参・楽しかったでしょ

十一月の終わり頃、冬の寒さが厳しくなってきた時期のことである。


 部活動が終わって帰路に着くのが大体7時くらいであり、あたりはすっかり暗く、冷たい風も吹いていた。

 いつもであれば寄り道などせずに真っ直ぐ帰るのだが、その日は事情があった。一緒に帰る友人が突然「回り道をしよう」などと言い出したのだ。特別に早く帰らなくてはならない用事があるわけでもなかったので承認したわけだが、せめて理由くらいは聞いておくべきだったのかもしれない。なぜ友人は突然に回り道を提案したのだろう。なぜあのような事をしたのだろうか。いまだにその謎は解けない。

 

 私の前を率先して歩く友人であったが、いったいどこへ行こうというのか。全く何も口にしない。無言でただ、付いて来いと言わんばかりに歩いていく。しんと静まりかえった住宅街、その脇の誰もいない公園。その錆びれた遊具たち、ただでさえ普段から頼りないそれらが、より一層寂しく感じられる。友人はその公園を見たときに、何か悩んでいるように立ち止まったが、少しも経たないうちに再び歩き出した。

 その後いくつかの公園を巡り、そのたびに友人は立ち止まり、そして私は不安になっていった。どこの公園にも人の姿はない。公園を巡り出した初めの頃は、「どこかで不良たちと鉢合わせてしまうのではないか」といった不安があったが、今は違う。たとえ不良でもいいからいてくれた方がマシである。そう思えるほど、私の心を不気味な恐怖心が覆っていた。

 

 あたりの公園をほとんど回ったのではないかと思われた8時過ぎ、私たちは懐かしの小学校に前に辿り着いた。

 「なぁ、少し遊んでいかないか」

それまで無言だった友人が学校を見ながら冷たく呟く。しかし、横から見る友人の顔はどこか楽し気で、その温度差が異様なほど不気味であった。

 「もう遅いし帰ろう。それに小学校の門は閉まっている。まさか侵入する気じゃないだろう?そんなことはダメだ。少なくとも僕は一人で帰るぞ」

友人の悪ふざけを嗜めるように、あるいは、得体の知れないナニカを刺激しないように、私は慎重に彼に告げた。

「つれないこと言うなよ、チョットだけだからさ、な」

ニタニタと気味の悪い笑顔をこちらに向けながら、彼はそう提案する。何かを企んでいるのか、それとも頭がおかしくなってしまったのか、友人の考えがまるで読めない。たまらず顔を背けて小学校の方を向いたが、これがまた不気味な事この上ない。


 数年ぶりに訪れた小学校は、懐かしさよりも、よそよそしさが感じられた。まるで知らない学校の前にいるような、自分たちの過ごした学校はすっかり別のものになってしまったかのようである。しかし、その建物の外観や校庭の様子は記憶と何一つ変わらない、どこまでも知っているはずのものであった。

 誰もいないサッカーコートも、端の方にある鉄棒も、並び立つ登り棒も、あの頃から同じままだ。それなのにこうまで馴染みの無いものに思えるのは、きっと久しぶりだからと言う理由だけでは無いのだろう。もっと根本的な、懐かしさよりも勝る何かが、確かにあった。

「勝手にしろ、先に帰るぞ」

最後の忠告だとも言わんばかりの言葉を残し、帰ろうと振り返った。

 

 私の小学校の門からは、大きなトラックがすれ違える程の広い道がまっすぐに伸びている。その道の両端には歩道があり、小学生が安全に下校できるようになっていた。そして歩道と車道の間には、大きなイチョウの木と街灯が交互に並んでいる。秋には紅葉の綺麗な並木道として知られるこの道も、11月の終わりでは葉も落ち、すっかり寂しい様子である。イチョウの木の上の方の枝は、道の中心に向かって伸びており、まるで道を包んでいるようだ。さらに、道の両端は街灯によって照らされているのだが、中心はかえって真っ暗なのである。

 

 その景色はまるで暗闇に続くトンネルにようであり、振り返った私にさらなる恐怖を与えた。だが、私の「帰る」という意思を鈍らせた真の恐怖はそれでは無い。また別の理由なのである。


 そのトンネルのような並木道の真ん中、どこまでも続いているような暗闇の中に、人が立っていたのだ。それは、さっきまで隣にいたはずの友人であった。あの不気味な笑顔を浮かべて、こちらに来い、と言うように手招きしていた。

 とっさに振り返り先程まで友人がいた場所を確かめるが、そこには誰もいない。一体いつの間に移動したのだろう。再び振り返り、友人の立っていた道の方へ向き直る。すると今度はすぐ側、手を伸ばせば届く位置に友人がいた。明らかに異常だ。私の体が反射的にビクリと跳ねる。きっとこの友人は私の知る彼では無い。この奇妙なものから距離を取ろうと少し後ずさる。するとソレはニュっと上半身を乗り出して顔を近づけてきた。

