第7話(終)「ぼくの壊滅、世界の壊滅」
5月20日、時刻は不明。
私と老いた男性は、気を失っていたところをある夫婦に救われた。
今は夫婦のうち、夫の運転する車に乗せられている。地盤沈下(?)の被害の少ないところまで避難してくれるらしい。
車が発進して間もなく、運転席の男性が自分の息子についての話を始めた。聞くところによると、息子がこの辺りに住んでいることを突き止め(今まで知らなかったのもおかしい気はするが)、捜索しに来たのだという。
後部座席、私の隣に座っている老いた男性は、とんだ偶然かご都合主義か、なんと夫婦のうち、車の助手席に座っている婦人……のほうの父親であるらしい。つまり、例の息子の祖父にあたる。
彼も息子を捜していたのだろうか?私と違って彼は未だに意識を失ったままなので、確認のしようがない。いずれにせよ、なんとなく彼らの家庭事情が普通でないことは私にも察することができた。
車内の話題は、例の息子の件に移る──
「解離性同一性障害?」
「……ええ。あまりこういうこと口外するの良くないんですかね?まあこの際だから問題ないと思いますけど。うちの息子、高校生の時にそんな診断を受けたらしくて」
「えっと……とりあえず話が見えてこないんですけど、解離性同一性障害、でしたっけ?それはいわゆる……」
「あーはい、いわゆる多重人格ですね。男で、一人称は「ぼく」なんですけど、たまに女の人格、「わたし」の人格が出てきちゃうみたいで。大学入学と同時に上京しちゃったので、ここ二年は顔を合わせていなくて……今どういう状況かは知りませんけど、拗れてる時には、自分のもうひとつの人格が、まるで他人が目の前に現れたかのように感じられることもあるらしくて。別人格と会話を始めちゃうんですよ。端からだと、一人芝居をしているようにしか見えなくて……」
「自分の息子のことなのに、随分と他人事のように語るんですね、さっきから」
「そうですか?……まあ、仕方ない部分もありますけど。うちの息子、どうも私たちを昔から避けてるみたいで。親戚同士で集まろうという話が、先日、あったんですよ。でも、それにも顔を出さなくて……結局会合は頓挫しましたけど」
「はあ……」
多重人格……か。
1人の人間が、2つの意志をもつ。ひょっとすると意志は3つ、4つあるのかもしれない。アニメや映画の世界でしか聞かないと思っていたが、現実にある症例なのだということを私は思い知った。
一体、何が原因となって第二の人格が現れてしまうのだろう。もうすぐ世界が壊滅してしまうから、最早それを調べる術はない。ちょっとした心残りだ。
会話が途切れる。私は間を持たせようと、もうひとつ気になっていることを運転手に問うた。
「あの、すみません、さっきの呼び方の件についてなんですが……」
「ああ」運転席の男性はアクセルを踏んだまま首を回し、私のほうを見やった。運転に不慣れな私には決してできない芸当だ。「あれは完全に僕の失礼でした。申し訳なく思うと言っておきますよ」
「いや、別に気にはしていないんですけど……」
「てことは、言い訳をさせてもらえるんですか?うーん、めちゃくちゃな言い分なんですけど、あなたを一目見たとき、息子の女のほうの人格に雰囲気が似ているな、と思ったんですね。あなた、聞くところによると、うちの息子と大学が同じらしいじゃないですか」
「ええ?そうなんですか?」
確かに私は先に軽く自己紹介をした。その中で大学名も述べた、かもしれない。大学での知り合いに、多重人格を抱えていそうな人間は思い当たらない。大学が同じといえど、会ったことはないのだろう。
さすがにここで知人だった……なんて展開はご都合主義(ドラマチック)が過ぎる。そんな世界、いっそ壊滅してしまったほうがいいとさえ私は思う。
「憶測ですけど、あなたの影響を受けたのかもしれませんね。もちろん、あなただけではないでしょうけど」
「はあ」
ほんとうに、くだらない憶測だ。
運転席の男性は、しばし黙りこくった後、「……いやはや、自分語りに終始してしまいましたね。ごめんなさい」と言った。どうも彼は謝罪のポイントがズレているような……
「全然関係ないですが」
「はい?」
「真っ暗な空間に、わずかな火の光が灯っているこの状況、なんとなく幻想的だとは思いませんか?もうすぐ日の出の時間っぽいので、束の間の幻想、なんですけど」
「それは……」
またズレた発言をするな、この人は……とは思わず、私は彼の言葉に共感してしまった。まるで劇場みたいだ、と思ったのは何時間か前のことである。
「まるで非現実的な光景ですよねー。こんなのはアニメや映画の世界でしかありえない。壊れようとしているのは、間違いなくリアル、のはずなんですけど」
「そうですね……でも、丁度いいんじゃないですか?最後くらい現実逃避しても、きっと誰からも詰られることはありませんよ。劇中の登場人物として、精一杯酔ってみるというのも……」
「オツですか?そうかもしれません。でも、僕が考えていることは少し違いますね。このくだらない世界にも、こんな側面があったんだなって。隣国からミサイルが飛んでくるという明らかな危機に対しても、僕たちは一種の期待を寄せるものですからね」
そんなものだろうか。
少なくとも私は、世界があまりにドラマチックであるというのも考えものだと思う。だって、ドラマは明らかに虚構なのだから。ドラマに酔うのは現実世界が壊れようとしている……それこそミサイルが飛来していることの証拠に他ならない。
ご都合主義もほどほどに、ということを私は言いたいのだ──
「うわああああーーーーっ!!!うわああああーーーーっ!!!」
「!?」
どこからともなく、妙な音が聞こえてきた。車内からでもわかる、サイレンのような大きな音だ。なんだこれは、人の悲鳴?
