4.雪花
その村を出たのは朝の少し遅い時間。
喪儀司である彼女は老婆の娘を埋葬し、ひっそり(蘇りの力なしの)憐歌を捧げた。
儀式を終えたら既に空が白んでいた。とはいえすぐに出発なんかはできるはずもなく、「少しの間眠ってから村を発つ」と少女は言った。ただ当然ながら老婆の家にご厄介になれるわけもなく、弟子は野宿となった。
そうして朝日が昇って少ししたころ、村の住人らしき人が二人やってきて、眠っている弟子を見つけた。村では母子の生存及び生活をひっそり見守るという暗黙のルールができて、定期的に村のだれかが様子を村長に報告しているらしい。
「娘さんには悪霊が憑いていたので祓いました」
少女は二人にそう説明した。間違った説明ではないし、なにもすべてを赤の他人に話す必要もない。話したところでこじれるだけだろうし。
この村なら、時間はかかるだろうが、老婆は再び娘と向き合うことができるはず。
まあぼくに直接関係があるわけではないからさほどの興味がないというのが本音ではある。だが弟子が後ろ髪引かれないよう言いくるめることはできるから、意図せずぼくにとっても(都合が)良い村となった。
そうして弟子の念願であった、ティファンのいる村に向かった。その村とティファンがいる村とは距離が近く、半日も歩かないうちに到着できた。
「すみません。この村にティファンという名の女性がいらしていませんか」
村の入り口から一番近い民家に手畑仕事をしていた女性に、少女は声をかけた。すると女性は怪訝な顔でまじまじと少女を見つめた。たっぷり一分ほど眺めると、二重になっている顎を揺らしながら細い目をさらに細め、
「あなたお知り合いなの?」声を潜めて少女に問う。
「わたしは弟子です。唐突に姿を消してしまった師匠を探して、失踪の理由を聞きにきたんです」
弟子は迷いなく告げた。
「そうだったの。でも……それは、難しいかも」
女性は独り言のように呟いた。弟子は言葉の意味が分からずに眉を寄せる。
少女が問いただす前に、農婦は「ちょっとまってね」と前掛けで手を拭くと、舗装された道に顔だけを出して太い指で道の先を示した。
「この先を行ったところに花畑があるの。たぶんそこにいるわ」
と少女を送り出した。
少女も深くは聞かずに小さくうなずき返し、言われた道を歩む。
何軒かの家を過ぎたとき、視界が一気に晴れる。その先に、スノードロップが地を埋めてしまうほどに咲いていた。
はたして、その白い花畑の中に、彼女はいた。
真っ黒な衣装を身にまとい、銀髪を三つ編みにして垂れている。弟子が焦がれていた人物。
「ししょう」
声は消えそうなほどに小さかった。だが彼女は振り返った。
距離はそこまで近くない。たぶん偶然振り返っただけなのだろう。けれど少女にはそんなことどうでもいいようで、感動を全身で表していた。
「師匠」
喉になにかを詰まらせたように顔を苦しげに歪め、ゆっくりとその息を吐き出す。そしてまた息を吸って、今度は言葉と共に吐きだした。
「どうしてなにも言わずにいなくなったの」
風が白花を揺らす。その風に流された髪を押さえながら、ティファンは戸惑ったような笑顔を弟子に向けた。
「ええと……ごめんなさい。どちらさま?」
ティファンの言葉に、弟子は声を失った。目は見開かれているのに、その目に花なんか映っていない。おそらく闇だけが彼女の視界に広がっていることだろう。愉快だ、なんて言ったら彼女に殴られてしまいそうだから黙っておく。
さてどう出るのか――……。
ニタニタ笑いを秘めながら弟子の次の行動を観察する。泣くか、怒るか、問いただすか、絶望するか。どれも面倒で、どれも素敵だ。それでこそ人間だ。さあどうする。
わくわくしてしまうぼくの前で、少女は鋭く息を吸い、
「忘れちゃっても無理ないよ。わたしはあなたに助けられたうちのひとりってだけだから。今日は通りがかったから、会いにきたの」
あどけない少女の笑顔で、彼女は続ける。
「死ぬことしか考えてなかったわたしの前に現れて、ティファンさんは手を差し伸べて泥の中から救い出してくれた。そうして、わたしに生きる
少女は「それだけ」と笑って言う。その笑顔が虚勢だって見ればわかる。
ティファンはなにも言わなかった。ただ黙って少女の話を聞いていた。けれどおもむろにその口を開くと、
「―—私、楽しかった思い出や、幸せだった記憶がすべて抜け落ちているの。ううん、すべて忘れて、なかったことになっちゃうみたいなの。だから今残っているのは、小さいころの暴力の記憶、まだ若かったころは喪儀司として信頼を得られなかったっていう記憶。ほかにも辛くて苦しい記憶はあるのに、楽しい、嬉しいって記憶も感情も、どこを探しても見つからない。新しく作ろうとしても、しばらくするとなにも覚えていない」
そう語った。
少女が息を呑むのがわかった。たぶん、最初に話した「代償」のことと繋がったのだろう。
彼女ははじめて術が成功したことにも、そこで知らないうちに術の反動を受けていたことにも気づかなかった。術の反動はじわりじわりと効いていくのだが、苦い記憶が多すぎて、消すほど幸せな記憶がなかった。皮肉なことにそれがあったからこそ、彼女は常と変わらぬ日々を過ごせていた。
しかし弟子ができてから、彼女の人生に変化が生じた。「楽しい」「うれしい」「この時間を守りたい」、「幸せ」だと自覚してしまった。自覚さえしなければ呪いにかかることもなかったのに。ずっと鈍感であり続ければ、幸せに見て見ぬふりをすれば、疑似的な「幸せ」は継続できたのに。
自覚してしまったその日から、ティファンは徐々に違和感を覚えるようになる。弟子の名前が思い出せなかったり、少女との記憶が曖昧になったり。
嫌な予感がしたティファンは手紙を残し、泣く泣くひとり家を出ていった。スノードロップの群生地であるこの村を目指して。
「けどね、このスノードロップをみるとなぜだか安心するの。忘れてないって、なぜだか思えるのよ」
そう言ったティファンは、いつかと同じように唇の端にしわを刻むようにして笑みをたたえていた。
「―—悪魔さん、わたしは師匠の犯してしまった罪を一緒に背負う。きっと師匠が自分のしてきたことを知ってしまったら、とても悲しむもの。だからわたしは、すべてあるべき姿に戻す」
ティファンのいた村を出た直後、目の端に赤い線を走らせながら彼女は言った。けれど目には光が宿っている。
「うんうん。ぼくの仕事が減りそうで安心だよ」
「そっちが本性ね。この性悪悪魔」
しまった。と表情筋が強張る。
でも彼女の意欲に問題はなさそうだから良しとしよう。
「まあまあ……改めて、よろしく頼むよ――
ぼくは少女――雪花とはじめて会った日のように手を差し出す。あのときのような純粋さは欠け、かわりに胡散臭いものを見る目で見上げてきた彼女はため息とともにその手を握り返した。
こうして、喪儀司の皮をかぶった死神が誕生した。
ティファンを探す旅はここで終わり、ティファンの意志を継いだ彼女の旅がここから始まる。
喪儀司の少女は死神となる 木風麦 @kikaze_mugi
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