形見の石

 エクトの部屋が兵士に荒らされたのは、自分たちがあの灯台の近くに墜落ついらくしたせいだと、ソルはナイルスから聞かされていた。

 エクトがどういう境遇きょうぐうなのかは解らないが、兵士たちはソルとナイルスの墜落を、エクトに関係したことだと勘違かんちがいして、知らないと答えるエクトの言葉を信じず、乱暴をしたのだと。


 これが絵の具なら、絵を描いてこの画廊がろうに売っているのであろうエクトは、きっと困っているはずだ。

 そして、その困りごとを起こしたのは自分だ。


 ソルは、この絵の具も買って帰ろうと決意した。


「これ、くれよ、三つとも!」


「ええっ! 失礼ですがお客さん、絵をお描きになるので?」

「いや、そうじゃないけど……きれいだからさ」

「その、かざるためだけに買うには、いささかお値段ねだんが……」


 店主はわざとらしく、困ったように笑って言い、ソルを頭のてっぺんから足の先までじろじろと値踏ねぶみした。

 どう見ても大金を持っているのようには見えないのだろう。

 すごく、腹の立つ笑顔でこちらを見ている。


「ああ、高いのか……そうか、お金はさっきの買い出しで結構けっこう使っちゃったからなあ」


 そう言いながら、ソルはリュックを背中に乗せるように前のめりになり、空いた手でポーチをごそごそとさぐった。

 マントのフードが落ちてきて、バサリと頭にかかった。

 ナイルスがフードをうざったそうにして、肩からパタパタと飛んで、頭の上に移動した。


「ああ、あったあった」


 ソルがそう言って、にぎった手をポーチから出したとき、店主は「そんなところから出てくる小銭こぜになんか、いくらあったって足りるものか」という心の声を、ありありと顔に出した哄笑こうしょうを浮かべていた。


「これと交換こうかんじゃだめかな?」


 開かれたソルの手のひらを見て、店主の顔は一変いっぺんした。

 それはもう、おもしろいくらいに目ン玉をひんむいている。



「おお、お客さん、こ、こりゃあ……こんなものを、一体どこで?」


 ソルの手のひらには、キラキラと赤く輝く、小さな美しい石が二つ、乗っていた。


「足りないか?」


 ソルが小首をかしげると、店主はブンブンと音がするほどの勢いで頭を横にふった。


「いいやいいや、充分すぎるほどですよ。しかしあなた、これが一体どういう石なのか、ご存知なので?」


 店主は鼻息を荒くしながら、ソルの手にどんどん顔を近づけていく。

 まるで吸い込まれているようだ。


「レッドスピネル。高価なものなんだろ?」


「そ、そうですとも! 高価なんてものではありませんよ。レッドスピネルは、我らがナスルしんさまが聖都せいと降臨こうりんされたとき、天から降り注いだと神話しんわしるされている、それはそれは希少きしょうな宝石」


 店主の興奮こうふんした声を聞いたナイルスが、ソルの頭の上で、こっそり、呆れたようにフンと鼻で笑った。


「聖都の周囲でしか採掘さいくつされず、今ではザビクの玉座ぎょくざ直々じきじきに流通を管理しているため、市場に流れてくることはほとんどない……幻の逸品いっぴん……」


 店主の鼻息が触れるほど近づいたところで、ソルは手をひょいっと引っ込めた。


「親の形見かたみなんだ」


 店主は、目の前のエサをかくされたペットのような顔をしてソルを見た。


「お客さん……いや、お客様、本当はどこか高貴こうきな生まれのお方なのでは……」


 そこまで言って、店主はハッと息をんて、急にしぶい顔になった。


「失礼ながら……その、石の真贋しんがんのほどを、確かめさせていただけないでしょうか?」

「ああ、いいよ」


 ソルはポイッと石を店主に向かって放り投げた。

 店主は「ああっ」と叫んで、必死の形相ぎょうそうでキャッチする。


 無事に二つとも受け止めたのを確認すると、ぜえぜえと肩で息をしながら店内に引っ込んでいく。

 ソルは、店の入口に店主が置いていった絵の具の小瓶を手にとって、にかざして見た。


 と、その時だった。

 ふとナイルスが頭上でバサバサと羽ばたき、ソルの頭をつついてきた。

 ソルはハッとして耳をすます。


 喧騒けんそうと、ガチャガチャという耳障みみざわりな足音が、ほんの少しだが、確かに聞こえた。



「来たぞ、ソル」


 ナイルスが小さくささやく。


「ああ、行こう。武器もないしな」


 ソルも、声をおさえて答えた。

 そして、手の中の小瓶をポーチの中に押し込めると、しっかりとポーチのボタンをめて、荷物を背負せおい直した。


「おじさん! その石、ちゃんと本物だから安心して! 保証する! だから、しっかり隠しておいてくれよ!」


「えっ?」


 ソルの声を聞いて、店の中で宝石鑑定用ほうせきかんていようのルーペをのぞいていた店主が顔を上げた。


「ちゃんと隠しておかなきゃ、取られちまうからな!」


 店主が慌てた様子で店から出てこようとした頃には、ソルは既に一歩踏み出していた。


「じゃあな、絵の具ありがとう! あと、俺はここに来なかったってことでよろしく!」


「え? え? ちょっと待って……! この石が本物なら、絵の具三つではいただきすぎ……」


「いいから! 俺はこの店には入らなかった! そこだけよろしく!」


 ソルは早口でそう言うと、一気に駆け出した。


「えっ? ええっ? はあっ?」


 店主は追いかけようと店から一歩出たところで、ふと外が騒がしいことに気付いた。


 聞き慣れない金属質な足音と、住民たちの不安そうなささやき。


 恐る恐る通りを覗き込んでみると、市場の中に、白いよろいの一団が見えた。


「あ、ありゃあ……聖王の騎士さまじゃ……?」


 店主は思わず手の中の赤い石を、懐深ふところふかくに隠し、大急ぎで店の奥へと引っ込んだ。そして、頑丈がんじょうな金庫に、美しく輝く赤い宝石を、しっかりとしまいこんだ。

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