出会い

「全然終わらない……!」


 ひとまずは生活スペースの確保かくほだと、寝室の片付けから始めたエクトが、寝室をようやく眠れるようにして、次は書棚しょだながたくさんある部屋――エクトは図書室と呼んでいた――にとりかかった頃、夜が明けた。


 とりわけエクトに強い絶望感ぜつぼうかんを与えたのは、この図書室のゆかにぶちまけられた粉の絵の具たちだ。


 エクトはこの灯台でほとんど幽閉ゆうへいされていると言ってもいい暮らしをしている。

 灯台の周囲はぐるりとさくで囲まれ、柵の扉の横には兵士たちの駐在所ちゅうざいしょがあり、つね二人体制ふたりたいせいでエクトを監視かんししている。

 外に出ていいのは週に一度だけ。兵士の監視付かんしつきで、ふもとの村か、少し離れたところにある港街みなとまちへの買い出ししか許されていない。


 そんなエクトの心と生活の支えは、灯台から見える空や海の景色を絵に描くことなのだ。


 絵を描いている間は、心は全てから解放されたように自由で、ひたすら没頭ぼっとうすることができた。

 そうして描き上がった絵は、港街の画廊がろうが買い取ってくれた。


 エクトをここに閉じ込めた、聖都せいとの政府から支払われる生活費は、すずめの涙の方がまだ多いんじゃないかと思うくらい少ないので、この画廊がろう店主てんしゅが絵を買ってくれたときは、本当に助かった。


 その絵を描くために、食事も節約して少しずつ少しずつ、ようやくの想いで買い集めた絵の具たち。

 それが今、容赦ようしゃなくビンを叩き割られ、目の前にぐちゃぐちゃに混ざって散らばっている。


「また、集めなきゃなあ」


 ボソリとつぶやいたその時だった。


「何を集めるんだ?」


「うわあ!」


 背後はいごから突然とつぜん声をかけられた。


 エクトは悲鳴ひめいをあげて飛び上がり、思わずよろけた。

 積み重ねたばかりの、やぶかれたスケッチブックのページの山をり飛ばし、また散らかってしまう。


 ようやく体制を整えて後ろを振り向くと、入り口に、昨夜ナイルスが背中に乗せていた少年が立っていた。


 確か、名前はソルだと、ナイルスが言っていた。


「大丈夫か? 急に声かけてごめんな」


 ソルはそう言うと、しゃがんで自分の足元に飛んできたエクトのスケッチをひろい集めた。


「あっ! それは……」

「へえ! これ、アンタが描いたのか? すごいな!」


 ソルは心から感心したような声で言った。

 エクトは、自分の顔がかあっと熱くなるのを自覚じかくした。


「いや、そんな……あの、僕は、普段ふだんここから出られないから、これくらいしかできることもなくて、その……」


「ほんとすごいよ、この海の色とかさ、すごくきれいだ! 俺、さっき生まれて初めて海を見たんだ。本物もすごく感動したけど、この絵も本当にきれいだ」


「あ……」


 目をかがやかせて自分の絵をめてくれるソルの笑顔を見て、エクトの心に、忘れていたあたたかい何かがともった。


「ありがとう」


 かすれた声で礼を言ったエクトに、ソルは歯を見せてニカッと笑い返した。


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