アイビー
あん
アイビー
夢に…君を見た。
寝起きのおぼろげな記憶でしかとはわからないが、
側に彼女が立っていた。昔のようににっこり笑っていた…
「そうか。誕生日のお祝いに来てくれたのかな」
スマホに映し出される誕生日おめでとうの文字を見て、
康之は今日が自分の誕生日なのだと気づいた。
家族が自分の側から居なくなってからの彼のカレンダーには
結婚記念日と3月11日と母子二人の誕生日だけが記憶されていて
自分の誕生日なんてものはとうの昔に忘れ去られて居た。
どうも男という生き物はどうしようもなく見掛け倒しの
腑抜けであるようで、全てを失ったことで
死ぬ勇気も無ければ生きる気力も無くしてしまったようだ。
街までフラフラと出掛けて、壊れた風呂の蓋を買いに来たが
まあ風呂の蓋なんてものは無くても困らないかと思い直して
ホームセンターへ入るのをやめて踵を返した。
ホームセンターの軒先にはたくさんの植木が並べられて居たが
その中に小さなアイビーを見つけた。
彼女が結婚式のウェルカムボードに施されたフラワーアレンジメントから
アイビーを鉢に移してからは、夫婦の生活のそばにはいつも
アイビーが飾られて居たものだ。
一瞬躊躇ったものの、康之はそれを手に取って店に入ることにした。
車の助手席にアイビーを乗せ、アクセルをゆっくり踏み込む。
こんなゆっくり車を発進させるのはひどく久しぶりに感じる。
驚かせないようにゆっくりと…泣き出すと困るからゆっくりと…
早めにブレーキを踏んでそおっとハンドルを切る。
港沿いの道は薄暗く、あまり心地いい風ではないが、
少し窓を開けて風を頬に当てることにした。
朝から底冷えがして凍るような寒さだったのに
今はむしろ暖かさすら感じるのはなぜだろう。
年始の準備なんてものも気が回らなくなった癖に
選りにも選って自分一人で自分の誕生日のケーキを買うとは
生きていると不思議な事もあるものだ。
シャンパンとジュースをテーブルに並べ、
ケーキとローストビーフを皿に乗せると、
二つのグラスにシャンパンを注ぎ、グラスを軽く鳴らせた。
ここ数年、年末は飲み歩いて家に帰る事もなかったというのに
コロナだかなんだか知らないが、街の飲食店も軒並み
はやく閉店するために今年はそんなばかな真似もできやしない。
何を思ってこんな事をする羽目になろうかと思うと
全くもって余計なお世話だ。
食事が終わって酔い覚ましにベランダに出て街の方を眺める。
ふと見上げると、雪がちらついて居た。
なぜ雪が降ると外が暖かく感じられるのか、
子供の頃から疑問に思って居たが、
康之は今それがなんと無くわかる気がした。
アイビー あん @josuian
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