7. 化け猫のぼる
役人が口を割らなくても、おおかたの筋書きは予想がついた。下手人を仕立てておき、後から証拠をでっちあげる、そういう話だろう。
隣家の者が恐る恐る覗きに来たが、これが王太子暗殺にかかわる何か、ということは知らない様子だった。暗殺の報せそのものはまだ行きわたっていないのかもしれない。
手早く最低限の荷をまとめ、平笠をかぶって町を出た。ようやく住み慣れた町だった。
黒幕にも、下手人に仕立て上げられた理由にも見当はつかない。
色の薄い、味方の少ない異人の娘だから、化け猫とあだ名される
黒幕探しはいつでもできるし、どうでもよかった。そんなことよりもずっと、クォンを助け出したかった。
名前しか知らない男が記した短い記録は、魔女がつくった空白を埋めてくれた。その人をもう一度失いたいかと問われれば、明確に
王族を殺した者をどこで処刑するか、それぐらいはユエにもわかる。
王家の面目にかけて、城下で、衆目の下で、首を切られる。本来なら、そこに自分の首も添えられるはずだったのだろう。
城下外れの廃屋に潜み、夜中に町へ忍び込んで、処刑の日取りを知った。また、自分の首に報奨金がかかっていることも知った。
城下に残る「楽しかった」という気分が、陰鬱な気持ちで塗り替えられていく。
そして今、ユエは樹上に身を隠して正午を待つ。笠がなく、日差しが白い肌を灼く。
平笠は脱出先の目印として置いてきた。荷物もそこに隠しておいた。
遠く向こうの刑場を高く木柵が囲み、柵を群集が囲む。水牛車の上に箱牢が見える。あの中に無実の罪人がいるはずだった。
「リールー、いつもありがとう」
(どうした藪から棒に)
「忘れる前に言っておこうと思って」
(ふむ。ありがたく受け取っておくが、まさか魔女の力をあてにしているのではなかろうな?)
「違うよ。魔女があそこの一人一人を区別するとは思えないもん。そうなったら負けだよ。この前、言ってくれたでしょ? 奪われるばかりでいいものか、って。私のユエを、って。あれね、すごく嬉しかったよ」
右目が、つんつん、と震えた。
照れたんだな、とユエは笑う。
胸の前に縛った頭陀袋に手を当てる。帳簿の手触りがある。月は欠けてもまた満ちるのだ。たとえ空っぽになっても、きっと、取り戻せるものだってある。
そばだてた耳が、遠く刑場の音の変化を捉えた。罵声のような響きがある。王族殺しへの怨嗟の声が聞こえる。
一枚の呪符を右手に、ユエは魔法の言葉を口にした。
猫はいつの間にかいなくなる。
そして
猫はどこにでも現れる。
瞬く「場所のかけら」から迷わず選び出したのは、刑場をはるか真下に見下ろすかけらだ。罵倒を、呪詛を、石を投げるために集まった人々は、空なんて見ない。
体に重さが帰ってくる。
裾や袖がびぃいと震える。頬が空気に引かれて歯が剥き出る。頭陀袋の帳簿が胸に押し当たって痛い。
風を鳴らして真っ直ぐユエは落ちていく。
力なくうなだれた人影が、ぐんぐんと近づく。
ユエが猫を
──ぃにゃあああああああああっ!
モノの怪に力を与える物がふたつある。
ひとつは、人々からの
天から降る化け猫の姿が、衆目に畏れを生む。
もうひとつは、正当な対価。
蚊帳に、寝台に、枕に残った気分が、帳簿の欄外に重なった書き付けが、かつてのユエの幸せを今のユエに引き継いだ。
これまでに与えられた幸せは、これからの命に釣り合う。
無実の罪人と目があった。日焼けした顔に真っ黒な瞳。
──はじめまして、クォン。
晴天の霹靂。畏れと対価、ふたつの力を得た化け猫の、雷の如き着地。
大刀を持つ処刑人を吹き飛ばす問答無用の蹴り。
ユエはクォンの背中に蛇ノ目の呪符を見る。予想通りの対策。構わずクォンを背中から抱きかかえ、鷹ノ目の呪符を貼る。「見ているぞ」を「もう見た」が無効化する。
刑場の兵士が迫る。ユエは自分の影を見る。
「歯、くいしばって」
クォンに囁き、両脚に筋力、魔力、呪力、ありとあらゆる力を込めてユエは、正午の太陽に向かって、跳んだ。
これを見た刑場の者たちは後に語る。忌まわしき化け猫と大罪人は畏れ多くも空に昇り、陽光に溶けて二度と降りてくることはなかったと。
猫は、いつの間にかいなくなる。
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