第10話揺れる思いと重なる想い
「それでね! ジーナちゃんが、最後だったんだけど、私が伝えたものとは全然別の事回してたらしいの! なのに正解しちゃったのよ! 私が伝えたのは問題の方だったのに、気がつけばみんな答えを回してたのに、ジーナちゃん、問題の方答えて正解しちゃったのよ! 伝言ゲームとは!?って感じだったの! それで、今日の宿題は無しー!」
「へぇ! それはすごいなぁ!」
「えへへ、恐縮です! ナト君が、うっかりしたー!って顔してたのでなんとなくそうなのかなって!」
「それに比べてアリスチームは全然ダメだったのよ! 問題の答えすら間違ってたわ! 話にならない!」
「そりゃ、失礼しました。オイラも頑張ったんだけどなー」
「うふふ、実力が違うわね! それよりも、お父さんご飯食べないの?」
「え!? いやー、あはは、お父さん今日お腹空いてないんだ」
学校から帰って来た少女三人は急速に仲を深めていた。
ヘルヴィス提案の伝言ゲームが奏功し、ジーナは瞬く間にクラスに溶け込んだ。アリスも、恐る恐るではあったが、クラスの輪に片足ずつでも入れる様になってきていた。
「ジーナ、よく頑張りましたね。さすがです。アリスは仕方ないですね、自分から発信する事にしか興味が無いですもんね」
「お母さん、オイラはそんなに攻撃的な表現者じゃないから。それよりも、お母さん、ちょっと食べ過ぎなんじゃない?」
「お母さんはたくさん働いたので今日はカリドさんがご褒美としてくれました」
「お母さん、えらい! いい子いい子!」
「っ!! ジーナ……ご飯どきにそういう事は……ちょっと……」
アリスは、頬を赤らめているマリには目もくれず、皿に並々と盛られた野菜を嫌悪の色を隠しながら、無表情で覗き込む。
アリスは、どうせ全て口に入る前に灰にしてしまうのなら、カリドに渡してやれ、とアイコンタクトを送ったが、上手く伝わらず、結局全て灰になった。
その日の晩は、ひたすらカリドの腹の音が鳴り響く夜となったのは言うまでもなく、ジーナとティリアはそんな事は全く気にする気配もなく、爆睡をかましていた。
マリでさえ、かなりの騒音の中、ぴっしりとした寝姿勢で入眠していた。
寝ていないのは、真っ暗で無音の中でしか寝られないデリケートなアリスだけ。
(んーー! 寝られないぞ! うるさすぎる!)
(ぐがーー! ぐんごー!)
(あー! コロ! 静かにしてくれ! こっちもうるさい!)
たまらず、寝藁から飛び出すアリス。
今日の情報交換という名目で、腹いせにマリを叩き起こす。
アリスは、バシバシとマリのお腹を叩きながら、呼びかけた。
「お母さん、トイレに行きたいんだけど」
「うーん。右の戸棚に入ってますよ」
「何が!?」
何度も呼びかけたが、返事が的を射る事は一度としてなかった。
それどころか、マリは体をピンと伸ばした寝姿勢のまま、うつ伏せに寝返りを打った。
よほどお腹に打撃が響いたのか、その場でくるりと焼いた肉をひっくり返す様に回った。
「そんな事になるかね?」
アリスは、その後も懲りずに夢うつつのマリを揺り起こそうとするも、うめき声を地面に向かって上げるだけで一向に起きる気配はなかった。
(もしかしたら、夢と現実が混同してしまっているか? そうなると魔力酔いに近い状態になっている可能性もあるか……? だから言わんこっちゃない。あんなに瞬間的にたくさん魔力を使うからだ)
呆れた様子のアリスは、一人でに立ち上がる。
寝藁を整え、いたずらにマリの頭に寝藁をばさりと被せてから、自身の体についた藁を手でマリの頭に追加で払い除ける。
「仕方ない、少し落ち着く為に一人で外に出るか」
「どうした? アリス嬢ちゃん、トイレか?」
「うわっ!!」
突如として声をかけられたアリスは心臓と共に、驚きのあまり、少し跳ねた。
あまりのアリスのビビり様に、にこやかに話しかけたカリドは、途端申し訳なさそうに腰を低く折り曲げる。
「あぁ! 悪い、悪い! 驚かせるつもりはなかったんだ! ただ、マリさんは今日疲れてるから、起こさないであげようと思って俺が声をかけたんだ。外に行きたいなら俺が付いてくから」
目の前に転がっている魔女は、ただの魔法の使い過ぎでグロッキーになっているだけ。しかも、カリドの分のご飯までわざわざ炭に変えたせいときているのに、事情を知らないカリドが自分に優しくしてくれる事が、アリスはなんだか心苦しく思えてならなかった。
しかし、それと同時に、カリドと二人きりで話せるまたとないチャンスであるのも事実。この村の事や、壁の中の事について詳しく聞くには絶好のタイミングである。
「お腹空いてるんじゃないの? 外出たらお腹空いちゃうよ?」
「大丈夫、俺、今ダイエット中だから」
ダイエットする様な体型では全くもってない。それどころかもう少し栄養を取らねばいけないくらい痩身のカリドが、痩せ我慢をしているのは明白だった。
