第4話 君としあわせが壊れる日

彼女の死から、何日かが過ぎた。

彼女の遺体の引き取り先のことや、その後の火葬のことでバタバタとしていた僕とよるの周りも、徐々に落ち着きを取り戻しつつある。

結論から言うと、夜宵の遺体はそのまま、僕とよるのもとへ戻ってくることとなった。話を聞くに、彼女の実家は、彼女の遺体を引き取ることを拒否したのだという。

そのため、必然的に、彼女の娘であるよるが、彼女を引き取ることになったそうだ。

葬儀に関しては、よるが子供であることや、お通夜や告別式をした所で僕ら以外に参列者は居ないと思われたことから、葬儀は行わず、火葬のみで弔うこととなった。

釜の中に入れられ、出てきた時にはちいさな骨のみの姿となった彼女に、よるは堪えきれないと言った様子で涙を流していた。

僕はというと、終ぞ、泣くことは叶わなかった。

悲しい、というより、ただただ彼女を失ったという喪失感が、頭の中を占めていた。

まるで心が、空っぽになってしまったみたいだ。そんなことを、ぼんやりと思っていた。


自分が思っていた以上に、僕は疲れていたのかもしれない。

それを自覚したのは、数年ぶりに高熱を出して、動けなくなってからだった。

「ありすさん、大丈夫ですか……?」

「うん、だいじょーぶ。心配かけてごめんね」

心配そうに、僕の隣に座っておろおろとしているよるの姿に、申し訳なさを覚えつつも、僕は布団にくるまっている。ぴとり。よるが冷やしたタオルを額に乗せてくれた。熱で熱くなった身体には、その冷たさが心地よくて、僕はほう、と息を吐き出す。

「……よるちゃん、僕は大丈夫だから、部屋から出といていいよ。風邪かどうかは分かんないけど……うつしたら、やだしね」

「……でも」

「いいから。ね?お願い……」

よるは、心配そうな顔をして、だけど僕が念を押すようにそうお願いすれば、渋々といった様子で腰を上げた。

「分かりました。そこまで言うなら……でも、なにかあったら、ちゃんと呼んでくださいね」

「うん……」

そう言うと、よるは静かに部屋から立ち去った。

一気に静かになった部屋に、僕はほっと息を吐き出した。

体調を崩すと人恋しくなるとは言うが、それよりも、今の僕には、よるの存在が苦しくて仕方なかったのだ。

彼女によく似た容姿の、今はもう、彼女の形見のようになってしまった少女。

そんな少女を見る度に、死んでしまった彼女の姿が脳裏を横切る。

「夜宵……」

無意識のうちに、彼女の名前を呼んでいた。

僕の脳裏には、まだ元気だった頃の彼女の姿が、浮かんでは消えていった。


「ありす?大丈夫?」

「……夜宵?」

目を開けると、そこには死んだはずの彼女がいて、僕は思わず、呆けたような声を出した。

「もう!学校帰りに急に倒れるからびっくりしたんだよ?調子悪いならお家で休んでたら良かったのに!」

「……がっこう?」

「うん、そーだよ?もしかして、覚えてない?」

学校。その言葉を聞いて彼女の姿をよく見てみると、彼女は懐かしい制服姿でそこに立っている。

そうか、これは、夢か。そこでようやく合点がいった。

「……ありす?」

気がつくと、彼女の綺麗な顔が眼前に迫っていて、僕は思わず身を引こうとする。

しかし、布団に寝そべっている身体は何処にも動かすことは叶わず、彼女の顔がまるでキスでもするような距離まで近づいたところで、僕は耐えられなくなって、ギュッと目を瞑った。

