で、ずっとこのやりとりを見ていて、老人と同じように勘違かんちがいをして、石を手に取った青年がいた。


 ひとり、またひとり。


 おじいさん

 おばあさん

 おにいさん

 おねえさん

 おじさん

 おばさん

 ちいさなこどもまで


 エクトに石を投げつけてくる

 杖を叩きつける

 口々に、ひどい言葉をなげかけてくる



 こわい

 いたい

 こわい

 いたい



 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい





 いつの間にか兵士が店から出てきて、村人たちをなだめようとしていた。

 だが、村人たちは止まらない。


 エクトが顔を上げたとき、兵士は若い村人たちに取り囲まれ、殴られていた。


 ああ……優しくしてくれた人が、自分に優しくしてくれた人が……!

 騒ぐ民衆の背後に、パン屋のおかみさんの姿が見えた瞬間、エクトの中で何かが弾けた。


 エクトは、立ち上がった。

 老人の杖が、エクトの顔に当たった。

 歯が折れて、口の中が切れた。

 老人が、さすがにおどろいて一歩下がった。

 エクトは構わず、駆け出す。


 人々は、突然突進してきたエクトに驚いて、一歩引いた。


 その隙に、若者たちに殴られていた兵士を助け出し、彼に肩をかすと、村の出口の方へと、可能な限りの速さで走り出した。


「ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 エクトは、完全に我を忘れて、涙をボロボロとこぼしながら、村から逃げ出した。

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