少女が魔女となった夜

 黒髪に、灰色の瞳の少女が、街外れの丘の上でひとりで立っていた。


 少女は、いつもの活発な服装とは違い、夜空色よぞらいろの長いローブをまとっていた。


「さあ、待たせたわね」


 少女が、虚空こくうに両手を差し出す。


 すると、少女の胸が白く輝き、その光は彼女を包んでいった。


「いいの。決めたのよ。私」


 少女は姿も声もない、何者かの問にこたえるようにそうつぶやいた。


 その声を残して、少女は完全に光に包まれた。


 そして、光が消え去ると、少女は腕をおろして、そっと目を開いた。


 真っ白になった瞳孔どうこうが、ぎょろりと動く。

 遠くに見える、聖都の灯りをにらむと、彼女はふわりと宙に浮き上がった。



「――感謝する。リノス」



 その声は、本来の少女の声よりも、わずかに低く、夜空に響いた。


 ローブのすそが、ゆらりと揺れたかと思うと、少女の身体が聖都せいとに向かって移動を始めた。

 高度をぐっと上げて、聖都の入り口の門よりもはるか高くまで上昇。そこから一気に、聖都の中心に向かって、一直線に頭から飛び込んでいく。


 身体が光り輝いていれば、それはきっと星が降ったように見えたことだろう。


 迷うことなく、門の上空から滑空かっくうして聖都の中に侵入した、空飛ぶ少女の姿を、数人の見張りの騎士が見ていた。

 目を疑いながらも、彼らは動いた。


 白いよろいに全身を包んだ騎士たちが、戸惑とまどいの声を上げながら、それでも彼らの任務を遂行すいこうせんと、侵入者を追いかける。

 静かだった聖都の夜に、騎士たちの足音と困惑こんわくの声が響く。



 人間になど興味はないと言いたげに、少女は何もかもを無視して、あっという間に、神殿の中央にある、大きなドーム状の屋根の上にたどり着いていた。


 この国――アスクレフィオス聖王国の政治と信仰の、全ての中心である、ラスアルハワー神殿の、最奥さいおうの上空に。



「今――今、行くぞ」



 少女は、感慨深かんがいぶかそうにそう呟いた。


 直後――少女の両手から光の一閃いっせんが、真下に放たれた。


 騎士たちが、聖職者せいしょくしゃたちが、悲鳴を上げることすらできずに息をんだ。


 一閃は、爆発音とともに、神殿の屋根を破壊した。


 少女はそこから、神殿の中枢ちゅうすうへと降り立っていく。



 その全てを、神殿の中庭から見ていた聖職者の一人が、震える声で言った。



「魔女だ……!」



 この瞬間、彼女は魔女となった。



「止めろ! 魔女だ! 我らの神をお守りしろ!」

星守せいしゅラスアーよ! どうかお守りください!」


 口々に叫びながら、騎士と聖職者が、神殿の中へと、聖堂せいどうの奥へとなだれこんだ。


 ここから先の中枢は、普段は入ることが許されない。

 たどり着いた騎士たちも、司祭であり国の首長しゅちょうでもある、聖王せいおうの許可がなくては入れないため、立ち止まった。

 幸いにも、すぐに聖王猊下は現れた。


「魔女は、この中なのだな……?」


 聖王は青ざめた顔でそう聞いた。騎士とともに駆けつけていた聖職者せいしょくしゃたちが、聖王に現状を報告する。


 聖王は、たっぷりと生地を使った、豪奢ごうしゃな、白地に金や青の刺繍ししゅうがほどこされたローブを着ている。白いひげをたくわえた、優しさと厳格げんかくさがにじみ出た顔の老人だ。

 厳しい瞳でしばし悩んでから、一歩踏み出す。


「私が、まずは中に入ろう。相手が魔の者ならば、力押ちからおしに意味もあるまい」


 威厳いげんに溢れた声でそう言うと、聖王は中枢への扉に手をかけた。


 ――その時。


 扉が白く光った。

 驚いた聖王がその手を離すと、先程の爆発で開いた屋根の穴から、白い光がふくれ上がり、魔女が吹き飛ばされていった。


 騎士が、聖職者たちが、そして聖王もが、唖然あぜんとした。

 聖職者の一人がハッとして、騎士に吹き飛ばされていった魔女を追うようにと言いつけた。

 騎士たちが、あわただしく外へ出ていく。


 聖王が扉を開けた。


 その先にあったのは、天井に穴が開いている以外は、いつもと変わらぬ景色。



 中央にガラスのひつぎ。それを取り囲む、いろとりどりの花。



 不思議なことに、破壊された天井のガレキたちは、部屋の隅の方にちらばって、花と棺はちり一つかぶっていなかった。


「おお……! 星守せいしゅラスアーが、おまもりくださった……!」


 聖王が感動の涙を流しながらそう言うと、その場にいたものは皆、こうべをたれて、神と戦天使いくさてんしに祈りをささげた。




 一方、吹き飛ばされた魔女は、聖都の門の外に墜落ついらくしていた。

 ところどころに傷を負って地面にしている彼女は、弱っているように見えた。

 騎士たちがここぞとばかりに、彼女をとらえようと伸ばした手が――


「うわああああああ!」


 手が、ちぎれて、吹き飛んだ。


 騎士は、完全に痛みと恐怖で混乱している。

 後に続いていた者たちも、すくみあがった。


 少女は……魔女は、白く光る両目に憎悪ぞうおをたぎらせ、返り血にまみれた上半身を起こして、騎士たちをにらみすえていた。


「――オノレ……おのれ……」


 魔女のくちびるふるえる。


「人間めえっ!」


 魔女はそう叫ぶと、一気に空に上昇した。

 そして、南へと飛んでいく。

 後から馬をってきた騎士たちが、その魔女を追いかけていった。


 この国に魔女が現れたのは、この夜が初めてであった。

 聖職者や騎士のほとんどが、自分たちには戦天使いくさてんし星守せいしゅラスアーの加護かごがあるのだから、魔女などすぐに退治できると、思っていた。


 このときまでは。


 人々が、魔女というものの恐ろしさを、本当に思い知るのは、翌朝――南端なんたんの地にある、マルフィーク大森林の入り口で、魔女を追っていった騎士たちが、無残な焼死体となっているのを見つけた、その時だった。

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