イエド・プリオルの村

 ナジが帰ったあと、エクトは睡眠不足だというのに、なかなか寝付けなかった。

 かがり火の横で、ぼんやりと星空をながめて、ソルは無事だろうかなどと考えていた。


 ナジの言うとおり、もし姉を取り戻すことができたら?

 姉が、罪人ではなくなったら?


 それはどれほど、素敵なことだろう。


 けれど、もしそうなったらどうすればいいのだろう?


 姉と二人で、どこか静かなところで暮らせるだろうか。


 もし、そうなったら、胸を張ってソルに会えるだろうか。


 ナジは、ずっと自分たちを守ってくれるのだろうか?


 今考えたって仕方ないような、無駄な思考がぐるぐる頭のなかをめぐって、ずっと心がザワザワしていた。


 ようやくエクトが眠りについたのは、朝陽が昇り始める頃だった。



 ぐっすり眠ったと言うより、仮眠をとった程度の睡眠時間で、さすがに眠かったが、エクトはまぶたをこすって無理やりベッドから起き上がった。


 今日は、貴重きちょうな買い出しの日なのだ。


 出発の時間に遅れて、監視かんしの兵士の機嫌が悪くなっては困るので、エクトはいつも急いで支度して、兵士が来るのを、外への扉の前に取り付けられたおりの手前で待つようにしていた。


「やあ、早いね」


 幸いにも、檻の鍵を開けに来たのは、中年の兵士だった。

 彼なら、乱暴にされたり、ひどいことを言われたりすることはない。

 エクトは、ほっと胸をで下ろした。


「おはようございます。今日は、よろしくお願いいたします」


「こちらこそ。今日は村の方でいいかな?」


「はい」


 エクトは、絵を売って手に入れたわずかなお金と、大きめの麻袋を持ってでかけた。


 村は、岬から坂道を下っていけばすぐのところにあり、移動時間が短くて済むが、その代わり品揃えは少ない。


 ほぼ食糧しょくりょうを手に入れるためだけに行くようなものだ。


 だが、村の食糧はどれも新鮮で美味しかったので、エクトは満足している。

 それに、村の人たちはエクトを攻撃したりしない。

 ほとんどの人が怯えたり、汚いものを見るようにしてけていくが、さすがに十年も暮らしていると、友好的になってくれた人も何人かいる。


 これは、ここに住んですぐの頃、兵士たちの世間話が聞こえてきて知ったことだが、ふもとの村の人々は、エクトが灯台に住むことを了承する代わり、ザビクの玉座からかなりのお金を定期的に支払われているのだそうだ。


 それに、今エクトが担当している灯台の火の番は、元は村人たちが交代で行っていたことで、昼夜を問わず来なくてはいけないので、皆が嫌がる作業だったらしい。


 村の人々からすれば、嫌な仕事はなくなるし、生きているだけでお金がもらえるので、なかにはエクトが灯台にいることを歓迎している者もいるというのだ。


 もちろん、「金なぞいらないから出ていってくれ」と今でも思っている人も少なくはない。


 だが多くは「金はほしいが、関わりたくない」が本心であるようだった。



 事実、エクトが住み始めた頃に比べて、村は豊かになっている。


 家はほとんど新しく建て直されたし、皆のいこいの場であろう広場には、小さな村には似つかわしくない立派な噴水ふんすいがあるし、農家の人々の道具はいつもピカピカで、村人たちの服もつぎはぎなんて見たこともない。

 同じ大きさの他の村に比べたら、異様なほどだろう。


「ああ、ここだよ、あの光の玉が落ちたのは」


「え?」


 急に兵士に声をかけられて、考え事をしていたエクトは裏返った声を出してしまった。


「ほら、一昨日の夜、空から落ちてきた玉さ。昨日の騎士さまによると、正体が何であるかの目星はついたので、もう調査の必要はないんだとか……偉い人たちの考えはよくわからんね。現場も見ないで目星がつくなんてさ」


