骨羽と魔剣士。彼女と王者

鈴本恭一

第1話





 私にとってジムニスさんは世界の全てだった。

 四魔協(四大陸魔剣士協会)は3つある魔剣士の王座認定団体のひとつで、かつ最大規模。

 ジムニスさんはその四魔協のカカナ大陸の大陸王者だった。しかも私の住むジョルム市の出身。

 彼の剣技は美しかった。

 私のような、翼人なのに骨しかない醜い羽の女とは大違いで。


 そんな私がジムニスさんと戦うなんて、死のうとしてた頃の自分に言っても信じないだろう。



*** *** ***



 死ぬ前になけなしのお金で高級魔法慰安所(要するにいかがわしいお店)へ入り、そこの映像装置で王座防衛戦を見なければ、きっと私はゴミのようなぐちゃぐちゃにひどい死体を迷惑な場所に晒してたと思う。


 美しいものが、そこにあった。


 白銀の剣光を一閃させ、王者ジムニスさんは挑戦者を一瞬で斬り伏せた。挑戦者の魔剣ごと。

 その光景はあまりにきれいできれいで、私はもっともっと見たくなった。


 結局そのお店では何もせず映像装置ばかり見てたので叩き出されてしまった。

 その後、あらゆるところに頭を下げて働いた。

 骨羽ほねはねが店先にいられると迷惑なので物凄く苦労したが、なんとか小銭稼ぎが出来た。

 馬のように働いて惨めなほど節約して、私は四魔協公認の映像装置つき喫茶店へ入った。


「わぁ…」


 そこでは各試合の映像を格安で見られた。酷い格好とアンデッドのような奇形の翼の私はいい顔をされなかった。私は構わず試合を見まくった。

 もちろんジムニスさんの試合を。

 涙が出るほど美しい魔剣技。速度の魔剣。複雑な連続攻撃もあれば、一太刀で決着をつける力技もあった。

 最強の技は抜剣。鞘に収め、引き抜いた瞬間、全てが完結した。最速最強の奥義。彼が剣を抜いたとき、何もかもが終わる。

 きれい。

 私はかぶりつくように見た。ささやかな私の稼ぎでは大して見られなかった。

 だから私はたくさんたくさん働いた。

 死ぬときに最後に浮かぶ光景は、美しいあの魔剣がいいから。

 そのために、私は生きた。



*** *** ***



 その喫茶店で、私の全てを変えたイベントがあった。

 四魔協の公式イベント。

 併設された道場での、素人の魔剣士大会だった。

 参加費はただも同然。練習用の魔剣もくれる。

 こんなイベントを開催することは滅多になく、そのせいか多くの人が参加した。

 私でさえ参加できた。

 受付で胡乱な目を向けられながら、私は魔剣をもらった。

 魔剣。

 それは生き物だった。

 物質ではない肉を切り裂ける、魔力で生きる生物。

 私はその生き物に、どうしようもない愛しさを覚えた。簡素な細身の、黒紫のロングソードに、どうしてか、肉親や同族の翼人より、同胞のような感覚を抱いた。

 対戦相手の魔剣にも。

 そう、対戦相手。

 私は魔剣を持ち、魔剣を持つ相手と試合をしていた。

 これは子供のようなごっこ遊び。ジムニスさんの真似。

 私が魔剣を握る機会は、きっとこれが最初で最後。

 そう思って、私はジムニスさんと同じことをしてみた。



*** *** ***



 それが、過ちの始まりだった。



*** *** ***



 そのイベントで、私は全ての参加者に勝利した。


 負けるまで挑まれ続ける勝ち抜き形式のイベントは、参加者全員が私に斬り倒されるまで続いた。

 一般参加者が誰も挑まなくなり、ついにイベント主催者である元黄金級一位のトレーナーが私に挑んだ。


「――…」


 私のすることは変わらなかった。

 相手の魔剣を見る。

 相手が魔剣に何をさせたいのかを見る。

 ジムニスさんならどうするかを思い出す。

 それが出来るかを私の魔剣に訊く。