しかし、それもアリスにとっては好都合だった。
ここで情報を聞き出せたら、マリのなめきった態度も少しは改善されるだろう。
「……分かった。 カリド、お外に連れてって」
アリスの言葉に、カリドはにこりと笑った。
「よっしゃ! 任せろ!」
二人は、寝ている三人を起こしたり、蹴り飛ばしたりしない様、細心の注意を払って外に出た。
アリスは外に出ると、一つ大きく伸びをした。
部屋が真っ暗闇だからか、月明かりに照らされた景色がとても明るく感じられた。
「んじゃ、ちょっと林の中でも歩くか、迷子にならん程度に手前の方までで」
カリドの言葉に無言で頷く。
「手繋ぐか?」
「手はいい。大丈夫」
「そっか。ならはぐれないようにな」
アリスは、先に林に入っていったカリドの後を離されぬ様、小走りで追いかけた。
「ティリアが、今日のご飯時色々と言ってたけど、俺から謝らせてもらうよ。すまなかったな。あんな風にちょっと生意気な口を聞いてしまうのはそれだけアリス嬢ちゃんの事を信頼しているんだ。すまんが、分かってやってくれ」
「あぁ。別に何も気にしてない。大丈夫」
「さすが、お姉さんだ。優しいね」
カリドが、わしゃわしゃとアリスの頭を撫でた。
「う……うん! えへへ! オイラはお姉さんだから当たり前なんだ!」
「何を言うんだ、アリス嬢ちゃん」
「え?」
「お姉さんでも、当たり前じゃないんだぞ? 誰にでもできる事じゃない。アリス嬢ちゃんが特別いい子だからだ!」
ニコリと笑うカリドを見て、アリスは、体の内側から何かが込み上げてくる様なむず痒い感覚に襲われた。
得も言われぬその感覚は、久しく罵倒しかされてこなかった弊害からか、それとも、それを知ったのが自分が生まれた直後くらいの古い記憶で思い出せないだけなのか、それが自己顕示欲が満たされて起こっているのだと、気づくのに時間がかかった。
「オイラ……いい子?」
「うん! とっても!」
「ほんとに?」
「あぁ!」
どうやらこの欲は満たされると口角がどんどんと上がっていくらしい。
アリスは、まるでジャッキアップされた車の様に上がる口角と共に、己の壊れかかった自己肯定感がみるみる内に回復していくのが分かった。
「ガハハ……! ガハハー!」
例え魔女でも、人から褒められるものは純粋に嬉しかった。
また、明日も頑張ろう。そう思えてしまうほどに、アリスは単純だった。
「さぁ、いい子はささっと用を済ませて、寝ようか」
「分かった!」
本当に、マリより年上か疑いたくなる程に、素直にカリドの言う事を聞き、茂みの奥深くに入り込む。
褒められた余韻に浸りながら、マリが作ってくれた一張羅を少しずつ解いていく。
そして気付く。
「いや、オイラ、用を足しにきたわけじゃない!」
口をついた言葉に、咄嗟に手で口を塞ぐ。
後ろを振り返るが、カリドが追いかけてくる様子が無い事に、ほっと胸を撫で下ろした。
「違う、違う! 危うく外の空気吸って戻るところだったぞ……!」
一旦、深呼吸をし、冷静になってやるべき事を振り返る。
「そうだ、オイラはカリドから村の情報について少しでも聞き出そうとしてたんだった」
二人きりになれるチャンスはそうは無い。マリは、農作業や、カリドとの賭け事まがいに躍起になってまともに話を聞いてこない。
ここで、情報を入手できるのは自分だけ。そして、情報を仕入れた暁に、あわよくばマリの鼻の明かしぎゃふんといわせた後、ジーナに賛辞の嵐をこれでもかと、おくりつけてもらい、立場をしっかりと理解させるつもりでいた。
「よしよし、ここで上手くやるのが、これからのオイラの立場に直結するんだ! 上手くやるんだ! アリス!」
十分に気合いをつけ、再びカリドの前に姿を現した。
「お待たせ、ありがとう」
「あぁ! 良いって事よ! それじゃあ、戻るかね!」
アリスは、こくりと頷いた。
それからしばらく、カリドが茂みをガサガサと掻き分ける音しか聞こえない時間が過ぎた。
つけた気合いが薄れてくるのではないかと思える程に時間が経っていたが、アリスは、未だに一言目を切り出すのに手間取っていた。
何と言えば自然か、何を言えば怪しまれないか、具体的には何を聞けばいいのか。考えなしに情報、情報と意気込んで飛び出した数刻前の自分を呪った。
しかし、何かを話さないといつまでも茂みがカリドの行手を阻んでくれるわけじゃない。
アリスは、考え無しに言葉を発した。
「そ、それにしても、ティリアちゃんしっかりしているね! さすがカリドの娘って感じだ。ま、まぁ、オイラ程じゃないけどー! ガ、ガハハー!」
「ははは! まだまだあいつは子供だよ。最近はましになってきたけど、ここに来たすぐの時は、ずっと塞ぎ込んでばかりだった。まぁ、塞ぎ込むなって言う方が無理な話だけどな……」
アリスは、自分の話の振り方が成功した事を悟った。
