誰がために除夜の鐘は鳴る

久野真一

除夜の鐘と本当の返事

 ゴーン、と鐘の音が周囲に鳴り響く。

 今日は大晦日の深夜。鳴り響いているのは除夜の鐘。

 一説によると、人間の108個あると言われる煩悩を祓うためらしい。

 彼にとっては、そんな事はどうでも良かったが。


「あいつは、どんな気持ちで鐘をついてるんだろうな」


 少ししんみりとした表情で鳴神静夜なるかみせいやがつぶやく。

 彼が向かっているのは、高台にある八神寺やがみでらのてっぺん。

 ちょうど108段ある階段を登り終えた先には、立派な除夜の鐘がある。

 ふと、階段の横を見ればそこは真っ黒な海。


(結局、俺はどうしたいんだろうな)


 彼は考える。彼女からの告白は断ったはずなのに、どうして向かっているのかと。

 向かう先にいるのは、八神静香やがみしずか

 彼の2歳下の女の子で、地元で生まれ育った彼の幼馴染でもある。

 物静かで、いつも何か考え事をしているような少女。

 動きやすいようにと、短く切り揃えた黒髪に、大きくぱっちりとした瞳。

 ぼーっとしたようにも見える顔つきに、

 女性にしては高い170cm近くある身長が特徴的だ。


 発端は、数日前だった。大学に入って初めての帰省。

 馴染みの八神寺に顔を出して、静香と近況を語り合って居た時のこと。

 「それじゃ、良いお年を」と言って立ち去ろうとしたところに突然の告白。


「静夜さん。今更と思われるかもしれません。でも、ずっと好きでした。貴方が大学に進学してからもずっと。恋人として付き合っていただけませんか?」


 と。告白を受けた静夜は困惑した。それは、あえて避けていた話題だったから。


「悪い。静香が好いてくれてるのはわかってたんだけど、付き合えない。ずっと妹みたいに思ってきたから、今更そういう目では見られないよ」


 彼女の告白に対して、本音ではない返事を返した。


「そう、ですか。妹、ですか……」

「ああ、そうだよ。家族みたいなものだって」

「じゃあ、こうされても、何も感じませんか?」


 ふと、身体が柔らかい感触に包まれているのに彼は気づく。

 それが抱擁された結果だと気づくのには、数秒の時が必要だった。


「え、ええと……」


 咄嗟の彼女の行動に、彼は何も言えない。


「除夜の鐘。今年は私がつきますから。もし、気が変わったら、108回鳴らし終わるまでに、鐘撞き堂まで来てください」


 彼女はそれだけを言い残して、部屋の奥に引っ込んだのだった。


(ああされただけで、心が動くなんて……)


 心の中でため息をつきながら、彼は突き動かされるように階段を登っていた。

 そもそも彼が告白を拒絶したのは、年が明けたら東京に戻るから。

 畿内の田舎町にあるここから、東京まではとても遠い。

 会えるとしても年に2,3回。その距離を彼は恐れていた。

 しかし、ああして抱きしめられた途端の心が揺れ動く始末。


(でも……遠距離は辛い)


 新幹線と電車を乗り継いで約5時間。週末にひょこっと顔を出せる距離ではない。

 だから、こうして、一歩一歩彼女に近づいて行きながらも、迷ってしまう。


(静香は、覚悟、出来てるんだろうか)


 思えば、東京に出てからの一年間、彼女がどういう思いをして過ごしていたのか。

 そんな事も考えたことがなかった。静香は今どき珍しくネットに疎い。

 だから、ラインもSNSも使えない。せいぜい、メールを使える程度だ。

 それも、「お元気ですか」から始まる古風な、手紙染みたやり取りをしていた。

 あとは電話で時折近況を話すくらい。

 彼女がこの1年近く抱えていた思いに考えを巡らせたことはなかった。


(寂しくなかったわけがないんだよな)


 東京に出る見送りのときの、

 「次に会えるのは、夏休みなんですね……」

 と寂しそうに言った顔は忘れられない。

 夏休みに帰省したときには、

 「次に会えるのは、冬休みですね……」

 と言われた。とても寂しそうな顔をして。

 元来、物静かな彼女の精一杯のメッセージだったことはわかっていた。


 本当に、いいのか?と自問自答する。

 遠距離だから、というだけで自己完結して。

 やってみる前から、諦めて。

 何より自分が好きな彼女を悲しませていいのかと。


 そして、鐘つき堂まであと数歩というところでふと視線を感じた。

 彼女が手を止めたまま、呆然と静夜を見ているのだ。


◇◇◇◇


 ゴーン、と鐘の音が周囲に鳴り響く。

 彼女はただ祈るような気持ちで、鐘をついていた。

 108個あるという煩悩を祓ってくれるという除夜の鐘。

 それが静夜に恋い焦がれる気持ちを祓ってくれたらどんなにいいだろう。

 