 魔剣が頷く。

 私はそれを実行する。

 トレーナーの魔剣が振り下ろされ、牽制の衝撃波動を放つ。

 私はその振り下ろしの間に距離を詰めた。

 魔剣が速度をくれる。衝撃波動を躱し、すり抜け、一息で彼の真横。


「っ!」


 トレーナーが焦る。振り下ろした動作を無理矢理に横薙ぎへ変えた。同時に後ろへ飛び跳ねる。知っていた。だから私は体を思い切り床に沈めた。頭上を斬撃が掠る。

 私は飛んだ。

 飛ぶことの出来ない翼で。

 逆袈裟斬りに、私の魔剣はトレーナーの体を薙いだ。

 彼の体の肉でない部分が、私の魔剣に傷つけられる。

 彼は倒れ、そして立ち上がらない。

 私の勝ちだった。


「………」


 私は自分の魔剣を撫でた。ありがとうと思って。魔剣はまんざらでもない様子だった。

 そして大勢の人間に囲まれていたことに、やっと気付いた。

 誰もが私を不安と怯えの瞳で見ていた。

 私は困惑し、恐怖した。奇異の次は暴力が来る。経験済みだ。私は魔剣を持ったまま、急いで逃げた。私が走ると彼らは怯えて道を空けた。私も怯えていた。

 やってしまった。

 もうあの喫茶店は使えない。

 ジムニスさんの試合も見られない。

 馬鹿、私の馬鹿、クズ、ゴミムシ、クソカス、死んじまえ死んじまえ死んじまえ!!!!



 自分をこれでもかと呪い、魔剣を抱きしめたまま、かつての薄汚い路地裏生活へ私は戻った。

 そんなボロのように朽ちかけていた私を、その人達は見つけ出した。

 彼らはジョルム市魔剣士協会を名乗った。

 四魔協の傘下団体だった。

 私は、スカウトされた。

 魔剣士として。



*** *** ***



 魔剣士の訓練は地獄だった。

 拷問みたいに体をいじめ抜かれる。胃の中のものを何度も吐き出して何度も失神して、そのたびに無理矢理叩き起こされ、またいじめられる。倒れるたびに怒鳴られ殴られ蹴られる。

 魔剣が体を守らなければ、きっと死んでいた。

 コーチもそれを見越してとにかくとにかく私を苦しめた。

 殺される。いや魔剣があるから死なない。死なないギリギリまで拷問を受け続ける。無理だ。

 私は逃げ出した。

 道場を抜け出し、魔剣だけ抱きしめて行く当てもなく歩いた。

 水も食べ物も貰えずひたすらしごき抜かれ、私は倒れそうだった。というか倒れた。

 往来で倒れ、人々が遠巻きに私を避ける。

 骨羽の翼人に関わり合う人などいない。

 なのに、と朦朧とする頭で考えた。

 なんで私はスカウトに頷いたんだろう。

 魔剣を使える、試合に出れる、そう言われた。

 もし勝ち続ければ、挑戦権も得られる。

 挑める。

 会える。

 誰に。

 あのひとに。


「――――大丈夫かい?」


 声が聞こえた。

 うっすらと目を開ける。息を呑んだ。幻覚だと思った。

 だって、私を心配そうに覗き込むその人は、夢にまで見た人だったから。

 ジムニスさんが、そこにいた。



*** *** ***



「勝手に頼んでしまったけど、本当に大丈夫だったかな?」

「は、はひっ、だいじょぶです……」


 食堂の端の席で、ジムニスさんは私を気遣い尋ねてくれた。口が上手く回らない。ぶっ壊れた呂律ろれつでどもりながら応える。絶対変に思われた。

 しかしジムニスさんは穏やかな茶色の瞳を安心したように緩め、やってきた料理を私に促した。

 香辛料の掛かった焼肉とゆで卵のサラダ、タマネギのスープ、白いパン。

 人生で一番贅沢な食事だった。


「少しずつ、ゆっくり食べるといい」

「い、い、い、いただきます……」


 私はおぼつかない手つきでなんとか食べ始める。スプーンやナイフの使い方がみっともない。しかもあのジムニスさんに見られながら。心臓がおかしい。これは死ぬ間際の幸せな幻覚では?