「驚いた?今驚いたでしょ?面白かった?面白かったでしょ?」

イタズラを成功させた子供のような、そんな無邪気なセリフである。しかし気味の悪い、人を不快にするような笑顔を浮かべている。

「からかうのはやめろ、もう帰るぞ」

そう吐き捨て、逃げるように早足で去る。一刻も早く帰る、というよりこのナニカから離れたかった。

 並木道の手前の小道に入り込む。そこは先程の道よりも灯りが少なく暗かった。しかし、安心感はある。一時的とはいえ、あの得体の知れないモノから離れたからであろうか。だが、この安心もいつまで持つかわからない。早めに抜けよう。そのまま振り返ることなく、早足で小道を抜けた。


 抜けた先は馴染みの道である。もう家のすぐ近くで灯りも多い。民家の並ぶ通りを駆けて行く。気づけば走り出していた。小道を抜けてからは何もなく、もしかしたら今頃は友人も、ふざけ過ぎたと反省しながら帰路についているかもしれない。そんなことを思うと、彼を置いてきてしまったことは申し訳ないようにも思う。明日、学校で会ったら簡単に詫びを入れたほうがいいだろうか、しかしそもそもは向こうの悪ふざけが悪いのだ。謝罪をするなら向こうからだろう。あっちが先に謝ってきたら、こちらも大人しく謝罪しよう。

 そんなことを考えているうちに家に着く。そういえば、お腹が空いた。時間ももう遅い、早く夕飯を食べよう。家の扉に手をかけたその時

「わっ!!」

突然の声。慌てて振り返るとそこには友人がいた。あの気味の笑顔を浮かべながら。


 「なんでいるんだよ!?」

咄嗟に声が出る。付けてきたのか?でもそんな気配はなかった。それにここまでは走ってきたのだ。後ろにいれば、いくらなんでも足音などで気づく。物陰から隠れて追ってきたとも思えない、そうすればすぐに私のことを見失うはずだ。待ち伏せもないだろう。彼は私の家の詳しい場所なんて知らないはずなのである。考えれば考えるほど不気味である。私が戸惑っていると、彼が口を開いた。

「驚いた?面白かったでしょ?楽しかったでしょ?驚いた?面白かったでしょ?楽しかったでしょ?楽しかったでしょ?楽しかったでしょ?楽しかったでしょ?楽しかった…………」

壊れた機械みたいに、同じ言葉を繰り返している。相変わらず、その表情は笑顔だ。

 

 私は逃げるように家の中に駆け込み、そのまま二階の自分の部屋まで走った。「ご飯できてるわよ〜」という母親の言葉も無視して、ベッドの中に閉じこもる。やっぱりあれは友人じゃない。いったなんだってんだ。どうしてこんな目に遭うのか。何もかもがわからなかった。



 あれこれと考えているうちに寝てしまったらしい、気づくと朝になっていた。下に降りると「昨日はどうしちゃったのよ〜?友達と喧嘩でもしたの?」と呑気なことを話しかけてくる。「そんなところ」なんて適当な返事をして朝食を食べる。

 あれはなんだったのだろう。一日しか経っていないというのに、すでにぼやけている。まるで現実の出来事ではなかったかのような気さえしてくる。疲れからの幻覚か、それとも夢だったのか。

 結局、自分の中でも結論が出ないまま学校に着いた。いつも通り教室に向かう。そのとき、廊下の向こうから彼が歩いてきた。その姿を見た途端に体が反応する。やっぱりあれは現実だった。そう思い知らされるようだ。だが、今朝の友人はどうも様子が違う。なんというか、いつも通りなのだ。昨日のような得体の知れない気配は感じない。

 向こうも私に気づいたようだ、「よ!」っと手を挙げて挨拶してくる。こちらも挨拶を返して少し話す。

「昨日さ、帰りのこと覚えてる?」

慎重に問いかけた

「昨日?一緒に帰る予定だったのにお前が先に帰ったんだろ?何か用事でもあったのか?」

友人は確かにそう答えた。そう、「一緒には帰らなかった」と言ったのだ。では昨日のあれは?やはり友人ではなかった、という安心感と、いったい何と帰ってたんだ、という恐怖が押し寄せる。

「実はそう…用事でさ、ごめんな」

そう言い、その場を離れる。とりあえず一人で考えたかった。教室へ向かう。


 そしてその途中、友人とすれ違う際に、彼はニヤリと笑い。

「楽しかったでしょ?」

そう言った。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る