(やっぱり、脈なし、ですよね……)


 彼女もそれはわかっていた。そもそも、はっきり断られたのだ。

 未練がましく、除夜の鐘をついている間に、とは言ったものの期待はしていない。

 ただ、彼女が自分の心にけじめをつけるためだけの願掛け。

 これで彼が来てくれなかったら、本当に諦めるんだと、ただそれだけの行為。


(妹、か……)

 

 彼女、八神静香と、彼、鳴神静夜は、畿内にある海が見える田舎町で育った。

 風光明媚と言えば聞こえがいいものの、実態はただの過疎地。

 小学校は1クラスで10名足らず。

 中学、高校に至ってはバスを乗り継いで、市街地まで出る必要があった。

 二人の家がたまたま近かったからか、共に寡黙な性格だったからか。

 いつしか二人は親しくなって、一緒に行動するようになっていった。

 とはいえ、都会の子みたいに、お洒落をして遊び歩くなどというのは無理だった。

 時折、唯一まともな地元の喫茶店で二人をお茶をする程度。

 静夜が異性として見てくれているのではと期待したことはあった。

 でも、彼が卒業するまでにそれらしき言葉を送ってくれたことはない。

 だから、妹みたいなもの、という彼の言葉は真実なのだろう。


(静夜さんが、東京に出たがるのも無理はないんですよね)


 生まれ育った街に愛着がないわけでもない。

 しかし、周りを見渡しても寂れた町並みがあるだけだ。

 だから、彼女も大学は東京に進学しようと決めていた。

 でも、それはただ都会に行きたいだけじゃなく、彼と一緒に居たいから。


「思わせぶりな態度とらなければいいのに……」


 八つ当たりだとわかっていても、そんな言葉が漏れてしまう。

 デートと言葉にしたことはないけど、二人きりで遊びに行ったことは数知れず。

 だから、進学するまでに彼から何らかの言葉があるんじゃないか、と期待した。

 でも、結果は空振り。

 駄目押しにと今回告白してもこの様だ。

 自分が惨めになってくる。


 ゴーン。気がついたら、身体が動いて鐘を鳴らしていた。

 何度鐘をついただろうかと、彼女はふと考える。


(確か、これで107回か)


 あと、1回。それで全てが終わる。

 初恋も、1年近く会えなかった間の想いも。

 ふと、階下から、コツン、カツン、と音が聞こえる。

 確かな人の足音。まさか。

 でも、この時間にここを訪れる人と言えば他には居ない。


 彼女があと1回をつく手は止まっていた。


「あ、あけまして、おめでとう」


 彼は、どこかぎこちない笑顔で場違いな新年の挨拶をしたのだった。


◇◇◇◇


「あ、あけまして、おめでとう」


 何を言っていいかわからず、とりあえず新年の挨拶をしていた。

 時刻は午前0時を回っている。だから、新年の挨拶。

 間違ってはいないのだけど、静夜はひどく狼狽していた。


「あ、あけましておめでとうございます、静夜さん」


 ぎこちない様子で言葉を返す静香。


「え、と。あの、さ……」


 言うべき言葉を探しながら、頭をぽりぽりとかく。

 元来寡黙な上に、この状況とあってはいい言葉が見つからない。


「ええと。静夜さん。その、来てくれた、ということは……」


 頬を朱に染めて、期待を込めた表情でぎこちなく言う彼女。

 そういえば、そういう話だったかと今更思い出す。

 でも、何を言えばいいんだろう。と考えて、

 まずは謝罪をしなければと思い返した。


「そうだ。静香。まずはごめん。数日前の告白の返事だけど、実は本当の気持ちじゃなかった」


 どうなるにせよ、自分の気持ちだけは伝えておかなければ。

 そう思って、必死で言葉を紡ぐ。


「本当の、気持ち、ですか?」


 目をまんまるにして、何か信じられないという風な目でみてくる。


「ああ。妹みたいな、っていうの。あれは嘘だった。ずっと、静香の事は一人の女性として意識してた」


 不思議とその言葉は口から素直に出ていた。

 除夜の鐘は煩悩を祓うっていうけど、逆だな、なんて事を考えながら。


「じゃあ、なんで応えてくれなかったんですか?数日前だけじゃなくて、東京に行く前にも……!」


 静香は涙声だった。無理もない。

 意識していたというのに、見てみぬフリをしていたのだから。


「本当は、俺も静香の事が好きだった。でも、東京まで、かなり遠いだろう?恋人になれても、距離が離れるのが怖かった。自然消滅になるくらいなら、仲のいい兄妹のようにいればって」