「あ、あ、あの」

「なんだい?」

「た、たた、助けていただいて、あり、ありがとうございます」


 ああ、とジムニスさんは優しく笑い、


「魔剣士が、斬られる以外の理由で倒れていたのだから、そんな不名誉は見過ごせない」


 二心のない、本当にそう思っている人が出せる声で、彼は言った。

 私はますます声が出なくなり、奇声に近い気持ち悪い声音でなんとか応える。


「ありがとうございますありがとうございますっ、あ、あの、その、申し訳ないです」

「なにが?」

「わ、わわ、わ、私の羽はこんななので、その、ほら、ジ、ジムニスさんに悪い噂とかがついたりしたら本当にほんとにすみません、ごめんなさい……」


 私がかなり早口でまくし立てても、ジムニスさんは少しも気を悪くせず、「そんなことか」とおかしそうに笑った。


「翼人の伝統より私の魔剣の方が、いや、あらゆる魔剣士の魔剣の方が強い。魔剣士の間にあるのは技の優劣だけだ。生まれや見た目じゃなく」


 お茶を一口だけ飲み、真っ直ぐな目で私を見る。呼吸が止まった。心臓も止まりそうだった。

 頭の中が真っ白になる私をよそに、穏やかに、しかし力強くジムニスさんは言った。


「限界以上の、考えうる研鑽に研鑽を重ねた自分より、さらに強い技に斬られて敗北する。それが魔剣士の名誉だ。戦う相手へ、私はその名誉を与えたい」

「で、でも、あの、ジムニスさんはその、負けても、えっと、リ、リベンジして勝ったですよね」


 敗北という言葉に、私はなんとか自意識を取り戻す。


「負ける前よりもっときれいにきれいに動いて、魔剣がずっと輝いてて、本当にきれいで、見てていつも泣いちゃいました」


 言いながら涙声になっていた。だってジムニスさんの魔剣技は涙が出るほど美しかったから。

 死ぬときに思い出せるよう、目と脳みそと魂に焼き付けたから。

 無様で失礼な私の様子に、ジムニスさんは少し恥ずかしげに微笑み、


「驚いた。そんなに見てもらえて光栄だ」

「ぜっ、ぜぜぜぜぜ全然ですよぉっ!」

「お褒めにあずかったお礼に、もっと好きなのを頼むといい。代金は置いておくから」


 ジムニスさんは銀貨をテーブルに置き、完璧な所作で立ち上がった。


「失礼で申し訳ないが、このあと用事があるんだ。魔剣士の訓練はどこでもいつでもきついから、できるだけゆっくり休むといい」

「いえ、いえいえ、あの、私なんかに時間を使っていただいて本当に申し訳ありませんっ」


 恐縮を通り越して自分をぶん殴りたい気持ちだった。

 予定のあるジムニスさんの時間を私に使わせてしまったという申し訳なさと、そんな予定のある中、私を見過ごさず助けてくれたジムニスさんの人柄に、私はますますの信仰を抱いた。


