2.作戦は順調

「彼女はここから西に向かったんだ。西のほうの大きな都市」

 そのぼくの情報だけを頼りに、ぼくらはすぐに荷をまとめて小さなあばら家を出た。


 ティファンの職業が珍しいからか、はたまた彼女自身が若い見た目に反して銀髪という奇怪な風貌だからか、目撃証言は想像よりかなり容易く手に入った。

 とある宿屋の女主人は頬に手を当てながら記憶を探るように目をつむり、

「銀髪のお姉さんよね?喪儀司の。ええ、どこかぼんやりした方だったわね。思いつめた表情?そんなふうには見えなかったけど」

 とある漁港のおじさんは船の汽笛に負けない大声で、

「喪儀司の姉ちゃん?ああ、メバルを一匹買っていったよ。―—行き先?ああ、もっと西に行くっつってたな。当てはあるのかと聞いたら、行きたいところがあるだけだとか……ちょーっと変わった姉ちゃんだったなあ」

 休みなく動き続けていた彼女だったが、防寒のマントを身にまとうと「少し休む」と港の端に腰かけてから足をぶらつかせた。

 波風に長い髪が揺さぶられる。と同時に、継承されていたらしい真っ赤な雫型のピアスがちらりと光った。胸に飾られている同色のルビーが縫い付けられたブローチが光る、全身真っ黒な服に身を包んだ彼女が、いつぞやのティファンと重なった。彼女も若い時、弟子の彼女のような初々しさがあった。


――でも。


 彼女はもっと暗い目をしていたな、と視界の奥で古い映像が再生される。

 本を最初に開いたとき、彼女は真っ白なページを見て疑問をおもてに出すこともなく、ただ虚無を見つめるような瞳で白紙を眺めていた。


 彼女が初めて術を成功させたのは、たしかこの弟子が住んでいた村でだった。彼女の村の長の愛息子がたしかもう死んでいて、ティファンは憐歌れんかを歌ってその息子を蘇らせたんだ。


 憐歌――人の不幸を憐れむ歌であり、魂の鎮静のために歌われる歌、言ってしまえば鎮魂歌レクイエムと変わりない。ただし鎮魂歌と異なるのは、別世界とのつながりがある人間が歌ってしまうと、魂を呼び戻したり、また人が普通介入できないような次元までその「願い」を聞き届けることができてしまったりする。病気が治ったりというのはまさにこの事例のことだ。

 弟子はその村長の家族の中のひとりでもあったが、なにひとつ満足にこなせない「厄介者」で、いつものように飯を抜かれ、いつものように殴られ蹴られ、死すら許してくれない家族の中に居た。愛息子が死んでからそういった扱いがさらに増えたのだとか。そんな無体な仕打ちを受ける少女がかつての自分と重なったのだろう。憐れんだティファンは彼女を連れてひっそり町を出たんだ。自分の残した術を最後まで見届けることはせずに。


 小さく金もないその村では葬儀を行うこともなかったために、悪魔ぼくたちが嫌厭けんえんするような、悪霊やら呪いやらが蔓延はびこった地となっていた。そこで蘇ったその息子がどんな存在となっているか――想像に難くない。


「……師匠」


 弟子の少女が小さく呟いた。

 潮風に消されてしまうほどのその声は、祈りのように聞こえた。



***



「もうすっかり日が暮れちゃったね」

「また野宿か……」

 実態のある少女はげんなりと重いため息を吐いた。もう何日も風呂に入っていないから、彼女の髪は艶がはがれてぼそぼそしている。

「いや、泊まる場所はありそうだ」と指で道の先を示す。

 雑草がかられただけの小道の先で、小さく薄暗い明かりが点いていた。おそらく一軒家の民家なのだろう。他に明かりは見当たらない。

 他に行く当てもないぼくらは、その明かりに向かって歩みを勧めた。



 その予想はビンゴで、古くからありそうなボロい民家がぽつんとあった。

「ごめんください」

 少女が戸を叩くと、中から頬のこけた老婆が姿を現した。

「こんな遅くに、小さな娘さんが何用か」

 しわがれた声で老婆は言う。少女は臆せずに「夜分遅くに申し訳ありません」と頭を下げ、

「もしよければ泊めていただきたいのです。お代はもちろんお支払いします」

「小さなお嬢ちゃんから金をせびったりしないさ。入りな」

 おどろおどろしい雰囲気とは異なって、心根は優しい人間らしい。

 少女はそう判断したのか、張り詰めていた緊張を解くようにほっと息を吐いた。警戒をなかなか緩めようとしない彼女にしては珍しい。

 だがその足が玄関に入る寸前でピタリと止まった。

「……どうした」

 老婆の顔が背景の明かりの影となって見えなくなる。

 弟子は眉を中央に寄せて老婆を見上げた。

「こんなにも悪臭がする家は珍しいのだけど。おばあさん、なにを隠しているの」

「なんだい。ただの小娘じゃないのかい」

 老婆は濁った眼をこれでもかというほどに細め、口をへの字にひん曲げた。

「黒の服に赤い装飾品……喪儀司じゃないか。だがまあよかった。

 そう不気味に笑った老婆の背後には人がいた。いや、人間の形をした「こちら側のもの」と言った方が正しいだろう。

 いつ風呂に入ったのかもわからない土気色の肌。どこを見ているか定かでないぎょろぎょろとした目玉。

 よかった。ちゃんと会えた。

「ちょ……悪魔さん、なにあれ。人間なの?それにしては生気がまったく感じられない」

 少女の顔が目に見えて青ざめる。そりゃあそうか。見たことないんだもんな。

 ぼくはにこにことその場の空気にそぐわない表情で少女を見返した。


「人間だよ。君の師匠が蘇らせてしまった――存在してはならないモノのひとつだ」

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