逃亡劇

 レンガ造りの家が多い区画を、ソルはあわてず、しかし足早に移動する。

 十六歳にして身についてしまった、市街地しがいちで逃げるときの移動方法。

 フードを目深まぶかにかぶって外壁がいへきまで向かう。


 今までの経験から言って、街の正面入口である正門や、外れにある出入り口はすで騎士きしたちに見張られているにちがいない。


 人が多いところで騎士から逃げるのは、久しぶりだった。

 ソルは、できるだけ人が少ない場所を選んで逃げる。

 人混みにまぎれてしまうのが一番なのは解っているが、騎士たちが本気になって自分を追いかけてきたら、その場にいる他人も巻きえだ。


 目の前に、外壁がいへきが見えた。

 このまま直進して、どこかからよじ登ろうと考える。

 我知らず、速度を上げたその時。


 すぐ横の家のかげから、小さな女の子が駆け出してきた。


「おっと……!」


 ぶつかりそうになって、ソルは慌てて立ち止まった。


 女の子は突然のことにおどろいたようで、目を見開いて固まったまま、ソルを見上げた。


「だいじょうぶ?」


 栗色くりいろの髪を左右で三編みつあみにして、小さなうさぎのぬいぐるみを抱きしめて、おびえたような目でソルを見上げる女の子に、ソルはしゃがみこんで丁寧ていねいに頭を下げた。


「ごめんな」


 女の子は無言のまま、ふるふると顔を左右に振った。


 ソルは、そばかすのうかんだ少女の顔を、思わずじいっと見つめた。


「だいじょうぶ?」


「え?」


 女の子が、おずおずと声をかけてきた。


「おにいちゃん、かなしそう」


「……!」


 女の子の言葉に、ソルは息をのんだ。


「だ……大丈夫だよ、ありがとう。ちょっと、妹を思い出して」


 何とか笑顔を作って答えると、女の子は小首をかしげた。


「いもうと?」

「ああ。君みたいに、いつも三編みにしてたからね。今はちょっと、遠くにいて、会えないんだ」

「さびしいの?」


「そう……」


 ソルは、うつむいた。


「そうだね」


 ようやくしぼり出した声は、無様にひび割れていた。


 女の子が、何かソルに声をかけようと息を吸った。


「いたぞ!」


 聞こえたのは、鈴の音のような愛らしい声ではなく、野暮やぼな騎士の怒鳴り声だった。


「ソル!」


 ナイルスがソルに声をかけた。

 女の子が驚いてナイルスを見上げた。


「さあ、ここは危ない、あっちへ逃げて! 早く」


 ソルは少女の手をひいて、建物の陰に連れていき、自分から離れるようにと背を押した。

 女の子は、戸惑いながらも、ソルに手をふって走り出した。


 ソルがそれを確認した頃には、騎士はもうソルの目前に迫っていた。


「反逆者ソル・ワサト。聖王猊下せいおうげいか勅命ちょくめいにより、連行する。努々ゆめゆめ、抵抗などなされぬよう」


 白い鎧に全身を包んだ騎士が、剣を構えながら悠然ゆうぜんとそう言った。


 ソルは、フードの下から騎士をめすえた。


「悪いけど、今急いでるんだ。そっちこそ、こんな街中で暴れないでくれよ」


貴殿きでんがおとなしくしてくだされば、我等とてことを荒げたりはいたしません」


 するどく、落ち着いた声だ。

 いつも自分を追いかけては、取り逃がしている南方なんぽうの騎士団では聞かない声だった。



「アンタ、この辺りの騎士さまかい?」


「いかにも。我が名はナジ・サイファ。北方騎士団所属だ」


「そうか、じゃあ、初めましてだな」


 茶化すようなソルの声に、多くの騎士たちが苛立ちと戸惑とまどいを隠せないなかで、ナジと名乗った騎士は全く動じない様子だった。

 もちろん、構えもとかない。一瞬のすきもない。


「では反逆者よ。投降とうこうを」


 ナジの冷静な声に、ソルはにやりと笑った。


「嫌だね。俺は、諦めが悪いんだ」


 そう言うと、頭上でナイルスが上空へ飛び立っていった。

 後方で騎士が、ナイルスに向かって矢を放つ。

 当然、放たれた矢は、小さな小鳥サイズで素早く動くナイルスに当たるわけもなく、民家の壁にあたって落ちた。


「矢は使うな! 市民に当たる!」


 振り向かぬまま、ナジが叫んだ。

 すさまじい威圧感いあつかんの声に、弓矢をもった騎士たちがすくみあがる。


「へえ」


 ソルは、ナジをまじまじと見た。

 見た目は他の騎士と同じ鎧姿。

 顔もどんなものか見えはしないが、どうやらソルさえ捕まえられれば他はどうでもいい」という行動しかできない、他の騎士とは違うようだ。


「アンタ、いいヤツだな」


 ソルは笑ってそう言うと、地面を蹴った。


 素早くナジが反応する。

 一歩踏み出して、ソルの足に向かって剣を振り抜く。

 剣は片刃かたはで、美しいカーブを描いた曲刀きょくとうだった。

 ソルの足首をねらううのは、刃のついていない剣の背だった。

 打撃だげきでも充分に、足を使いものにならないようにできるのだろう。


 しかし、ソルは両手で背中に背負ったリュックの肩紐かたひもを持ったまま、ちょこんと、ナジの剣の上に片足で立ってみせた。


「でも、友達にはなれなそうだ」


 その言葉を合図にして、ソルはナジの剣をって後ろへ跳躍ちょうやく。ナジたちと距離をとった。


「逃しませんよ」


 ナジは低くそう言うと、大きく踏み込んで、一気にソルに迫った。

 ソルは重いリュックを背負っている分、不利なはずだが、それを感じさせない速さで後退しつつ左へ身をひねってナジをかわす。

 数歩で外壁に手がつくというところまで来た。

 誰から見ても、ソルは追い詰められているように見えた。


「いたぞ!」

「こっちだ!」


 さらには左右の路地からも、応援の騎士や兵士が追いかけてくる。

 ソルはフードの下で「へへ」と笑った。


「何がおかしい!」


 ナジが声とともに一閃をなぐ。

 ソルは再度真上に跳躍。


 同時に、路地にわずかにさしていた陽光がかげる。

 騎士たちが頭上を見上げると、そこには大きな黒いわしが空をふさいでいた。


 口々に、悲鳴や怒号どごうを上げる騎士と市民たちを尻目しりめに、大きくなったナイルスは、空中でソルのリュックを文字通り鷲掴わしづかみにした。


「ごめんな! また今度な!」


 ソルのその叫びを合図に、ナイルスは大きく羽ばたき、街の上空を通り過ぎていく。


「くそッ! 隊長! 弓矢の使用の許可を!」


 ナジの後ろから声がした。


「ならん! 市街地での弓矢の使用は危険すぎる」


 ナジのかたくなな態度に、あからさまに不快感を示す騎士もいたが、ナジは全く気にもしていない風だった。


「やられたな……だが、このまま見逃しはしない……!」


 ナジは街の正門に向かって、きびすを返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る