「あ、あの、あの実はあの、私、道場を」


 そんな清廉なジムニスさんに、訓練がきついので逃げ出したことを言いそうになったが、ジムニスさんはやんわりと手で遮って、やはり笑う。


「私も駆け出しの頃、よく抜け出してこっそり食い物を探したよ」


 いたずらっぽい笑い方。

 その軽快な表情で、私の心が一気に軽くなる。

 そしてそのまま別れの手をジムニスさんは振った。


「いつか戦おう、若い魔剣士。そのときまで、私も負けないぜ」


 爽やかさそのものの声と動きと表情で、ジムニスさんは去っていった。

 やっぱり死ぬ前の幻覚なのでは? と思い、肉を頬張った。香辛料の弾ける匂い、肉汁の豊かな味わい。私の貧相な想像力では絶対に作れない。現実だ。

 ジムニスさんに、戦おうと、言われたのだ。

 私が。



*** *** ***



 道場を勝手に抜け出したことは咎められなかった。

 ただし訓練の内容がさらに激しく厳しくなった。絶対頭にきてる。

 が、私はその訓練を全てこなした。死にかけたけど。

 死ぬほど苦しくてやっぱり何度も失神したし殴られて蹴られて怒鳴られたけど、逃げ出しはしなかった。つらすぎて泣いたけど。


 試合に出られるという約束を、コーチ達は守った。

 正確には、四魔協(四大陸魔剣士協会)の審査会へ私を連れて行った。

 そこで私みたいに道場で訓練を受けた人と戦った。

 あのとき盗んだ練習用の魔剣で。


骨羽ほねはねかよ。だっせえ魔剣」


 対戦相手は明らかな蔑みの目を私に向けた。ジムニスさんとは違う。気の持ち方も、魔剣の使い方も。

 その対戦相手は炎と光を幾重にも撒き散らす魔剣だった。

 攻撃を重ねて押し切るスタイル。

 私は彼の魔剣を見た。

 赤い魔剣は残念がっていた。その理由を私は知った。荒れ狂う攻撃の中を、私は魔剣を抜かない低い姿勢で駆け抜けた。

 加速。すり抜ける。炎光の嵐の隙間を。彼が攻撃を振り回す一連の間で。

 全ての魔剣技を無傷で躱し、懐に入った。

 私は魔剣を抜き払う。

 それで終わった。

 魔剣が相手の肉でない肉を裂き、失神させる。

 私は彼の魔剣へ言った。


「隙間が多くて残念だったね」


 彼の魔剣は同意した。苦労が多そうだ。

 私は一合の剣戟で勝利した。

 その後2回ほど同じような試合をし、同じような流れで勝った。やけにギャラリーが増えていった。そして最後の試合に勝利した瞬間、審査会場がひどく騒々しくなった。

 私は自分に染みついた恐怖をまたも感じ取り、逃げようとしたが、コーチたちに取り押さえられた。

 恐ろしいほど視線を集めながら、私は審査会を後にした。


 後日、四魔協から、私の魔剣士資格が正式に届いた。

 私は、魔剣士になった。



*** *** ***



 そこから先は、めまぐるしいほど忙しかった。

 コーチ達はとにかく試合を組んだ。

 私は一番下の黒鉄級なので、同じ階級同士で戦うのかと思ったら、その上の赤銅級を飛び越え白銀級と戦わされた。

 なんじゃそりゃと思ったが、しかしそこでもやはり同じだった。

 相手が魔剣に何をさせたいのか見る。

 その魔剣が持ち主の何を不満に思ってるのか知る。

 打開策を自分の魔剣と相談する。

 その通りに試合が運ぶ。

 派手な攻撃の魔剣技はいらない。素早さがあればいい。私の魔剣が与えてくれた。


 そうやって白銀級の人達を何人か倒した。

 そしてコーチはどんなツテを使ったのか、黄金級への昇進を兼ねた白銀級トーナメントに、特別枠として私を出した。

 黒鉄級が白銀級トーナメントへ出ることは、四魔協の歴史で初めてだそうだ。

 (本当は赤銅級への昇進が決まってたけど、手続きをしている間にトーナメントが始まってしまったらしい)

 最上位である黄金級は、大陸王者への挑戦権がある。

 なので白銀級トーナメントに出る魔剣士は物凄い集中力と闘志を持っていた。誰も私を侮らなかった。油断は全くない。


 そんな白銀級の魔剣士たちを、私は全て斬り伏せた。無傷のまま。

 

 一度も負けず、一度も傷を負わず、あっけないほどの早さでトーナメントを優勝した。

 こうして、赤銅級への昇進手続きの最中に、黄金級入りが決定した。

 ランキング12位の黄金級魔剣士として。


 世間では私のことでひどく話題になっていた。

 けれど、私はそれらから離れ、ひたすら訓練を続けた。泣きながら。

 相変わらずつらかった。試合に出て昇進しても楽になることは全然なく、むしろ訓練の内容はどんどんきつくなっていく。

 それでも私はそれらをこなした。

 胃の中のもの全部吐き出すこととかよくあったけど。

 とにかく私は逃げなかった。

 怠けた剣技で倒されるのは不名誉だと、ジムニスさんが言ったから。


 大陸で13番目の魔剣士になったという実感が、まるでなかった。

 何か壮大な冗談に付き合わされているのでは?

