第1話 君としあわせになるまえに―②
「美味しい……!」
フラペチーノに口をつけてぱあ、と顔を輝かせているよるを見ながら、僕は、それはよかった、と笑顔を浮かべて返事を返した。
因みに、僕の手にもよるが頼んだものと同じ、期間限定のフラペチーノが握られている。
「本当に美味しいですよこれ!ありすさんも飲んでください!早く!」
「ん……ほんとだ、美味しいね」
「でしょう!?」
一口含んだそれは、クリームの甘さと果実の酸味が調和して、適度な甘さを舌に伝えてくる。甘すぎもせず、酸っぱいこともない。この神がかったバランスを生み出した開発者、もしかして神では……?と会ったこともないメニューの開発者を脳内で拝めていると、不意に「ありがとうございます」というちいさな声が耳に届いて、僕の意識を現実に引き戻した。
「ん?なにが?」
「いや、あの……これ買って貰ったのにお礼も言ってなかったなって、そう、思って……それに、ありすさん気付いてたんですよね?わたしがこれ飲みたいって思ってたことに。だから自分が飲みたいって言って、わたしが気を遣わなくていいようにしてくれたんでしょ?」
「なんだ、そんなことでわざわざお礼なんて言わなくっていいのに」
律儀な子だなぁ。流石、あの子の娘と言うべきか。礼儀に厳しい家で育った彼女は、きっと自身の娘にも、礼儀作法に関しては厳しく躾たのだろう。お礼を言う時の仕草が、記憶の中の彼女と全く同じで、僕はなんだか懐かしい気持ちになった。
にこにこと笑顔を浮かべながら目の前の少女を見る。「でも」「お礼はちゃんとしなきゃって、お母さんが……」と言い募る少女の口元にそっと人差し指を押し付けて、僕は諭すように言った。
「よるちゃん。僕たちはこれから一緒に暮らすんだ。最低限のお礼を伝えることは大切だと思うけれど、過剰な感謝は要らないよ。そんなんじゃ、疲れて仕方ないでしょ」
それに、と僕は言葉を続ける。
「ここで休憩しようって言ったのは、君のためなんかじゃない。本当に僕は買い物で疲れてたから休憩したかっただけだし、期間限定メニューだって、僕が飲みたかったからそう言っただけさ。だから、そんなに気にしなくていいんだよ」
そこまで言うと、僕はよるの口元から人差し指をそうっと離した。よるはまだどこか不服そうな表情を浮かべていたが、やがてこくりと頷く。
よし。僕は何度目か分からない溜息をこそりと吐き出した。
嗚呼、全く、本当に疲れる。他人と暮らすなんてどうすればいいか分からないから、とりあえず僕が気疲れしないで済むように仕向けようとしたが、これがなかなか難しい。遠慮されまくっても困るし、過剰な感謝だって要らない。おまけに、こちらが少しでも気遣う素振りを見せれば、それにさえ目敏く気付いて礼を述べてくる始末だ。こんなんじゃ、一緒に暮らしていてお互い気が休まる気がしない。
まあ、少しずつ―少しずつでいいから、遠慮や気遣いをしなくなるようになってくれればいいのだが。
ちらり、と、目の前に座る少女を見る。フラペチーノを口いっぱいに含んで、幸せそうに笑う姿に、なんだか僕まで幸せな気分になった。
でも、あれ。そういえば。
「そういえば、君は、甘いものが好きなのかい?」
「ああ、そうですね……お母さんはあんまり好きじゃないみたいですけど、わたしは大好きですよ?」
「……ふーん、そう」
それを聞いて、ふと思い出したのは、学生時代の彼女とのやり取りだった。
『ありす……本当によくそんな甘そうなの飲めるね。私は無理。絶対飲みたくない』
『それはこっちの台詞だよ。そんな苦そうなもの、よく美味しいって飲めるね』
『ブラックコーヒーは美味しいよ?』
『それ言うならココアだって美味しいし!』
彼女は、甘いものが嫌いな人だった。カフェに入ればいつだって、お互いの注文した飲み物に嫌そうな顔をしていたものだ。僕と彼女はそういう好みはびっくりするほど合わなくて、今となっては、よくずっと仲良くしていられたな……と不思議に思うくらいである。
だけど、そうか。この子は、甘いものを美味しそうに口にできる子なのか。
なんだか面白くない。急に胸がムカムカしてきたような気がして、胸元をぎゅっと握りしめる。
ムカムカする胸を抱えながら、少女を見た。
かつて、苦いコーヒーを美味しいと言って笑った彼女。その彼女とおんなじ表情を浮かべている少女が手に握っているのは、彼女が見る度に苦い顔をしていた、甘ったるい飲み物だ。
記憶の中の彼女と、目の前の少女。ふたりは奇跡と思えるくらい似通っていて、だけど全然似ていなかった。
やめろ。やめてくれ。彼女とおんなじ顔で。彼女とおんなじ笑顔を浮かべて。彼女が苦手と言ったものを好きだと言わないでくれ。
「んー!やっぱり美味しい。お母さんも、甘いもの飲めたらいいのになぁ。もったいない」
そんな思考を知る由もない少女は、フラペチーノの口に含んでは、呑気にそんなことを口にする。
彼女とよく似た、笑顔を浮かべて。
分かって、いる。彼女とよるがよく似ていたとして、ふたりは違う人間で、彼女とよるを重ねて見てしまう自分のほうがおかしいってことくらい。分かって、いるつもりだ。
それでも、記憶の中の彼女と、目の前の少女を重ね合わせてしまうことはやめられなくて、そんなことをしてしまう自分にも、彼女によく似ているけど似ていない少女にも腹が立って。そのモヤモヤをどうにかして打ち消したくて、僕は手に持ったままだったフラペチーノをごくり、と飲み込む。
さっきまで美味しくて甘かったそれが、今はひどく、不味いもののように思えた。
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