3.誰がための行い
ぼくの言葉に少女は紫の唇を震わせた。普段のあの人を凍てつかせるような眼光はどこへやら、小鹿のように足を震わせて穴があくほどぼくを――いや、ぼくを通して自分の師を見つめている。
「蘇らせてしまったって……あれが本当に蘇った姿だって言いたいの?あんなの、化け物じゃないの」
「私の娘を化け物呼ばわりするんじゃないわよ!!!」
少女の細い声が老婆の罵声に掻き消される。白髪を振り回すように体をよじり、血走って膨れている眼を隠そうともしない。
どう考えたって「まとも」じゃない。
「私の娘を!みんなみんな馬鹿にしてッ!前はあんなに私に似た美人だって、町に降りたほうがいい縁談が見つかるって言っていたくせに!今じゃ山の奥に閉じ込めて!娘のなにがおかしいっていうの!?みんなが娘を駄目にしたのよ!そうに決まってるわ!!」
「あの喪儀司が来てからおかしくなったのよ。そうだ、そうだわ。あの喪儀司が娘に変な術をかけたのよ。そうに決まっている。そうじゃなきゃおかしいもの」
ふらふらと体を揺らしながら、老婆はゆっくり家の奥の方へ姿を消したかと思えば、出刃包丁を握って再び姿を現した。
「死ね。死ねばいい。あの喪儀司を殺して、村の連中も殺してやる」
ふふ、と老婆は口元に
少女は身をこわばらせて動く気配がない。こちらからけしかけるしかなさそうだ。
ぼくは銀刺繍の本を指し、少女ににこりと笑いかける。
「この本のどこかに、あのおばあさんの娘さんの魂を呼んだ契約が記載されているはずだ。そこのページを娘さんに向けて、肉体から出ていくような強い言葉を投げかけて。そうすれば魂があの身体から抜け出るから」
「強い言葉?」
彼女は震える手をきつく握りしめたかと思うと、スッと目を閉じ、息を短く吐く。そして目をゆっくり開いた。
凪いだ海のようなその瞳で老婆の奥にいる娘を見つめると、本をパラリと操って静かな声で言った。
『
本がとあるページを開き、動きを止めた。彼女の声に反応するように青白い光の陣が彼女の足元に広がる。
その刹那、老婆の娘は頭を押さえて苦しみだした。
しかしそれはほんの一瞬で、黒とも紫ともつかない色の塊がずるりと娘の身体から這い出てきたかと思うと、その塊は人のような形を
光の粒なんかは当然現れなかったけど、その
その散り散りになっていく靄を、少女は最後のひとつが消えてしまうまで眺めていた。
「お前らが、お前らのせいだ。お前らのせいで」
体だけとなった娘を見ようともせずに、老婆は包丁を振り回しながらぶつぶつと文句を垂れている。だがその刃を向ける相手を正確には理解していないようで、ぽんと外に投げ捨てるとまた家の中に入っていった。その背は丸まっていて、覇気なんかありはしない。ひどく弱々しく、今にも倒れてしまいそうな側面が人間の弱さそのものを見ている気がした。
一方の少女はというと膝を折って地べたに座り込み、硬い表情で本へ視線を落としている。
「大丈夫?お疲れ様」
「こわかった」
彼女はそれだけ言うと再びうつむいて鼻をすすった。
しばらくは動けそうにないな。被虐待少女には酷な状況だったらしい。心の準備もさせずに戦火に放り込むのは今後の士気にかかわるのだからもっと慎重になるべきだったと反省する。
これは「アメ」があったほうがいいだろう。
「……君の師匠は、もうずいぶん近いところにいる」
弟子はそれを聞き逃さなかった。涙と鼻水とで汚れた顔を上げて言葉の続きをまっていた。
「今回は君に無茶をさせてしまったからね。会わせてあげるよ」
これでアメは十分だろう。会わせたらきっと、彼女は自分の意志でぼくの仕事を手伝ってくれることだろうことは容易に想像がつく。だけどタイミングが大事だ。ひと仕事を終えた今だからこそ意味がある。
内心ほくそ笑むぼくに、少女は小さくうなずいて見せた。
「だけどもし、もしも師匠がわたしとまともに話すことができなかったのなら。そのときはわたしに失踪の理由を嘘無しではなしてちょうだいね。隠すのもなし。いいよね?」
「前、話せないって言わなかったっけ。君も納得したよね?」
「このタイミングでなら話してもいいって思ったから、師匠の話を出したんでしょう?」
意外と侮れないな、このちびっこ。顔には出さないよう気をつけながら心の内で舌打ちをする。
「そうだね。いいよ」
安く請け負ったら不信の目を向けられた。
「本当だよ。悪魔は約束のような制約のようなものの前で嘘を言えないもの。つまり契約者の君の前で嘘は
半信半疑といった様子で少女はぼくから目を逸らした。そうしてふと口を開く。
「さっきはわたし、なにをしたの?」
少女の脳裏には先ほどの老婆と娘とが浮かんでいるのだろう。魂の抜けた体は終えたはずのその先も使ったからか、通常よりもずっとはやく腐敗が進んでいた。
そこから視線を外してぼくは言う。
「物事をあるべき姿に戻したんだよ」
最後、塊はわざわざ人の姿になって礼をしていた。その際、人間らしい目元が見えた。
少女に見えたかはわからないが、悪魔のぼくにはたしかに見えた。
「人は、自分が自分でなくなったら死んでしまいたくなる生き物だ。あるべき姿に戻した方が本人のためにはなるだろうけど、その人を大切に思っていた人間たちは嫌がるだろうね」
ぼくの言葉に少女は暗い表情で空を見上げる。
「どうして師匠は」
少女がその先を言葉にすることはなかった。
ただ真っ黒な闇の中で、家の明かりと、行く先を悟られまいとするような大量の星が今の状況とは不釣り合いに煌めいていた。
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