 けれど。

 ジムニスさんと出会えたあのときは、間違いなく現実で、本物のジムニスさんの心からの言葉だった。

 私はジムニスさんへの信仰を裏切りたくなかった。

 だから、私はコーチ達に言った。


「戦いたい、です、その、ええっと―――――黄金級の全員と」



 斬られる名誉を与えろと、ジムニスさんが言ったから。



*** *** ***



 黄金級は、今までの相手とはまるで違った。

 剣士も魔剣もお互いを理解してる。魔剣との関係もいいから、隙が少ない。今までのように最初から相手の不満に付け入ることは無理だった。

 なので、私から誘うことにした。

 最初は隙のない魔剣士も、ある状況になると魔剣との連携が鈍くなる。

 例えば私がわざと競り負け、相手の決め技を誘ってそれを避けたとき。

 例えば私がわざと斬り合いを挑み、押し勝てると思い込ませたとき。

 例えば私が……とにかく接戦の中でちょっとした隙を見せる。

 相手は素早くそれを見付ける。相手の魔剣は罠だと気付くけど、剣士自身がその警告に反応する前に、私が斬る。

 だから自然と、相手の魔剣技を見ることが多くなった。

 黄金級はどれもきれいだった。誰もが何かしら完成された美しい技があった。

 でも、死ぬときに見たいほどじゃない。

 私が見た、そして見たいものは、もっともっと、とんでもなくきれいだから。


 こうして私は、1位から11位の全ての黄金級魔剣士に勝利した。


 だから、私が挑める相手は、もう1人しかいない。

 カカナ大陸王座防衛戦。

 戦う。ついに。会える。

 ジムニスさんと。



*** *** ***



 試合の賞金は、気付けばかなりの額になっていた。

 贅沢の仕方が分からないので、とにかく映像系の魔法器具と、ジムニスさんの試合記録を集められるだけ買った。デビュー戦から一番新しい試合まで。

 魔剣士になった今でも、ジムニスさんの技は泣いてしまうほど美しかった。11人の黄金級の誰とも比較にならない。


 ジムニスさんが当時の王者への挑戦権を得るまで、順風満帆とはいなかった。

 黄金級は実力伯仲の猛者揃いで、ジムニスさんが負けることも珍しくなかった(ジムニスさんの負けた試合を見ると、体の中がねじ切れて嘔吐したくなるほど苦しく眠れなくなる)