コツン。彼女の額と僕の額がぶつかった。どうやら熱を測りたかったらしい。

「うーん、やっぱり熱いね!」

お粥作ってくるよ。そう言ってひらりと身を翻す彼女は、まるで人を翻弄する猫のようだ。あまりにも懐かしい光景に、じわりと泣きそうになりながら、僕は彼女に悪態をつく。

「……僕の部屋の台所壊さないでね」

「なによう!最近は少しずつ、料理も出来るようになったんだから!」

ぷう、と子供っぽく頬を膨らませる夜宵の姿に、僕はくすりと苦笑を零した。

隣でにこにこと笑う、彼女の姿。なんの不幸もない世界で、天真爛漫にわらう彼女の姿。

嗚呼、幸せだ。しあわせな世界だ。漠然と、そう思った。


これが現実であればいいのに。そんなことをふと考えて、僕は目を閉じた。


「ありすさん、ありすさん」

誰かが僕を呼ぶ声がする。

ぱちりと目を覚ませば、そこにはよるの姿があった。きょろきょろと辺りを見渡しても、そこには、先程までいたはずの夜宵の姿はない。

一体、どこに行ってしまったのだろう。

「ありすさん、お粥作ったんです。何も食べないのも身体に悪いですし……よければ……」

夢?現実?僕は今、一体どこに居るんだろう。それすら分からなくなって、僕はぼんやりとした心地のまま、ぼそりと呟いた。

「夜宵は?さっきまでそこに居たよね?帰っちゃった?」

「……え?」

よるは、戸惑ったような声を出した。

「ねえ、聞こえなかった?夜宵はどこに居るのって聞いてるの。ねえ、どこ?夜宵はどこに行ったの?」

「あ、ありすさん……!」

ガチャン。大きな音がして、気がつけば目の前に、よるの顔がある。

よるの表情は焦燥に満ちていた。なんでそんな顔で僕のことを見ているのか、今の僕のぼんやりとした頭では、そこまで考えることができない。

「忘れたんですか……!お母さんは、わたしのお母さん、乙倉夜宵は、もう、この世界には居ないんですよ!」

「……死んだんです!あの人は!!」

嗚呼、そうだった。夜宵は、死んだんだったか。

先程までそこに居たと思っていた夜宵は、僕の願望が見せた幻覚で、もう、彼女はこの世界の何処にもいないのだ。

分かっていた、筈だった。だけどずっと、その事実をどこかで、受け入れられずにいる自分がいる。

僕はぼんやりと、目の前にいる少女の姿を見た。

髪色も、瞳の色も、顔立ちも。

笑顔も、不満そうな顔も、悲しそうな顔も。

何もかも、彼女によく似ている少女が、目の前で不安そうに泣いている。

いつか見た、彼女の泣き顔と重なっていく。

嗚呼、苦しい。こんなにも彼女に似た少女が隣にいることが、僕をどうしようもなく苦しませる。

ぎり、と歯を食いしめて、僕は少女のちいさな身体を突き飛ばした。

どしゃり、嫌な音を立てて、よるの身体が吹き飛ぶ。

「あ、ありすさ……」

「五月蝿いっ!!」

嫌だ。聞きたくない。なんにも聞きたくない。

彼女の面影を残す声で。だけどほんの少し違う、子供らしさの残る声で、これ以上喋るな。

その、あの子によく似た顔を、僕に向けるな。

そうだ。そうだった。僕は、ずっと、ずっと―


彼女とよく似ていて、だけど彼女ではない君のことが、嫌いで嫌いで仕方なかった。


君を引き取って欲しいと、そう彼女に言われた時からそうだった。

彼女によく似た顔で、僕のことを見上げてきた君を見た時、感じたのは、吐き気を催すほどの嫌悪。

僕の愛したひとの代替品のようにそこに立つ君が、気持ち悪くて仕方なかった。

君が喋る度に、彼女の言葉を思い出す。

君が笑う度に、彼女の笑顔を思い出す。

気が狂いそうだった。そんな顔で僕を見るなと、何度も怒鳴りつけたくなった。

だけど、彼女に言われていたから。


『どうかこの子のこと、幸せにしてあげてね』


彼女の言葉は、僕を縛る呪いとして、僕になけなしの理性とやさしさを、もたらしてくれていたのだ。

彼女の願いを、叶えてあげたかった。

たったそれだけの思いで、君のとなりで必死で笑顔を貼り付けていた。

君を庇護する、優しい大人の仮面を被り続けていた。

本当は、ずっと、その仮面を被ったまま、生きていけたら良かったのだけれど。

それは、どうやら無理だったらしい。

ぼろぼろと、被っていた仮面が剥がれていく。目の前で怯えたように泣きじゃくる少女を見たって、もう、守ってあげなきゃなんて思えなかった。

彼女とよく似た顔で、彼女は決して浮かべることのなかっただろう表情を浮かべて泣きじゃくる君が、ただただ、気持ち悪くて、憎たらしくて、仕方なかった。


「そんな顔で僕を見るな!そんな声で僕を、呼ぶな……っ!!」


ひゅうひゅうと、喉が嫌な音を立てた。

胸元を掻き毟るように掴んで、絞り出すように、叫ぶ。


「君なんて……っ、君のことなんて……大っ嫌いだ……!!」


目の前で、ちいさな少女が目を見開いたような気がした。

それを見た瞬間、ぱちり、と、夢から覚めたような心地がした。

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