「どうして塞ぎ込んでたのか……聞いても良い?」
カリドは、少し間を開けた後、ぽつりぽつりと話しだした。
「魔女狩りで母親を亡くしたんだ。そして、何もないこの荒野に身一つで投げ出された」
「え……? 荒野……?」
「ここは、元々何も無い土地だった。このヘナンド村は、魔女狩りの被害者遺族達が、ゼロから全てを作り出した村なんだ。そして、この黒いのは魔女の疑いをかけられた者の家族の印。絶対に外せない様になってる」
カリドは、真っ黒なチョーカーをそっと指でなぞった。
その姿は哀愁が漂っていたが、表情は辛さ一色というわけでは無い様にアリスは感じた。
「アリス嬢ちゃんは、魔女と魔女狩りは分かるかい?」
「うん」
「この国のコロシアムという所では魔女狩りが週に二回行われているんだ。そして、魔女狩りの対象となった人は徹底的に魔女かどうかを調べ上げられる。痛い目に合わせるんだ。魔女は死なないって言われているからね。そして、それを見ている人間は、その人が魔女か魔女じゃないかを予想するんだ。当たればお金がもらえる。賭けというやつだ。あのコロシアムは、魔女狩りを利用した賭博場なんだよ」
アリスは、驚愕した。
コロシアムで魔女狩りが行われているという事は知っていたが、まさかそれに乗じた賭博まで行われているとは、考えもしなかった。
そして、異様に低い生活レベルと、それに見合わない程上等な首元のチョーカーの理由にも合点がいった。
そんな、ヘビー級の告白をしているにも関わらず、カリドは、特に変わった様子もなく茂みを掻き分け続けている。
「ティリアの母親も、魔女狩りに連れて行かれた。そして、あっけなく死んでいった。私は、魔女と呼ばれても生き残る、なんて言ってたのに、あっさりこの世からいなくなっちまったんだ」
「そんな……」
「んで、俺はこのチョーカーをつけられこの地に放り捨てられた。そして、ティリアだが……」
カリドは言葉を切った。
アリスはふと思い返す。
そういえば、ティリアにはこのチョーカーはついていなかった。
「あの子は、街を追放される前に逃がした。先に自ら追放させたんだ。俺達みたいな奴らには衛兵も構っていられないからな。少女が一人ふらっといなくなったって誰もわざわざ追って来てチョーカーをつけようなんて思わないのさ。だから、あの子だけはやりようによってはいつでも街に戻れるんだ。だけど、俺は、あの子を先に追放させるというこの選択は失敗だったんじゃないかって思ってるんだ」
「何で? ティリアにとっては、魔女に関わっている人達が作ったと周りから思われているこの村から出られるのは良い事なんじゃないの?」
「それは、俺達側の、大人の都合さ。あの子がそれを望んでいたわけじゃない。それどころか、母親が亡くなった時に、俺は側にいてやるどころか、何も無い荒野に飯だけ持たせて放り出したんだ。あの数日間は……ティリアにとって地獄だっただろう。俺なんかじゃ想像もつかないくらいに。泣いて、泣いて、それでも泣いて……でも誰も助けてくれない、慰めてくれない。俺がようやく再開出来た時には、泣きすぎで目がパンパンに腫れていた。俺は、かける言葉を失ってしまった。それから、あの子はずっと塞ぎ込んでいたんだ。ましになってきた今でも、長時間一人でいる事に恐怖を感じるみたいだし、それ以外にも、俺の知らない何かを抱えながら生きている。本当に……父親失格もいいとこだ」
カリドの声は震えていた。
アリスは、こんな時にかける言葉を見つける事が出来なかった。
愛する人間を失った後、その悲しみに引きずられる間もなく、愛娘を探し、見つけた姿が悲惨な状態だったカリドは、きっとこれ以上にかける言葉がなかったのだろう。
アリスは、カリドの心中を想像するだけで、胸が締め付けられる様な思いだった。
ガサガサと茂みを掻き分ける音が止み、見覚えのある荒れた地と、石造りの家が月光に照らされて映し出されている。
「ごめんな、変な空気にしちゃって」
「いや、こっちこそ、踏み込んだ話聞いちゃってごめん」
「いやいや、この事はいつか話しておかないといけないかなと思ってた所だったんだ。ちょうど良いさ。それじゃ、また寝ようか。明日もしっかり働かないとな!」
「うん」
再び二人は、ゆっくりと寝ている者達を起こさぬ様、開きづらい扉をこじ開け、「おやすみ」と声を掛け合い寝藁に潜り込んだ。
アリスの隣で寝ているティリアは、健やかな寝息をたてて夢の中にいる。
この小さな体で、そんな重たい過去を背負いながらあんなに明るく振る舞っていたなんて知らなかった。
アリスは、変わる事の無いティリアの寝顔を一晩中見続けた。
アリスは、その日一睡もする事が出来なかった。
救世の魔女 雨後の筍 @ugonotakenoko
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