聖なる都の眠りの巫女

 聖なる神が降臨こうりんせし国。アスクレフィオス聖王国せいおうこく


 いにしえの時代。この国の中心に、空から神が降臨こうりんなさった。


 神の名は、ナスル神。


 ナスル神は、故郷こきょうである天上の国でくりかえされている、神々の争いごとに嫌気がさし、我らの大地へと降りてこられた。


 当時のアスクレフィオスは、せた大地で、草木も、農作物も満足に育たず、狩りの獲物えものも、皆がえぬほどにはれない土地であったという。


 ナスル神は、それが良かったのだという。


 もう、なにもない、静かな場所で静かに眠りたいと、そうおっしゃったのだと。


 しかし神々は、そんなささやかな願いを、許しはしなかった。


 次々に、荒涼こうりょうたる大地に向かって、無慈悲むじひ鉄槌てっついがくだされていく。


 その攻撃からナスル神をおまもりしたのは、一人の人間の青年だった。


 彼は、荒野に星が降った夜。

 その星に心を奪われて、星が降った場所に駆けつけた。

 そこにいたのは、降臨こうりんされたばかりのナスル神であった。


 彼は、ナスル神を助け、神々の目から見えぬように洞窟どうくつかくまったり、時には天の使いたちと戦い、何日も何日も、ナスル神を護り続けた。


 ナスル神も、そんな彼に戦う力を授けた。

 そして、彼が望んでいた豊かな森を、豊かな恵みを、このアスクレフィオスの大地にもたらしてくださった。


 彼の青年の名は、星守せいしゅラスアー。


 後に、アスクレフィオス聖王国を建国し、ナスル神を崇め、人々を導く国教「ザビクの玉座」の教祖きょうそとなった御方おかたである。


 星守せいしゅラスアーの尽力じんりょくにより、神々はついにナスル神を連れ戻すことをあきらめ、アスクレフィオスから手をひいた。


 そして、星守ラスアーは、ナスル神が降臨された地に神殿を建て、そこをアスクレフィオスの聖都とした。


 星守ラスアーは、人としての生を終えたのち、戦天使となり、今も神殿を、そしてそこで夢を見続けているナスル神を、お護りしている。



 これが、このアスクレフィオス聖王国建国の神話である。



 この神代かみよの時代より、ここアスクレフィオス聖王国では、国の首長しゅちょうである聖王せいおうは、国教ザビクの玉座の司祭がになうこととなっている。


 今も聖都のラスアルハワー神殿の、一般には公開されていない奥の間には、ナスル神が眠り続けているのである。



 そんなラスアルハワー神殿には、今日も国中から巡礼者じゅんれいしゃが訪れている。


 巡礼者たちがいの聖堂せいどう

 石造りの荘厳そうごんな作りで、天井は星守ラスアーと神々との戦いを描いたフレスコ画で埋め尽くされている。

 柱も壁も、精巧せいこうで美しい装飾彫そうしょくぼりがふんだんにほどこされ、訪れた者たちのため息を誘う。


 そんな聖堂の奥。司祭が説教をする教壇きょうだんの向かって右隣みぎどなりに、巡礼者じゅんれいしゃたちの行列ができていた。


 行列の先、人々が近づけないようにロープがはられた奥には、大きな棺のような形のベッドがあった。

 ベッドは足の方を低くする形で斜めに設置されており、ベッドに眠っている人物の顔を、巡礼者たちがほぼ正面から見ることができるようになっていた。


 棺のベッドは、たくさんの白い花で囲まれている。

 さらにその周囲は、巡礼者たちが供えていく、色とりどりの花で溢れている。



 たくさんの花に埋もれるようにして眠っているのは、五、六歳ほどの幼い見た目の少女であった。



 金の長い髪は、両サイドで三編みに編まれているが、眠っている間ものび続けているので、すでにベッドから溢れて、毛先は花に埋もれて見えない。

 ゴテゴテと、重そうにさえ見える白いレースがついたネグリジェを着せられ、シルクの薄がけをかけられている。

 両手は、胸元で組まれていた。

 長い長いまつ毛は、ピクリとも動かず。

 桃色のくちびるは、微笑むこともなく。

 ただただ、死んだように眠っている。


 人々は、そのひつぎで眠る少女に、口々に祈りの言葉をつぶやき、目を閉じて頭をたれる。


「おお。あれが眠り巫女さまか」


 ヒソヒソと、祈りの列に並ぶ人々がささやく。


「なんと愛らしい……!」


「見て、あの金色の髪。まるで絹糸のようね」


「あのような幼い姿で、ナスル神さまのお側におつかえしておられるなんて……なんて尊いお方なんだ」


 中には、感動の涙を流すものもいた。


 聖堂のあちこちに立っている、司祭や司教たちは、そんな巡礼者の姿を満足そうに見つめている。



 この棺こそが、ザビクの玉座。

 かつて星守ラスアーが、戦天使となる際に眠った場所と言われている。


 そしてその玉座で眠るこの少女は、御神体ごしんたい


 ――眠り巫女みこ


 彼女は、天上の神々との争いで深く傷ついたナスル神の御心みこころをおなぐさめするための、人身御供ひとみごくう

 神の夢の世界へと魂をささげた、選ばれし少女。

 



 彼女は、まだ任命されて間もない、眠り巫女で、神の夢の世界へと旅立って、まだだった。


 眠り巫女は、眠りについたときのまま体の成長が止まってしまう。

 そして魂の限界まで、二度と目覚めることはない。


 巫女の魂の限界は、およそ百年と言われた。


 人々は、彼女の犠牲ぎせいに感謝し、また彼女の美しい眠り姿に感動し、この聖堂で祈りを捧げるのである。


 この日最後の巡礼者は、巫女の外見と同じくらいの、五歳くらいの少年だった。

 貧しい身なりをしていたが、彼も母親も、小さくともきれいな花を供え、くもりのない瞳を輝かせて巫女を見上げていた。


「ララさま! 僕からのお花、受け取って下さい!」


 少年は、無邪気に声をかけた。


 眠り巫女ララ・ワサトは、その声に応えることもなく眠り続けていた。



 一刻ほどして、夕暮れの聖都を、少年は母に手を引かれて歩いていた。



「お母さん、ララさまにも、お母さんがいるのかな?」

「そうね、ララさまも、六歳までは普通の、あなたみたいな子供だったそうだから、ご家族もいらっしゃるのでしょうね」

「ふうん……ララさまが巫女さまになって、ララさまのお母さん、きっとみんなに自慢じまんしただろうね! だって、すごいことなんだもん! うれしかっただろうね!」


「そう……そうね」


 そう言うと、母親は、息子の手をしっかりとにぎり、そっと肩を抱いて歩き出した。

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