咎に怯える青年 エクト二十五歳

 国土の北端ほくたんみさきに建つ灯台とうだい。その最上階さいじょうかいでは、夜空よぞらを照らすかがり火がかれている。

 落下防止らっかぼうしの手すり以外にかべがない、屋根がついているだけでほぼ外と言ってもいいような場所だ。

 中央にドンとしつらえた大きく頑丈がんじょうな台の上には、ごうごうと燃える赤い炎。

 これは、海上かいじょう船乗ふなのりや、道に迷った旅人たびびとたちにとって、希望の灯火ともしびなのだ。



 ――では、自分にとっては、何なのだろう。



 かがり火のびとの青年――エクトは、ぼんやりとそんなことを考えていた。


「ぼくにとっては、贖罪しょくざいの炎なのかもしれないな」


 優しげな灰色のひとみを細めて、エクトは涙をこらえるような顔をした。


「神さま……本当にいるのかな」


 エクトは北に広がる海に背を向けて、この国、アスクレフィオス聖王国の中心地にして、国民の聖地である「戦天使いくさてんしまもる神がおわす場所」……聖都せいとがある南方なんぽうの空を見つめた。

 エクトは、真昼まひるならばかなり遠くまで見渡みわたせる高さにいるのだが、月のない真夜中の今、周囲しゅういは全て星空模様ほしぞらもようのカーテンで閉ざされているかのように、何も見えなかった。


 まあ、昼だったとしても、聖都せいとはあまりにも遠いので、見えるわけはないのだけれど。

 聖都せいとの更に南にある、神秘しんぴの森、マルフィーク大森林も、もちろん見えるはずもない。


 そして、その森のいるであろう、エクトのたった一人の肉親にくしんの姿も。


 エクトは、痛みをこらえるように表情をゆがめた。


 ――その時。

 真っ黒だったはるか南の空が一瞬いっしゅん、白く、わずかに光ったように見えた。


「え?」


 思わずいきを止めて、エクトは身を固くした。心臓がバクバクと高鳴たかなる。

 エクトは、引き寄せられるように南側の手すりに駆け寄ると、身を乗り出して目をらした。


 昼にこんなことをしていたら、見張りの役人がすぐに来るのだろうが……今は暗闇が、エクトの姿をかくしてくれている。


 眉間にしわをよせて「うー……」とうなりながら虚空こくう凝視ぎょうししていると、白い、小さな小さな点のような光が見えた。

 その点は、どんどん大きくなって、こちらへ近づいてきているようだった。


「え……ええっ?」


 流れ星なのか何なのか解らないその光の玉は、あっという間にすぐ近くまで飛んできて、ふもとの村の家々の屋根が照らされた。


「どど、ど、どうしよう」


 エクトがなすすべもなく狼狽うろたえているうちに、光球こうきゅうは村からこの灯台のあるみさきへとつながる坂道の途中とちゅうの地面に、轟音ごうおんとともに着弾ちゃくだんした。


「うわっ」


 着弾ちゃくだん瞬間しゅんかん、エクトはあわてて身を低くして手すりのかべかげに隠れた。

 地面をえぐる激突げきとつと爆風で、灯台もわずかに揺れた。

 エクトは、この灯台がくずれるのではないかと怖くなった。

 揺れがおさまってすぐに、かがり火の様子を見ると、いつもと変わらず燃えていたし、堅牢けんろうな石造りの灯台も、全く平然としていた。


 ――ああ。


 心の中でため息をつく。


 今、自分は、安心したのだろうか。それとも、残念に思ったのだろうか。


 エクトは馬鹿な考えを追い出すように、軽く左右に頭を振った。

 立ち上がって、着弾地点ちゃくだんちてんの方を確認しようと、のぞき込んだ。


 しかし、あんなにハデな音と風だったのに、雑草が燃えているとかいうこともなく、火も煙も全く見えなかった。

 坂道のあたりはいつもどおりの暗闇くらやみだ。


 ただ、村人たちもさすがに目を覚ましたようで、村の方にたいまつやランプのあかりがポツポツとともりはじめた。

 さらに、灯台のすぐふもとにある兵士のしょから声が聞こえて、すぐにゆれるたいまつの火が、坂道を下っていくのが見えた。


 駐在ちゅうざいの兵士たちが、様子を見に行ったようだ。


 きっと、着弾地点ちゃくだんちてんを確認したら、兵士たちはエクトのところへやってくるだろう。

 彼らは、あの光はエクトに関係していると考えるにちがいない。

 エクトは、全く何も知らないが、そんなことが通じるとは思えない。

 今の兵士たちは、前任ぜんにんの兵士よりはいくらか温和おんわな人が多いけれど、それでもやっぱり……怖い。


 何と答えたら、一番平和に終わるだろう。


 エクトが必死に言い訳を考えようとしたとき、ずっと見えていた兵士たちの持つたいまつの火が、不意に消えた。


「あれ?」


 目をしばたたいてよく見てみると、どうやら何かが視界しかいをさえぎっているようだった。

 何か――黒い何かが、すぐそこにある。


 この、聖都の神殿しんでんよりもはるかに高い、この空間に「何か」がある。


 エクトは、胸の高鳴たかなりを自覚じかくした。


 ――姉さん……!


 もしかしたら、と思ってしまう自分を止められない。

 思わず手すりをつかんでいる手に力が入った。


「人の子よ」


「……っ!」


 真っ黒な「何か」がしゃべった。

 男の声だった。


「すまないが、こいつを休ませてはくれないか」


 ささやくように、早口でそう言ったかと思うと、バサッと音を立てて、黒いつばさが広がった。

 この黒いものが何なのかわからないが、おだやかでていねいな口調だなどとエクトが思っていると、黒い何者かは手すりをえて灯台の中へと入ってきた。


 かがり火に、大きなその姿が照らし出される。


 エクトはおどろいて呼吸こきゅうを忘れた。


 真っ黒な、喋る何かの正体しょうたいは、巨大な黒い鳥だった。

 漆黒の大鷲おおわしが、文字通りエクトの目と鼻の先に降り立った。


 そして、そっと体制をななめにすると、その背中から何かがずるりとすべりおりてきた。


「あっ!」


 それは、人間だった。


 エクトより少し年下らしい、金髪の少年。引きまった細い四肢しし脱力だつりょくしていて、ぐったりと目を閉じて、気をうしなっている様子だった。


 エクトは大鷲おおわしに感じていた恐怖心きょうふしんも忘れて、少年の元へとけ寄った。


「こっ……この子は?」


 エクトがおそる恐る大鷲おおわしに問いかけたその時、階下かいかで大きな物音ものおとがした。


 乱暴らんぼうとびらが開かれる音。

 ガチャガチャとおりじょうを外す音。

 続いて、階段をけ上がってくる兵士の足音がした。


「こ、ここは危険です」


 エクトは、大鷲おおわしにそう言った。

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