かけひき

 ソルとナイルスが森に足を踏み入れて、間もなく一時間という頃。


 それは突然のことだった。



 ――何の用だ。



 女の声だった。

 ソルは驚いて周囲を見渡したが、何も見当たらない。

 だが、その声は確かに、どこからともなく聞こえてくる。


 ――人の子を連れて、何の用だ。タイル。


「タイルって……」


 ソルは驚いてナイルスを見た。

 ナイルスは、虚空こくうを見つめて、ソルの肩からふわりと飛び立った。


「久しいな。ダナブ。昨夜はよくも、吹き飛ばしてくれたものだ」


 昨夜。ということは、この声の主が、ソルとナイルスを北の外れまで吹き飛ばした張本人ちょうほんにんということか。


 ――何の用だと聞いている。しかし、人の子等は無能だ。邪魔なお前たちらえるようにと、伝えたのだがな。


「フン、やはり騎士団に伝えたのはお前か。相変わらず、我が憎いようだな」


 ダナブと、ナイルスが語りかけた声が沈黙した。


 ソルは、じっと、いろいろと口をはさみたいのをこらえて待っていた。


「どうだ、ここは一時休戦いちじきゅうせんといかないか。我らの目的は、同じはずだ」


 ――貴様と一緒にするな……!


 ザワザワと、風もないのに樹々が揺れた。


「おい、ナイルス、怒らせてないか?」


 耐えかねたソルがナイルスに後ろからささやくと、ナイルスは小さな声で「黙っていろ」と言った。

 ちょっとだけ、焦っているように聞こえた。



「ダナブ。お前、ここにみ着いて何年になる。人間どもが魔女と呼んでいるのは、お前のことだろう? 未だこの森にいるということは、お前の策も、思うように進んでいないのではないか?」



 ダナブは答えない。



「お互い、今の状況がこれ以上続くのは良いことではあるまい。どうだ、今だけ、共同戦線といかぬか。我には、策がある」



 しばしの沈黙。



 ダナブの姿が見えないだけに、ソルは少し不安になった。


 ナイルスに、無視されてないかと聞こうとしたその時だった。



 ――この、ポムの樹か?



「やはり見つかっていたようだな」



 ――当然だ。お前がここに種を落としたとき、私は既にこの森にいたのだ。刈り取らずいただけ、有難いことと思え。


「それを使えば、アイツを夢からますことができる……! 長い夢を、終わらせることができる」



 ナイルスのこの言葉は、九年前にソルが聞いたものと同じ言葉だった。



 長い夢を、終わらせに来た。


 我とともに来い。


 人の子よ。



 この言葉から、死にかけていたソルの人生が、息を吹き返したのだ。



 ――来い。



 ナイルスとの出会いに思いをせていたソルの耳に、ダナブの声が聞こえた。ふと前を見ると、樹々の合間から白い光が、ぼんやりと現れた。


 よく見ると、それは白く輝く不思議なランタンをくわえたフクロウだった。

 フクロウは、ナイルスの前に舞い降りて、うやうやしく頭を下げた。

 ナイルスは満足げにうなずいている。


 そして、フクロウが再度羽ばたき、来た道を戻り始める。


「ソル。あれについていくぞ」


「う、うん!」


 フクロウの美しさに見とれていたソルは、慌てて駆け出した。



 フクロウに案内されて通った道は、見事に獣道けものみちだったが、不思議なことに、森の植物たちがソルのために、風に吹かれたように倒れて道を作ってくれた。


「わあ、すげえ! なんだこれ!」

「ダナブの魔法だろう」


「すごいな、なんかかわいく見えてきたな、草!」


 ナイルスが、ソルの肩でフンと鼻を鳴らした。

 ソルは、緊張半分ワクワク半分といった気持ちで、フクロウの後を追いかけていった。


 一刻ほど歩くと、樹の向こうにオレンジ色の灯りが見えてきた。



「あっ! 家? 家があるぞナイルス!」



 一度深く踏み入れば、二度と出てくることは叶わない、原初の森。

 神の領地とさえ言われたマルフィーク大森林のど真ん中に、ずいぶんとかわいらしいログハウスが一軒、建っていた。


 絵本にでも出てきそうな煙突えんとつがついた、丸太でできた家。



 そしてそのドアの前に、星空色のローブをまとった、黒髪の女性が立っていた。



「ようこそ、人の子よ」


 その女性は、口の端をくいっと持ち上げて笑い、先程森で聞いた声と同じ声でそう言った。

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