 けれどジムニスさんは、負けた相手へ再戦する。

 より格段に強く美しくなって、必ず勝った。負けたときよりずっとずっと強くなって。

 ジムニスさんが勝ったとき私は道場で拍手喝采をあげ、コーチに叱られた。

 そんな歴史があって、ジムニスさんは当時の王者へ挑んだ。

 ジムニスさんの試合の中で、最も長く、最も苦しい試合だった。私は2回ほど吐いた。

 互いに疲弊し、魔剣も輝きを失いかけ、限界が近いそのとき。

 王者の赤黒い魔剣技が奔る。

 ジムニスさんの銀光が閃く。

 頽れる王者。

 立っていたのはジムニスさんだ。

 試合終了の合図と共に、ジムニスさんもその場に倒れた。精根尽き果てて。

 倒れるその姿すら、ジムニスさんは美しかった。

 ジムニスさんの真似事をしてきた私は、その姿を魂に焼き付けた。

 王者へ挑む姿を。



*** *** ***



 ジムニスさんは、私を憶えておいてくれた。


「驚いた。本当に驚いた」


 四魔協(四大陸魔剣士協会)のカカナ大陸支部会館で、私達は席に座り、大勢の協会員や記者を前にしていた。


「ご、ごごごごごっごごっっ、げぶっ」


 王座戦前の会見で再会した私は、緊張のあまりせた。見ている人々はかなり引いていた。

 魔剣士の正装を纏ったジムニスさんはそれはもう格好良かった。飾って毎日拝みたい。

 対して私は骨羽に合う魔剣士の礼服がないので(翼人の正装は大きな両翼を前提に作っているので骨羽が着ると悲惨だった)、改造してなんとか最低限失礼のないものを羽織れた。


「ご、ごご無沙汰、ご無沙汰しており、ます」

「うん、あのとき偶然会えて良かった。きみほどの魔剣士を助けられたのだから、運命に感謝だ」

「めめめめめめめ滅相もありませんです、全然、私は全然あの、ええと」


 しどろもどろになった。きみほど、ジムニスさんが私のことを「きみほど」って言った、言ってくれた!


「ふたりはお知り合いなのですか?」


 混乱と恍惚で何もかもがおかしくなった私を、記者の人が助けてくれた。

 ジムニスさんは、道の真ん中で倒れていた私を助けたことを、特に誇ることも誇張することもなく淡々と話した。

 時おり「あれは候補生の頃だったのかな?」とか「私はお茶しか頼まなかった気がするけど、合ってたっけ?」とか私に話を振って下さったけど、「はひぃ」だの「あ、はい」しか言えないので本当に死んでしまえ私。

 そんなことを話していると、記者の誰かが私に尋ねた。


「勝った場合、助けてくれた恩を仇で返すことになりますが、どうですか?」


 その言葉に私は血の気が引いた。

 頭の中が真っ白になる。あたふたと口を開けたり閉じたりして、結局なにも言えなかった。

 怒りの声を上げたのは、ジムニスさんだ。


「私が恩を売るために助けたと言いたいのか!」


 ジムニスさんの怒声に、その場の誰もが身を竦めた。私も含めて。


「今のきみの言葉は私への、ひいては魔剣士全員への侮辱だぞ。王座に挑む全ての魔剣士が考えるのは勝利だけだ、過去に何をした何をされたなど微塵も関係ない」


 ジムニスさんは言ってくれた。


「私と彼女の魔剣技のぶつかり合いに、余計なものを入れるな」


 王者の義憤が全てを貫く。


「―――……」


 私は涙を流した。

 生きてて良かった。


 あのとき、慰安所で死ななくて良かった。

 働いて喫茶店で試合を見てて良かった。

 イベントに参加して良かった。

 スカウトに応えて良かった。

 逃げなくて良かった。

 勝ち続けて良かった。

 ジムニスさんに会えて良かった。




 会見の最後、ジムニスさんは私に握手をしてくれた。

 力強く、そして温かい手だった。




「明日、私は私の全てを君に見せる。君に名誉を」









*** *** ***






 ジムニスさんに斬られる


 そんな名誉、他にない


 そのまま死んだってかまわない






































 そのまま死ねばよかったのに


























*** *** ***




 きれいだった。

 装置を通さない、間近で見るジムニスさんの魔剣技は、映像とは比べものにならないほどきれいだった。

 きれいしか言えない。

 ジムニスさんには完全だった。私がどれだけわざと隙を見せても、罠だと見抜いた。魔剣からの警告に一瞬で応え、魔剣もジムニスさんの意図を正確に理解し、技の完成度を高める。

