第2話 君としあわせの味を知る―②

「あ、もしもし?夜宵?今、電話大丈夫かな?」

『今晩は、ありす。うん、今は大丈夫だけど……眠いから、手短に済ませてほしいかな』

夜。もうすぐ日付が変わろうとする時間に、僕は友人である彼女―夜宵に電話を掛けていた。

「ああ、うん。大丈夫。そんなに長電話するつもりはないから。時間が時間だしね」

そう言うと、電話の向こうでほっと息を吐くような音が聞こえた。その吐息がなんだかしんどそうで、これは本当に、早めに電話を切り上げた方が良さそうだ。僕はほぼ直感で、そんなことを思った。

「じゃあ、手短に言うね。実はさ、僕とよるで、おせち料理を作ったんだ」

『ふうん……』

「だからさ、君の所にも持っていこうと思っえて。よるのお手製だよ?食べたいでしょ?まあ僕も、多少は手伝ったけどさ」

その言葉には、すぐに返事が返ってくると思っていた。

だけどそんなことはなく、不自然な程に長い沈黙が、僕と彼女との間に落ちる。

「……夜宵?」

その沈黙に、なんだか嫌な予感を覚えて彼女の名前を呼べば、彼女は『あ、ごめん。ぼんやりしてた』と軽い調子で謝罪を述べた。

「もう!急に黙ったらびっくりするでしょ!で?おせちは?いるの?要らないの?」

『そんなの要るに決まってるでしょ!よるが作ったおせち料理でしょ?すっごく食べたい!』

そう言う夜宵の声音は弾んでいて、僕はほっと息を吐き出した。

「うん、分かった。じゃあ……初詣とかも行きたいし、昼前にはアパート着けるように向かうから」

『うん。わざわざ連絡ありがとうね』

「うん、それじゃあ―」

『あ、待って』

「え?まだなにかあるの?」

手短に、と。そう言い出したのは彼女のほうだったはずなのに、いざ電話を切ろうとすると呼び止める彼女に、僕は思わず、怪訝な声を出してしまう。

『よるは……どう?元気?』

「ああ……」

どうやら、自分の娘の様子が気になったらしい。それはそうか。自分の娘だし、気にもなるだろう。

「そうだね。おせち料理作ってる時も楽しそうだったし、元気にやってるんじゃない?」

『……そう。それなら、良かった』

そう言えば、心の底からほっとしたような声が返ってきた。はあ、と何かを噛み締めるような吐息。電話口から聞こえるその呼吸音はなんだか苦しげで、聞いているこっちが心配になってしまう。

「ちょっと夜宵。大丈夫なの?」

『うん、へーき。ちょっと眠いだけ』

そんな馬鹿な。どう考えても眠い人の吐き出す呼吸音じゃない。

だけど彼女が眠いだけだと言い張るから、それ以上はなにも聞けなくて、僕は「そんなに眠いなら電話切るよ」と告げることしか出来なかった。

『……うん。あ、ねえ、ありす。最後に、ひとつだけ』

「なに?」

電話を切ろうとした僕の耳に、そんな、なにかを懇願するような声音が届いて、僕は、電話を切ろうとした指を止めた。

電話の向こうでは、彼女の、やっぱり苦しげな呼吸音が聞こえる。

その音に混じって、思わず聴き逃してしまいそうな程に、ちいさく、苦しそうに吐き出された彼女の言葉があった。


『……よるのこと、お願いね』

「……え?」


「それじゃ、おやすみなさい」

「ま、待ってよ夜宵―」

ブツリ。僕の声を待たずに、電話は無情にも切られてしまった。

ツー、ツー、と。機械音しか吐き出さなくなったスマホを耳に当てたまま、僕は、先程の夜宵の言葉を、何度も反芻する。


―よるのこと、お願いね。


その声は、その言葉は、まるで彼女の最期の言葉のようにも思えて、だけどそんな訳ないと思いたくて、僕はぶんぶんと頭を振ると、乾燥機であたためた布団に潜り込む。


夜宵の言葉から感じ取ってしまった嫌な予感を忘れたくて、僕はぎゅっと目を瞑った。

あんな言葉は、悪い夢だと思いたかった。

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