前方座席の夫婦も異常を察知したようで、車を急停止させた。ガクン、という衝撃が車内を襲う。夫婦は互いに見つめあった。二人ともどこか邪険そうな表情だった。
「君、ちょっと」運転席の男性が私に言った。「あれ、推測だけど人の悲鳴じゃないですか?ここで僕たち、車を見てるんで、ちょっとばかし見てきてくれません?後部座席に後一人くらい入ると思うんで。助けるべきでしょう」
「え……」
私は戸惑った。どうして私一人に助けに行かせるのだろう。路上に車を止めていても、今更防犯面を気にする必要はないはずだ……なんて現実的な考えは、きっと興ざめだ。もし世界の壊滅で終末を迎える物語があったとしたら、登場人物はきっと身の丈に合わない正義感で動くだろう。
壊滅する世界を舞台に、私は精一杯酔ってみることにした。「……はい、わかりました!」
私は車から降りたち、辺りを見回した。悲鳴の音源はすぐに突き止めることができた。私はその方向へ駆け寄った。瓦礫の山に突き当たる。
「大丈夫ですかー?!聞こえますかあー!!」
瓦礫のはざまにヒトがいる。ウワーーーン、と、水槽で反響を繰り返したような悲鳴。絶望のサイレンだ。しかし生きている証でもある。あと何個か灰色の瓦礫を退ければ、助かる希望はあるはずだ。
時間がない。水平線を見渡せば、赤と灰色の地獄絵図。火がこの近辺まで移るのも遠くはない。それに要救助者は他にもいる。車の中に取り残してしまっているのだ。何分も待たせるわけにはいかない。
「あともう少しで出られますよー!!あと少しの辛抱ですー!!」
届いているかもわからぬ言葉。自身の絶望を振り払う声援。あれやこれやと叫びながら瓦礫を退けつづける。
「……!やった!」
ひとつの瓦礫を蹴り飛ばす。辺りはジェンガのようにぐらぐらと崩落する。そうしてヒトの全貌が見えた。ウワーーーン、という悲鳴が一層はっきりと聞こえる。生きている。生きている!。
「聞こえますか?助かりましたよ!」
耳元で声を張る。聞こえている様子は見えない。しかししばらくするとこちらに気づいたようだ。うねるような悲鳴を突如として止めた。
そのヒトは……空虚な目でこちらを見た。私は彼の顔を見て思わず笑い転げそうになった。ご都合主義にも程があるだろう。
「あなたは……「ぼく」の、「わたし」?」彼は消え入るような声で言った。
「いいえ違うわ。私はあなたの他人よ」私はそう言って、ニヒルに笑ってみせた。我ながらクサい芝居だと思う。私は彼の言葉の意味をすぐに理解した。
「他人……?ああ……」彼は長い眠りから覚めたようだった。両目をゴシゴシとこすり、彼は壊れゆく世界を見た。
「……ということは、これは紛れもない現実なんですね」彼はどこかホッとしたような顔つきをしていた。
「ええ。呆れるくらいに何もなくて、ほんとうにくだらない現実よ」私は答えた。
「ああ……」彼は救われたような嘆息を漏らす。そして笑った。
私も彼の真似をして、遠く水平線を眺めてみる。と、そこで気づいた。視界に入った自動車……先ほどまで私が後部座席に乗っていて、今は夫婦と老いた男性がいる自動車付近に、人影が見当たらない。待っていると言っていたはずなのに……まさか。
私は横で座りこんでいる彼の顔を見た。彼は相も変わらず、世界を見つめては笑顔を浮かべていた。私はそんな姿を見て……目に熱いものがこみ上げてくるのがわかった。
「ウソみたいですね、この光景……とても、物語的(ドラマチック)です」彼は言った。
「ええ、ほんとうに……ドラマチック」私は言った。そして泣き崩れた。
水平線を見渡した。消火のおかげか赤い炎は一時的に姿を消し、後には灰色だけが残された。
【短編】プロスケニオン・センス 在存 @kehrever
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