肆・クリスマス イルミネーション

その日は随分と暗かった。塾の授業が長引いてしまったこともあるし、何しろ空の具合が悪かった。

 朝から曇っていた空は昼過ぎには雨が降り始め、夕暮れ時には季節外れの嵐が来た。雨の激しさは時間と共に増しており、遠くで聞こえる雷の音も段々と近くなっているように感じる。早く帰らなくては。そんな焦りが湧き上がる。雨が止むまで塾で待っていたかったが、いつになるかわからない。のんびりと話しながら雨止みや、親の迎えを待つ同級生に別れを告げて、私は塾を出た。「気をつけてね」先生が言ったその言葉に「はーい」と気のない返事をする。家はそんなに遠くない。雷が近づく前に帰ることができるだろう。そう思いながら嵐の暗闇へ歩き出した。


 私の家は小学校のすぐ近くにある。小学生の頃は家が近くて嬉しかったが、中学校までは少し距離があった。小学校の裏にはちょっとした小高い森があり、地元に子供の間では「裏山」と呼ばれていた。実際には山というほど壮大なものではなく一周20分程度で歩けるような、その程度のものであった。

 私の通っている塾は、その裏山を挟んでちょうど小学校の反対に位置する。つまり、私の家とも反対側というわけだ。そうなると自然に、家まで最短で帰るには山沿いを歩かなくてはいけなくなる。だが、この山沿いの道には一切の街灯がないのだ。

 小学校の頃は「お化けが出る」だの「妖怪が出る」だの色々な噂があった道だ。それに街灯がないことから不審者の目撃情報もあり、親から「あの道はなるべく使うな」と言われていた道だ。当然、普段はその道を使わないようにしていた。

 しかし今は状況が違う。なるべく早く帰らなくてはならないのだ。雨と寒さで震える傘を、今一度強く握り、帰る足を早めた。

 塾のある住宅街を歩き、目の前の裏山を目指して歩く。その山はなんだか不気味なもののように思われ、傘で隠し、なるべく見ないようにした。足元を見つめながら水溜りに注意して歩いていく。雨がこれだけ降っているというのにあたりは異様に静かに感じられる。嵐の前の静けさというのだろうか。いや、嵐ならすでに来ているではないか。雷の音が聞こえた。その音は先ほどよりかなり近い。急がねば。住宅の並ぶ大きな道をそれ、裏山へと続く小さな道に入った。

 その道は小さな小道になっている。進むごとに灯りが少なくなっていき、突き当たりの山のある場所はもう真っ暗だ。月明かりだけが頼りであり、幻想的とも不気味ともとることができる。ちょうど小道の入り口に立って正面を眺めれば、まるで黒い巨大な壁、あるいはどこまでも続く深い闇があるようで、こちらは否応なしに気味が悪い。

 だがそれはいつもの話だ。今日は少々様子が違った。


 小道の奥の深い闇、そこにいくつもの赤い灯りがぼんやりと浮かんでいた。それは時々点滅し、じっと動かずそこにある。なんだろう。今まであんなものはなかったはずだ。防犯用に灯りをついに設置したのか。それにしては不気味な色だし、何しろ明るさが足らないだろう。一体なんのために。まるで暗闇に光る獣の目のようなそれらは、あいも変わらずにそこにある。

目、目…そう目だ。

 そう思った瞬間、一気に寒気がした。見られている。きっとあれは目だ。なぜだかそんな気がして止まなかった。やはり回り道をして帰ろう。そう思い後ずさったとき、ひときわ大きい雷が山の向こうに落ちた。まずい。もうすぐそこまできている。回り道をしている時間も危ない。不確定な目のような何かより、確実にそこに迫っている雷の恐怖のほうが勝った。私は近道、つまり山沿いの道を歩くことを決める。

 なるべく山の方を見ないように、足元を見つめて山へ向かって進む。一歩一歩進むごとになんだか嫌な予感が増してきて、その度に早足になっていった。すぐに山に突き当たり、あとは左へと進むだけである。このまま足元を見つめていれば大丈夫。そう自分に言い聞かせて歩き出す。しかし、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、正体を突き止めたくなった。このまま分からずじまいも気持ちが悪い。いっそのことその姿を見たほうが気が楽になり、恐怖が和らぐにではないか。そんな言い訳をしながら、チラリと山を見上げる。その瞬間に、山の向こう側、すぐそこに今までで一番大きな雷が落ちた。その光に照らされて、ソイツのシルエットがあらわになる。

 一本足で、けむくじゃらで、上半身が丸く、葉っぱを纏っているような。まるで一本の木のようなシルエットであった。というか木だった。そう、木だ。そうなると話は早かった。先程から見えているいくつもの赤い光、それはイルミネーションの電飾なのだろう。そういえばクリスマスも近い。一体誰が設置したのか。趣味が悪い。

 正体がわかってしまえば気楽なもので、私はさっと向き直り歩き始めた。今はもう雷の恐怖だけが私を支配していた。山沿いのカーブを曲がり、もうそろそろ家に着く。それで、先程のあたりが見えなくなる直前、もう一度だけ振り返って見てみた。するとやっぱり赤い光が浮かんでいた。遠くで改めて見るとやっぱり気持ち悪い。それに誰かに見られている気がする。ゾクリと背筋に悪寒が走り、さっと前に向き直る。私は再び歩き始めたが、今度は雷のことも頭から離れ、とにかく早く帰ることを考えていた。家に着く間、ほとんど下を見て歩いた。

 

 まもなく家につき、母親が出迎えてくれた。「大変だったでしょー?危ないんだから塾でゆっくりしてればよかったのに」なんて言いながら私の心配をする母の手には、懐中電灯が握られていた。

「なんで懐中電灯握ってるの?」

「さっき…10分前くらいかな?大きい雷あったじゃない?あれであたりが停電してるみたいなのよ。早く治らないかしらね」

母はそう言った。その雷ならあれだろう。木のシルエットを映したあれ。あれは確かに大きかった。でもその話はおかしいような気がした。あの雷で停電が起きていたなら、私がそのあと振り返った時に見た赤い灯りはなんだったのだろう。

 翌日朝一番にその場所を見にいったが、そこには電飾はおろか、木すらも生えていなかった。

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怪談短編集・百物語 @Hisa-Kado

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