「は、はあ」


 つまり、ソルとナイルスが墜落ついらくした場所ということだろう。

 確かに、以前この兵士が言っていたように、地面が大きくくぼんでいるけれども、それだけで、木が折れているだの、何かの破片はへんが散らばっているだのということもなかった。


 調査の必要なしとナジが言ったのは、ソルの存在が極秘ごくひだからなんだろう。

 そう言えば、ナジにはソルに出会ったことを話せなかった。

 これから姉のことで協力してくれるというのなら、話した方が良かったのかも知れないが、何となく、ソルを裏切るようなことだけはしたくなかった。


「さあ、村に着いた。あとは君に合わせて行動するよ。好きなお店から回ってくれ」

「え……いいんですか?」


 普段は、兵士が向かう店を決める。エクトが逃亡をくわだてるのを防止するためだろうと、エクトは思っていた。


「ああ。他のヤツらがいるときはできないけど、今は二人きりだしね。その方が君は買い物がしやすいんじゃないかと、前から思ってたんだ」

「あ、ありがとうございます」


 港街まで行くときは必ず二人の兵士が着いてきたが、村に来る時は一人だったり二人だったり、その日よってちがう。

 どういうルールなのかは、エクトの知るところではない。


 ひとまず、エクトは自分に優しい兵士が来てくれた幸運をかみしめながら、まずはパン屋に向かった。

 野菜や果物はエクトが買ってくれたものが少し残っているから、そんなにたくさん買う必要はない。


「いらっしゃい、エクト」


 パン屋に行くと、おかみさんが店の前で笑顔で迎えてくれた。


「おはようございます」


 エクトは店内には入らない。

 店内に他のお客さんがいるかもしれないし、何より「魔女の弟が入った」となると、その日は客が寄り付かなくなると、他の店の店主が迷惑めいわくそうに言っていたのだ。

 それを聞いて以来、エクトは店内には入らず、いつも同じものを店の前でおかみさんに持ってきてもらうようにしていた。


「あの、いつもの、ありますか?」

「ああ、あるよ。今日はいくつにする?」

「三つ、ありますか?」

「ちょっと待ってておくれ」


 ここのおかみさんは、エクトに親切な少数の人たちのなかでも、初対面から優しくしてくれためずらしい人だった。

 他の人たちが少しずつエクトと話してくれるようになったのも、このおかみさんの影響が大きい。


 エクトは、この人には心から感謝しつつ、どこかで申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます。ええと、三つだから……これで」

「はい、ちょうどいただくよ。お買い上げありがとう」


 エクトは料金を支払うと、紙で包んでもらった大きめの丸いパンを三つ、麻袋に入れた。


「今日は、他に何を買う予定なんだい?」

「はい、ランプの油を買っておこうかと……」

「おや、そうなのかい? じゃあ、よろず屋さんに行くのかい?」

「ええ……」


 急におかみさんの表情がくもったので、エクトは不安になった。


「油、もうないのかい?」

「え、ええ。少し心もとなくなってきたので……どうかしましたか?」


 おかみさんは、キョロキョロと辺りを見回した。

 数人のご婦人が、遠巻とおまきにこちらを見ているのに気付くと、おかみさんはそちらに背を向けて、声をひそめた。


「いやね、ついこの間、星が降ったろう? あれがなにかの凶兆きょうちょうなんじゃないかって……よろず屋の旦那さん、イライラしていてねえ」


「ああ……そうだったんですか」


 落ち込んだ声でエクトが答えると、兵士が慌てた様子で、一歩前に出た。


「あれについては、昨夜北方騎士団の小隊長さまがいらして、既に解決したことだから心配無用と言っていました。どうぞ、安心してください」

「おや、そうなのかい? 騎士さまがそう仰るんなら安心だねえ。じゃあその話、皆に伝えてやっておくれよ。兵士さんの口からさ。いやね、ほら、みんなやっぱり、ね」


 おかみさんが言葉をにごした。


 ――みんなやっぱり、魔女の仕業なんじゃないかって思っているんだよ――


 エクトには、しっかりそう聞こえていた。





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