 ジムニスさんと魔剣の関係は完璧だった。

 付け入る隙など全くない。

 今まで戦った黄金級とは格が違う。

 ジムニスさんは最強だった。


「……」


 そんなジムニスさんの魔剣技を、私は間近で見られた。

 ジムニスさんの魔剣は速度の魔剣。煌めく光刃が幾重にも重なって私を襲う。

 私は怒濤のように押し寄せてくる剣撃の嵐を、ひとつ残らず目にした。完璧な角度と速度と布陣。きれいできれいできれいな技。白銀級トーナメントで優勝したときの決め技だ。

 それを見られる私。

 私は。


 私は、笑った。


「……おねがい、魔剣」


 ―――――王者の攻撃の全てを、私の魔剣は斬り払った。


 連撃をひとつ残らず叩き落とし、私は自らジムニスさんの間合いに入った。

 そしてジムニスさんの真似をする。

 連撃。


「っ!」


 ジムニスさんも同じく叩き落とし、そして次の技を繰り出す。円弧のような斬撃が左右から不規則に何度も来る。知っている技。4度目の王座防衛戦で初披露した技だ。

 私も同じ動き、同じタイミング、同じ技で迎え撃つ。ジムニスさんに合わせて。

 ジムニスさんは技をいくつもいくつも出す。私も同じ技を出す。ジムニスさんの真似事で始めた魔剣士の道を、こうしてジムニスさんにテストして貰っている。そんな妄想で。

 私はうまく動けてますか?

 私はあなたに近付けてますか?

 もっとうまく速くなりたい。


「おねがい、魔剣」


 だから魔剣に願う。

 魔剣は応える。私は加速する。

 ジムニスさんは技の繰り出し方を複雑にしていく。私が真似することを見抜いたから。わざと真似させて隙を作ろうとしている。その工夫の仕方を間近で見られる幸せ。その工夫の仕方も真似する私。ジムニスさんとの戦いは複雑さを増していく。


「たのしい」


 思わず口に出した。

 試合の最中で、ジムニスさんが間近にいるのに。

 でも仕方なかった。

 高度に合わせ続ける踊りのように、私はジムニスさんと舞っていた。

 魔剣の属性も戦闘スタイルも完全に同じなので、私達はどこまで噛み合って剣を交えられる。

 ジムニスさんは本当に全てを出してきた。それまで練り上げ続けた技も速度も。

 私はその全てを目に出来た。どんどん速くなっていくジムニスさんの魔剣技。私も負けずに速度を上げる。

 きっと外からは、激烈に目映い剣光の塊にしか見えない。

 ジムニスさんと私しかいない世界。

 私は速度を上げる。技の組み合わせ方を自分でも工夫してみる。隙の作り方も。どうですか? どうですか? とジムニスさんへ。しつこいほど。

 だってこんなこと、もう二度と無いから。

 こんなにきれいでたのしいこと。

 しあわせだった。

 しあわせだった。


「―――――っ!」


 大嵐のような技の繰り返しの中、ジムニスさんが一瞬だけ魔剣を鞘に収める。

 私は目を見開いた。

 来る。

 来る。

 来る。

 ジムニスさんの最速の技。

 王者になったときの技。

 無敗の奥義。

 あれが。

 私へ。


「っ!」


 私も鞘へ魔剣を収めた。

 しかし一瞬だけ、刹那だけ遅い。

 ジムニスさんの抜剣が先。放たれた。

 最強最速の奥義が。


「――――」


 私は。

 私は、その王者の技を。奥義を。動きを。


 視ることが出来た。


 神々のように美しい。銀の魔剣が完全の神速で私に迫る。

 私は。

 私は走る。

 ジムニスさんよりも速く。


 魔剣を抜く。鞘から。

 黒紫の私の魔剣。

 銀の刃を切り払い。

 そのまま、魔の速度で。


 ジムニスさんを。


 斬った。








*** *** ***




 『最年少王者 誕生』の報せが大陸中を賑わせていた。

 夢のような時間が過ぎたあと、茫然自失となっていた。

 本当に夢だったんじゃないかと思って、よくあの食堂に行った。ジムニスさんにおごってもらった食堂で、同じメニューを頼む。あのときと同じ味がした。今は自分で支払える。


 夢じゃなかった。

 私はジムニスさんと戦い、勝った。

 だから、訓練を重ねないといけない。


 ジムニスさんは必ずまた来る。もっともっと強く美しくなって。

 私はそんなジムニスさんに恥ずかしくないよう、もっと頑張らないといけない。

 あの夢のような時間がまた必ず来る。

 だから訓練がどれだけ厳しくても、私はもうつらくなかった。

 またジムニスさんに会えるのだから。




 