 口にしてみれば、それだけのこと。


「本当に悪かった。いくら詰られても、見放されても文句は言えないと思う」


 話し合うこともなしに、一方的な都合で振るなどと身勝手もいいところ。


「一つ、言っておきたいことがあります」


 神妙な表情になった静香は、そう口にした。

 どんな罵倒でも受けて当然だろう。そう覚悟したのだがー


「静夜さんは、私のことを甘く見過ぎです!」


 珍しく、そう、きっぱりと言った彼女。


「静夜さんが東京に行ってから9ヶ月。片時も忘れたことはありませんでしたよ。メールだって、毎回一生懸命に文面考えましたし、電話だって一分一秒だって長くしていたかったです。それに、夏に帰省した時のデートも。ずっと、ずっと、想って来ました」


 珍しく饒舌になりながら、語る彼女。

 緊張と羞恥のあまり、身体はガチガチで、頬は真っ赤だったけども。


「そ、そっか。悪かった。俺は、静香の事を見誤っていたみたいだな」


 遠距離で、とは言うけど、既に彼女は遠距離でずっと想いを届けていたのだ。

 彼自身も、メールが来た時や電話した時は本当は嬉しかったのだ。

 ただ、相手の迷惑になってはいけないと変に遠慮していただけで。


「そうだな。変な言い訳してたけど、なしにしよう。恋人として付き合って欲しい」


 ただ、臆病になっていても仕方がないと腹をくくる。


「え、ええと。ほんとに、いいんです、か?」

「もちろん、静香の方が提案してきたんだろう?」


 もちろん、彼女が信じられないのも無理からぬことではあったけど。


「は、はい。でも、本当に来てくれるとは思わなくて、ただ、吹っ切るために鐘をついていたから、嬉しくて、何がなんだか……」


 いつの間にか、静香の目からは涙がぽろぽろととめどなく溢れて来ていた。


「その。泣くなよ……」


 恋人になったばかりの彼女が泣いているのを見ていられなくて、静夜は静香を優しく抱きしめる。


「は、はい、でも、嬉しくて、嬉しくて……!」


 喜びの涙を流す静香を静夜はただ抱きしめたのだった。


「お見苦しいところを。すいません」

「いや、いいよ。これからは恋人なわけだし」

「恋人……そう、なんですよね」


 彼女はまだそれが信じられないかのように、どこか夢見心地。


「あ、そうだ!鐘、あと1回鳴らし忘れてました!」


 今気づいたとばかりに、慌てて鐘をつく準備をする静香。


「せっかくだし、最後は二人でやらないか?」

「……ありがとうございます」

「別にお礼を言われる事じゃないって」


 お互い目を見合わせて、くすっと笑い合う。

 そして、ゴーン、と108回目の鐘の音が鳴ったのだった。


「でも、やっぱり遠距離なんだよな」


 鐘つき堂で二人して座って、夜の海を見下ろす。


「……不安、ですか?」

「ごめん。弱気になってても仕方がないよな」


 遠距離でもやっていくと決めたのだと言い聞かせる。


「あ、あの。それでしたら、実は、提案、が、ある、んですけど」


 何やら無性に恥ずかしがりながら、つっかえつっかえ言葉を紡ぐ彼女。

 一体何がそうさせるのだろうか。


「提案?」

「あ、あの。元々、進学先は東京にしようと思っていたんです。ですからその……」

「1年経てば一緒に居られるということか。ありがとう」


 考えの外にあったけど、そうまで想ってくれていると嬉しくなるというもの。


「それもあるんですけど。そうじゃなくてですね……」

「?」

「わ、私も、東京に引っ越しして、どこか部屋を借りて受験勉強をすれば、1年待たなくてもいいんじゃないかな、と」

「え、えええ?」


 その提案を聞いた静夜といえばびっくり仰天。それもそのはず。


「高校はどうするんだ?あと1年とちょっとあるだろう」

「転校します」

「おじさんは?高校生の娘を1人暮らしさせるとか、心配するんじゃないか?」

「説得しました。もし、静夜さんが話を受けてくれたら、と。あと、その場合には、静夜さんに面倒を見てもらうという条件で」

「……」


 静夜はあまりにあまりな事態に混乱の極み。

 まさか、OKの場合にそこまで準備してあったとは。


「知らなかったよ。静香、意外に計算高かったんだな」

「だって、私も遠距離恋愛は辛いですから」

「といっても、そこまでするとはな……」


 本当に呆れるしかない。


「恋の力は怖いんですよ。だから、これからは覚悟してくださいね?」


 そうニッコリ笑顔で言う静香に、静夜は敗北を悟るのだった。

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