光明

 今朝の顛末てんまつを話し終えたナジが、真剣な瞳でエクトを見つめた。


「その……魔女が言った『反逆者』っていうのは、本当に街にいたんですか?」


「ああ……ただ、この反逆者については内密に願う。兵士たちも知らない話だ」


 なぜ、そんな話を自分にするんだ。


 エクトは少しイライラした。

 ナジは名前こそ出さなかったが、内密にしてほしい反逆者というのは、おそらくソルだろう。

 ソルが自分のところにいたことを知って、それで話しているのか。


 それとも、他に何か考えがあるのか。



 エクトは、現実感を喪失そうしつしていた。うまく頭が回らない。


 いずれにしろ、ナジの話す「魔女」の話は、何だか、姉の話だとは思えなかった。


「何だか、僕の知っている姉さんでは、なくなってしまったように、思います」


 ボソリと、ようやくそれだけをしぼりだしたエクトの肩を、急にナジの両手がつかんだ。


「そう……そうだ!」


「え?」


 エクトはおどろいて目を見開いた。

 自分の両肩を握りしめて、真正面からこちらを見つめてくるナジの、あおい瞳がれている。




「あれは、リノスじゃなかった……!」




「どう、いう……ことですか?」


 現実感が戻ってこないままのエクトは、この状況に理解が追いつかない。

 混乱して、手が震えてくる。


「身体は、リノスのものなのだろうけれど……何か、ちがうが入っているような……」



 ――何を。

 この人は何を言っているんだろう。



「今朝のリノスは、君のことを『リノスの弟』と言ったんだ。まるで、自分はリノスではないとでも言いたげじゃないか」



「そ、そんなこと……」


「私はこの話を上司にも伝えた。自分でも突飛とっぴな考えだとは思う。だが、どうしても今朝のリノスがだとは思えなかったんだ。

 上司は聞き入れてくれなかった。魔女になったのだから、すでに正気ではないのだろうと」



 エクトの肩を掴む、ナジの手に、いっそう力がこめられた。



「私の考えが正しければ、我々は、リノスを取り戻すこともできるかもしれないと……思わないか?」



「……え?」


「君は『魔女』とは何なのか知っているか?」


「……!」


 エクトは、ドキリとした。

 実はよく知らなかった。

 十年前のあの日、ザビクの玉座ぎょくざがリノスを「魔女である」と発表したときから、皆が口をそろえて姉を「魔女」と呼び、自分たちを「魔女の家族」と呼び出した。


 まるでみんな、昔から知っていたかのように、当たり前のように「魔女」という言葉を使う。

 でもエクトにとってはあの日、初めて聞いた言葉だったのだ。



 誰も説明してくれないから、魔女の弟には教えられない話なのだろうと思っていた。



「魔女という言葉は、ザビクの玉座の経典きょうてんの中にある、星守ラスアーの予言の項目に出てくるのだ。

『いつか必ず、天からの追手がやってくる。それらは魔法をあつかう。魔女かあるいは、魔法使いの男か』と書かれている。

 魔女とは、魔法を使うことができる、天からの追手のこと。

 我らの神、ナスル神さまを天へと連れ戻しにきた者、ということになる」


「天からの追手?」


 姉は、天から降りてきたものなのではない。

 姉は、ずっと自分たち家族と一緒にいた、普通の少女だったはずだ。



「ここからは、私の仮説かせつだ。間違っているかも知れない。君に、話すべき仮説ではないかもしれない。だが……」



「聞かせてください」


 気付けばそう答えていた。

 ナジは一瞬いっしゅん驚いたように目を見開いてから、ゆっくりうなずいて続けた。


「もし『魔女』が天から降ってきて、リノスの身体を乗っ取っているのだとしたら……!」


「……ッ!」


 唐突に、エクトの脳裏のうりに、姉との最後の会話がよみがえった。



 ――エクト。私が生まれた日に、星が降ったって知ってた?


 ――私が生まれた日、空に星が流れて、とてもきれいだったって、お母さんに聞いたの。


 ――そうね。私もそう思った。運命なんだって……



 まさか……


「姉さんが、生まれた日、星が降った……その星が、魔女だったなら……姉さんは、運命だと思ったって……ずっと、生まれたときからずっと、魔女が姉さんの身体の中にかくれていたとしたら……」


「! 思い当たるふしがあるのか?」


 エクトは、震える声で、たどたどしく、ナジに姉との最後の会話の内容を話した。


 ナジの瞳は大きく見開かれて、希望に輝き始めた。


「やっぱり……! やっぱり、リノスの魂は魔女ではないんだ、きっと、きっとそうだ」


「けれど、そうだったとして、僕たちに何ができるのでしょう? 本当に姉を取り戻すことが、できるのでしょうか?」


 エクトは、自分の心に芽生え始める希望を、光を、必死に見ないようにしていた。

 無理に決まっている。希望など、お前は持ってはいけないのだと、心の奥底おくそこから暗い瞳の自分が足を引っ張っている。



「それは、私が調べよう。取り戻す方法を探し出す。例え一生がかかろうとも」


「……!」


 驚いた。

 この騎士は何を言っているのだろう?


 姉を、罪人を取り戻す方法を、一生をかけても探し出すと?


 この人は家族ではない。

 姉とわずか一ヶ月足らずの間、親しくしていたというだけ。

 それも、幼い子供の頃のことだ。


 どうしてそれだけしかつながりのない相手に対して、それほどのことを思えるのだろう。


 世界中から憎まれているような人物を、小さい頃に仲良く遊んだというだけで、人生をかけて取り戻すだって?



「あの、どうしてそこまでしてくれるんですか?」



 エクトは、意を決して聞いてみた。


 ナジは、目を見開いて、夢の中から急に現実に引き戻されたような顔をして、そっとエクトの肩から手を離した。


「そう。そうだな……笑わないでくれるかい?」


「え? ええと、はい」


「私は子供の頃から騎士になるのが夢だったんだ。そういう家系だったが、両親は男児だんじに恵まれなかった。それでずいぶん、親族たちからひどいことを言われてね。

 私は、女でも騎士になれるのだと証明したかった。

 そんな夢を、笑わずに聞いてくれて、応援してくれたのは、リノスだけだったんだ」


「そう……だったんですか」


「たった一人だった。リノスと別れてからの二十年近い時間、こうして騎士になれたのも、今も騎士としていられるのも、リノスが私の背を押してくれたからなんだ。リノスとの日々は、私にとって本当に特別だった。

 幼すぎて、リノスの住所を聞くとか、そういうこともできずに、でも当然また会えると無根拠むこんきょに信じて、思えばずいぶんあっさり別れてしまってね。

 いつか必ず、騎士となって聖都に配属されて、リノスに会いに行こうと決めていた。それだけが、心の支えだった」


 姉さんなら、たしかに人の夢を笑ったりしない。

 魔女ではない姉の姿を、久しぶりにしっかりと思い出した。

 そして、エクトは、本当に久しぶりに、姉を「魔女」と呼ばない人に出会ったことに、ようやく気付いた。



 ――この人なら。



 エクトは、心の底に希望が灯るのを、止めることはできなかった。

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