夜の森

 ソルとナイルスが森の上空に戻ってきたのは、深夜になろうという頃合ころあいだった。


 途中、一度降下して数時間仮眠をとってからここに来た。

 ナイルスはずっと飛んでいても構わなかったが、ソルには休憩きゅうけいが必要だった。ナイルスの背で眠っていて、うっかり落ちたら大変なので、ソルの仮眠は地上でというのが、一人と一羽の間の約束ごとだった。



「本当に、一瞬で飛ばされたなんて信じられないくらい遠かったな」


 ソルがあくびまじりで言った。


「お前、我の背に乗っておるだけであろう。その遠かった距離きょり、お前を乗せて飛んだ我に、何か一言あってもいいと思うぞ」


「ナイルス! ありがとう~!」


 ソルはそう言うと、おどけた様子でナイルス頭をワシャワシャにで回した。


「コラやめないか! 全く……!」


 ナイルスはそう言いながらも、まんざらでもなさそうだった。


「それで、ここからどうするんだ? また、ど真ん中に降りるのか?」


「いや、我らの家から、森に入ろう」


「えっ! いいけど……あそこから入ったら森の真ん中なんてめちゃくちゃ遠いぞ」

「仕方ない。最短距離さいたんきょりを行ってはまた吹き飛ばされる。今度は生命ごとな」


 そう言うと、ナイルスは東に向かった。

 森の東側。

 小高い山があった。

 山の西側はマルフィーク大森林に取り囲まれており、逆の東側は断崖絶壁だんがいぜっぺき渓谷けいこくとなっている。

 この山に入りたければ、原初のままここにあり、中に踏み入れると二度と出てこれないと言われる深い深いマルフィーク大森林を通り抜けるしかないという場所だ。


 ただし、ナイルスのように空を飛べる者だけは、別である。


 この山の中腹ちゅうふく。樹々に囲まれて、ふもとからは絶対に見えない場所に、ナイルスとソルの拠点きょてんがあるのだ。


 立派なみき老木ろうぼくの上にある、素朴そぼくで簡素な、手作りの小さな小屋ツリーハウス

 これがソルたちが、十年近くも騎士たちから見つかることなく暮らしてきた場所だった。



 ソルは、一度家に入って、軽く荷物を整理すると、可能な限り身軽にして、ランタンを持ってから出てきた。


「よし、では行くぞ」


「でもナイルス、ここから森に入ったことはあるけど、狩りのためにすぐそこまでって感じだっただろ? ここから徒歩で真ん中を目指したことなんてないじゃないか。迷わずに、行けると思うか?」


「心配ない。迎えにきてもらうさ」


 ナイルスは、小さなカラスほどの大きさになって、なぜか自信満々に答えた。


「迎えって……誰に?」



「女神にさ」



「めがみ? ナイルスの言うことって、時々よくわかんないよな。おもしろいけど」


「ソル、お前がそういう性格で本当に良かったと思うぞ」


 ナイルスはそう言うと、ソルの肩にとまった。

 ソルは、意を決して森の中に足を踏み入れる。


「まっすぐ進め、ソル。アイツの領域りょういきに入れば、必ずあちらから手を出してくる」


「よくわかんないけど、信じてるぜ、ナイルス」


 へびや野犬、熊など、危険な動物の気配にも気をつけながら一歩一歩前進していく。


 愛用の棒がない今、ソルが自分の身を守るためのアイテムは、ナイフ一本。いささか不安だが、ナイルスが一緒ならばどうにかなると思えた。


 しばらく進むと、がさりという音がして、ソルの前に何かが飛び出してきた。

 牙のついた口と大きな鼻。イノシシだ。

 すごい速さで向かってくる。

 ソルが一歩下がると同時、ナイルスが前に飛び出した。


「愚か者め」


 ナイルスがそう言うと同時、イノシシの目の前に、前触まえぶれもなく炎が現れた。


 ごおっという音を上げて、虚空で燃え上がった炎を見て、イノシシは「ブギィ!」と鳴き声を上げて立ち止まった。

 ブレーキが間に合わなかったのか、鼻先を少し焦がしたようで、イノシシはパニックになってのたうち回り始めた。


「去れ、我らの邪魔をするな」


 ナイルスの声が、聞くものがすくみ上がるような威圧いあつとともに闇夜に響く。


 しかし我を忘れたイノシシは怒り狂い、ナイルスに向かって行った。


「あわれな」


 ナイルスの静かなささやきのあと、炎は形を細長く変え、放たれた矢のように飛び出して、イノシシの頭に突き刺さった。


 イノシシは断末魔の叫び声をあげて、炎に包まれた。

 一瞬して、イノシシであったものは炭と化す。

 普通の炎ではありえない速度で、イノシシの生命を燃やし尽くした。


「ああー……」


 ソルがため息を付いた。


「食糧……」


 しょんぼりとつぶやく。


「今は食うている場合ではあるまい。お前も焦がされたいか」

「は~い。でも、ナイルスの魔法って、いつ見てもすごいな。さすがにすごすぎて、怖いくらいだけど」

「正しい感情だ。魔法を恐れぬようになってしまっては、それはもう人間ではない」

「ふうん?」


「魔法を恐れぬというのは、決して勇敢などではない。もはや。狂気よ」


「そう言えば、昔もそんなこと言ってたな、ナイルス。そんなヤツ、いるのか?」



「――ああ。大昔に、ひとりな」



「へえ」


 ナイルスの声が、いつもより少しだけ低く、暗い気がして、ソルはそれ以上聞くことができなかった。

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