第三章 希望と絶望と

赤毛の騎士

 ソルが買ってくれた果物を食べたエクトは、かがり火を確認する時間になるまで仮眠かみんをとっていた。

 ベッドにもぐりこんで、すやすやと眠っていると、久しぶりに子供の頃の夢を見た。


 幼い頃、聖都せいとの近くの村で、家族みんなで暮らしていた頃の、幸せな夢。


 かしこく、しっかりものだった姉の後ろを、いつもエクトは追いかけていた。

 姉が読む本は難しかったけれど、隣で絵本を読めば、自分も賢くなれている気分になれた。

 姉の遊びは、とにかくやんちゃで、学びに溢れていたけれど、二つ年下の小さな男の子のがついていくには、かなり大変だった。


 ある時は、虫の巣を観察かんさつすると言って、ほとんど一日中木の上にいたり。


 ――僕は、木に登れなくて、ずっと木の下で待っていたっけ。


 またある時は、川に流されそうな子犬を見つけるなり飛び込んで、あわや流されかけたこともあった。


 ――あのときは本当に、心臓が止まるかと思うほどハラハラした。


 そんな懐かしい夢の中で、ふと声がした。



 ――エクト。


「……姉さん?」


 姉の声だろうか。そう思った。

 そしてそこで目が覚めて、エクトは飛び起きた。


「あれ……?」


 もう、何の夢を見てたのか、思い出せなかった。


 ――ガシャン!


「……っ!」


 突然、下でおり錠前じょうまえが外された音がした。

 エクトはほとんど反射的にベッドから飛び降りた。


 急激に現実に引き戻されたエクトは、ふるえる手でドアノブをにぎった。

 錠前を開けられるのは兵士だけ。


 今度は、何をされるのか……。


 エクトが意を決して部屋から出ると、そこに昨夜の中年の兵士が階段を上がってきた。

 エクトは、青年兵士の方ではなかったことに、こっそり安堵あんどした。


「あ、すまない、休んでいたかい?」


 中年兵士は、エクトが寝室から出てきたことで、今まで休んでいたことを察したらしい。


「いいえ、大丈夫です。それより、どうかしましたか?」


 聞きながらエクトは、もしかして寝過ごしていて、上のかがり火に何か異常があったのならどうしようと思い、ドキドキした。


「ああ、その、君に会いたいという方がいてね。急なことで済まない。お急ぎだそうで」

「僕に、会いたい?」


 エクトが小首をかしげると、中年の兵士の後ろから、白い鎧の騎士が階段を上ってきた。


「……っ!」


 ――聖都の騎士!


 エクトの全身が粟立あわだち、汗がドッと吹き出した。

 頭が、心が、恐怖に支配されて真っ白になる。


 エクトは、姉が魔女となったあの日、聖都からやってきた騎士に両親とともに連行され、尋問を受けた。

 エクトは十五歳だった。

 幼い子供という年齢でもなかった。

 何なら大人に数えられるくらいの年齢だったろうに、それでも心の深い場所に恐怖心を植え付けられるほどの目にあった。


 エクトの監視をしているのが、聖都直属の騎士ではなく、下位の辺境警備兵へんきょうけいびへいたちである理由は、このみさきが彼らの管轄かんかつだからというのもあるが、何より、エクトが騎士を見るたびにパニックを起こして体調を崩しかけたのが大きかった。


 エクトは、魔女を釣るエサ。

 エサが死んでしまっては、何にもならないというわけだ。


 エサは、もう、エクト一人しかいないのだから。



「大丈夫かい?」


 中年兵士は、エクトが騎士に対して強い恐怖心を持っていることを聞かされているのだろう、心配そうな声でエクトの顔を覗き込んでいる。


「は、はい……!」


 どうにか答えたが、手の震えがどんどんひどくなっていく。

 エクトが耐えきれずに、両手を隠すように、後ろ手に組んだときだった。

 騎士が、動いた。


「すまない。あなたの事情は聞いていたが、急を要する事態だったもので」


 その声は、思ったよりも柔らかかったが、エクトの恐怖を打ち消すほどではなかった。


 騎士は、返答もできずにいるエクトから一歩下がって距離を取り、そっと兜を脱いだ。


 ――あ。


 兜の下の顔は、エクトの心に焼き付いたあの日の騎士の表情かおとはちがっていた。


 きれいなあおい瞳と、長いまつげ。

 後ろで一つにまとめられた、美しい赤毛ブルネット

 自分より少し年上に見える、若いその女性騎士は、真摯しんしな瞳で、まっすぐに、少し悲しそうにエクトを見つめている。


「突然の来訪らいほう、失礼した。私は、北方騎士団所属、ナジ・サイファ。貴殿きでんに急ぎ、話を伺いたく参上した。

 騎士に対して強い恐怖をお持ちと聞いている。火急かきゅうの事態とは言え、鎧くらいは脱いでくるべきであった。

 配慮はいりょが足りなかった。非礼をびよう」


 そう言ってナジは、エクトに丁寧に頭を下げた。

 エクトは、そっと、気付かれないように、そうっと息を、長く吐いた。


「い。いいえ。こちらこそ、申し訳ありません」


 声が出た。


 エクトは少しだけホッとした。

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