第1話 君としあわせになるまえに―①
彼女の子供を引き取る約束をした、その一時間後。僕はその例の子供を連れて、自らの家に帰ろうとしていた。
彼女のアパートには車で来ていたので、引き取った子供を助手席に、その子供の着替えなどの荷物を後部座席に乗せ、車を発進させる。
なんだか不思議な心地だ。自分を除けば、今まで友人である彼女以外を乗せたことのない車に、今は彼女によく似た子供が乗っている。
その子供の様子が気になって、信号待ちのあいだにちらりと隣に目をやれば、その子供―名前を
「どうかした?」
「……いえ……べつに、なにも」
そしてそのまま、車内に沈黙が落ちる。
僕はというと、なんだか気まずさを感じて、顔には出さないが内心珍しく焦っていた。
僕とよるは、実はこれが初対面、というわけではない。
なんせ、高校からの友人の子供なのだ。こうして彼女が頼ってくるくらいだから当たり前なのだが、卒業してそれ以降は会いません、なんて浅い繋がりでもなかった僕と彼女は、度々連絡を取り合い、時間が合えば出掛けるを繰り返していた。それは、彼女が結婚して、子供を授かってからも変わらなかった。
子供が出来てからも、彼女と僕は、度々一緒に出掛けていたのだ。その時、待ち合わせ場所に、面倒見る人が居ないから、と、彼女が幼いよるの手を引いて現れることも少なくなかった。
そんなわけで、その時、僕はよると何度か顔を合わせているし、何度か会話だってしている。なので、無論親である彼女ほどではないが、よるのことはある程度、知っているつもりだ。よるのことを引き取ってもいいか、と思った理由の一つもそれである。
友人の子供だとしても、会ったことも会話したこともないような子を引き取るのなら、僕は申し訳なさを感じたとして、断るつもりでいた。僕は人が嫌いだし、子供だって嫌いだ。そんな僕が、全然知らない人間と暮らすなんて耐えられるわけが無い。
だけど、ほんの少しでも知っている子供なら。それなら、僕のパーソナルスペースに入れてもいいか、そう思えた。それだけの理由だ。オマケに、彼女とよるは顔立ちが非常に似通っている。まるで幼い彼女が自分の元にやってきたようにも思えて、それも、僕の嫌悪感を軽減させる理由の一つとなっているのだろう。
だから、大丈夫。なんの問題もない。そう思っていた―のだが。
「……」
「……」
残念ながら、現実はそう甘くはない。車内にいるのは、口下手の僕と、突然母親の友人に引き取られることになって困惑しているちいさな子供のみ。そんなふたりしか居ない空間で、会話が弾む訳もなく。車外に満ちる、年末特有の喧騒とは裏腹に、僕たちの周りには、重苦しい沈黙が立ち込めていた。
さて、どうしようか。よく考えたら、彼女とよる、僕の三人で出掛けた時だって、率先して喋るのは友人である彼女だった。
だから、そう。はっきり言おう。今この状況で、隣に心細そうに座る少女に、なんと言葉をかけたらいいのか分からない。うんうん悩みつつ車を走らせていると、ちらり、と視界の隅に引っかかるものがあった。
ちらりと目に入ったもの、それは、年始に欠かせないものの広告だ。
(……おせち料理?)
そこで、ピンと閃くものがあった。運転中なので隣は見られないがそれでも怖がらせることのないよう、努めて優しい声音で、少女の名前を呼ぶ。
「ねえ、よるちゃん」
「……なんですか?」
「明日、僕と一緒におせち料理とか作ってみない?」
「おせち、料理?」
「うん。明日は大晦日だし、作るなら明日でしょ?いつもは僕一人だから作らなかったんだけど、来年はよるちゃんがいるし」
「……」
そう言えば、隣の少女は少し思い悩むように眉を寄せた。よし。興味をひくことには成功したようだ。あと、もう一押し。
「それにさ、もし美味しく作れたら、正月には一緒に君のお母さんのところに持っていこうよ。よるちゃんが作ったって聞いたら、お母さん、きっと喜ぶよ」
「……!!うんっ!」
お母さん、という単語を出すと、少女は分かりやすく明るい声で、返事をした。
やはり不安だったんだろう。無理もない。突然自分の親から「今日からこの人と一緒に暮らしてね」なんて言われて、すぐに受け入れられる子供がどれだけいるというのか。
きっと、知らない子供が不安がってても、僕はなんとも思わなかっただろう。だけど隣にいるのは、自身の友人によく似た子供だ。出来るなら、不安そうな表情なんてして欲しくない。
だから、ようやく見せてくれた明るい表情に、僕は内心ほっと息を吐き出した。よそ見をする訳にはいかないからその表情は窺えないが、きっと、彼女によく似た明るい笑顔を、浮かべているのだろう。
そうであればいいな、そう思った。
「よっし!そうと決まれば食材の買い出しだね!スーパー寄って帰ろっか!」
「うん!」
ようやく払拭された重苦しい沈黙。いくばくか明るくなった車内の空気に、僕の気持ちも上向きになっていくような心地がした。
「はー!無事食材も買えて良かったね!」
「はい!」
あの後。すぐ近くのショッピングモールに入った僕たちは、おせち料理と夕ご飯用に食材を買い込んでいた。
時間が時間なだけあって、まだ食材が残っているか不安だったが、陳列棚がすっからかんということもなく、僕たちはあっさりと食材を手に入れることが出来たのである。こんな時間でも案外買えるものなんだなぁ、そう思いながら駐車場へ向かおうとしたが、隣にいる少女がどこか一点をじっと見つめていることに気付いた僕は、ぴたりと足を止めた。
少女が見つめる先にあったのは、カフェのメニュー看板だ。期間限定新作メニューと書かれたその商品は、ホイップクリームと果物がこれでもかと盛られたフラペチーノのようだった。
もしかして、飲みたいのかな。
「よるちゃん?」
「あ!すみませんぼんやりしちゃって」
あれ飲みたいの?そう尋ねようと思って名前を呼んだのだが、どうやらよるは勘違いをしてしまったようだ。ぼんやりしていたことを咎められると思ったのか、慌てて僕の元へ駆け寄ってくる。しかし、視線はチラチラとカフェのメニュー表に向けられたままだ。
飲みたいなら素直にそう言えばいいのに。
僕は苦笑しながら、改めて彼女に声をかけた。
「ね、よるちゃん。いっぱい買い物して疲れたんじゃない?僕は疲れちゃったな。だからさ、ちょっとあそこで休憩していかない?丁度美味しそうな期間限定メニューもあるしさ」
そう言えば、少女はまたまた分かりやすく表情を明るくして、こくこくと頷いた。
「よし、じゃあ決まりだね。さっそく行こうか」
「はい!早く行きましょう!」
余程嬉しかったのか、よるは荷物を持っていないほうの僕の手をぎゅっと握りしめると、グイグイと引っ張って、カフェの方へ進んでいく。
その姿に、かつて僕の手を引っ張っていた友人の姿が重なって見えて、そしてその友人である彼女が、こんな風に僕の手を引っ張ってくれることはもう二度とないんだと思い出して、胸がぎゅうと、切なくなるような気がした。
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