*** *** ***
















 ジムニスさんが、引退した。



















*** *** ***




『新王者へ


 知ってるかもしれないが、私は引退する。

 敗北し、再挑戦する私を褒めてくれた君にこんなことを言うのは、身が裂けるほどの慚愧でいっぱいだ。

 それならまた君に挑めばいいと思うかもしれない。

 しかし、それは無理だとも気付いた。あの試合で。

 私は君に自分の全てを出した。

 そして君はその全てを自分の物にし、私よりうまく使いこなした。試合中に。笑いながら。

 もうどれだけ技を組み上げようが、君は全て見抜いて全てものにする。

 そう悟って、最後にあの技を出した。

 それさえ、君には見えていた。

 私の全てをもっても、いや、これからどれだけ研鑽を重ねても、あの試合と同じことが繰り返される。そう確信した。

 君の勝ち方は、そういう勝ち方だった。


 君から貰った最後の名誉を、私は誇る。

 君がこれから勝つときも負けるときも、私の名誉を守ってくれると、私はうれしい。

 ありがとう。君の技は魔性のように美しかった。



 ジムニス・イリコルギ』







*** *** ***









 あのとき しんじまえば  よかったんだ









*** *** ***



 大陸王者の防衛戦は、ほとんど行われなかった。

 私がかつて挑んだ黄金級11人はそのほとんどが、ジムニスさんに合わせるように引退していった。ランキングはほぼ空席になり、魔剣士の試合数も大幅に減った。


「たのしくない」


 ジムニスさんのような美しさの魔剣士は、もう大陸にいなかった。

 私はジムニスさんの名誉のために戦った。訓練も手を抜かなかった。

 私が惨めに負けることは、ジムニスさんの名誉を傷つけるから。ジムニスさんは私を許さないから。

 ジムニスさんには、二度と会えないのに。

 全部が全部、過ちだらけだったのに。気付いてももう遅いのに。

 


「たのしくないよ、魔剣」


 ……四魔協(四大陸魔剣士協会)はカカナ大陸の惨状を見かねて、政治的配慮で避けていた四大陸総合王者のタイトルを新設。世界王者の座を争う世界ランキングが生まれ、その中には私を含めた四人の大陸王者がいた。

 私はそれに渇望を掛けた。

 ジムニスさんにとっての私みたいに、どう頑張っても私では勝てない相手が、別大陸にいるかもしれない。

 そうすれば、私をジムニスさんは許してくれる。

 そうすれば、魔剣士をやめることを許してくれる。

 幸せだったあのときを、また、と願い続ける日々から解放される。

 だから私は願った。



「おねがい、魔剣」





――――――――――――



○リナ・シャブラニグドゥス


四魔協の初代世界王者。


彼女が世界王者になった後、大量の魔剣士が四魔協から他の王座認定団体へ移籍。四魔協の組織規模は急速に縮小し、興業が衰退した。

他の2団体も組織規模に対して魔剣士の数が溢れ、ランキングは混乱。運営に支障を来す。

(なお後の3団体総合ランキング創設により四魔協の世界王座は廃止された)



○3団体総合ランキング


魔剣士界の混乱と衰退を憂えた3団体が創設した世界ランキング。

これにより世界の全ての魔剣士がランクを付与され、あらゆる魔剣士が対戦可能となった。

初代の3団体総合王者はリナ・シャブラニグドゥス。



○魔剣士協会


かつて3団体あった王座認定団体が合併して出来た団体。

3団体総合王者が決定した後、以後の防衛戦で総合王者が変動することはなく、魔剣士界の衰退に歯止めが掛からない状態になった。

3団体は合併し魔剣士協会となるも、現在の競技人口は3団体総合ランキング創設前の10分の1以下であり、今なお減り続けている。

世界王者はリナ・シャブラニグドゥス。無敗。





(終)


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