大鷲の優しさ

「コイツの名はソル。我はコイツに、ナイルスと呼ばれている」

 

 大鷲――ナイルスがエクトに向かって、わずかに頭を下げてそう言った。


「あっ、どうも。僕は、エクトといいます」

「エクト。一晩、世話になる」


 ナイルスのおだやかな声に、エクトは自然と微笑ほほえみ返していた。


「じゃあ用意してきますね。ちょっとだけ待ってて下さい」


 そう言うと、エクトは階段を下りていった。


 少し下りてすぐの、最初のおどり場。ここにあるドアの向こうが、寝室しんしつだ。

 いつものようにドアノブを回してひっぱり、そのまま絶句ぜっくした。


 ドアの横にひっかけておいたカンテラを手にとって照らしてみる。

 小さなベッドと小さな文机ふづくえ質素しっそ椅子いす、それとほんの少しだけ衣類いるいが入っているクロゼットくらいしかないシンプルな部屋。

 半円形はんえんけいに曲線をえがかべに開いた小さな丸窓まるまどからは、暗い星空が見えている。


 このささやかな寝室が、これ以上ないほどらされていた。


 ベッドの上はふとんをハデにまくりあげられ、まくらも下に落ちている。

 クロゼットの中の数少ない衣類いるいは全てそこらじゅうに投げ出され、文机のインクびんは倒されて、もう手元には多く残っていない大事な紙も床にばらまかれている。


「まさか……!」


 嫌な予感にかされて、部屋を出てさらに階段をけ下りる。


 次の、書棚しょだなが並んでいる部屋もひどい有様ありさまだった。

 エクトの心をいつもやしてくれている本たちが、ほとんど全て床に散らばり、大事なカンバスやイーゼルも倒されていた。

 日々エクトが描いている絵も、描きかけだった絵も、ビリビリに破られている。


 エクトは、兵士にられるよりもずっとずっと重くするどい痛みを、心に感じた。

 我知われしらず、目に涙がにじむ。


 ぐずりと鼻をすすったところに、バサリとはばたきの音が聞こえた。


「さきほどの兵士の仕業しわざか。ひどいことをする」


 おどろいて振り向くと、エクトの右肩みぎかたのすぐ横に、カラスほどの大きさにちぢんだらしいナイルスがいた。

 ナイルスはふわりと、エクトの足元に着地した。


「びっくりした。もしかして、体の大きさを変えられるんですか?」

「大きいままでは、不便が多くてな」


 体の大きさを好きに変えられるなんて、ものすごいことのはずなのだが、ナイルスはずいぶん気軽な口調でそう答えた。


「すみません、上の寝室もひどい状態で……これではとてもお客様を休ませることなんて……」

「気にするな。たいらで野犬やけんねらわれる心配がないのだ。我らには充分じゅうぶんすぎるほど贅沢ぜいたくよ」


「……ほんとにすみません」


 ナイルスはしょぼくれるエクトを元気づけるように、翼でエクトのひざのあたりを軽くパサパサとたたいた。


「では我らは上で休ませていただくとする。エクトも、あまり無理をせぬようにな」

「はい、ありがとうございます」


 ナイルスはバサリと羽ばたくと、階段の上を滑るように飛んで行った。


 エクトは、この不思議な来客の優しさに、少しだけ元気を取り戻して、腕まくりをして片付けにとりかかった。

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