第6話「5月20日」
「えー、知らない人はいないと思いますが、一週間後の5月20日、地球に巨大隕石が落下し、陳腐な表現ではありますが……世界が壊滅してしまう、とのことです。
本大学は、協議に協議を重ねた結果、本日5月13日をもって、授業をはじめとした、教育機関としてのあらゆる運営を停止することになりました。僕も含めて、一週間後にそんな突拍子も無いことが起きるなんて信じていない者は、本校にも多数居ます。だから、あくまで停止……もし、5月20日、5月21日をいつも通りに迎えることができたならば、その時はまた、少しずつ、機能を回復させていく所存とのこと。
……この授業もひとまず、今日で終わってしまうということになりまして、まあこの授業に対する思い入れが強いわけでは僕自身、ありませんので、悲しみより困惑が勝っているというのが本音でありますが……ただ、伝えておきたいことがないわけではなく。
皆さんにおかれましては、何よりもまず5月20日を納得のいく形で迎えてほしいと思います。月並みですか?そうですよね。でも、月並みすぎて言語化しないだけで、案外真理なんですよ、これが。5月20日に世界がどうなろうが、いつ現実がどのように崩れ去ってもいいように、生活をその都度営むべきだと思います。
ちょっと大学の講義っぽくしてみますか。せっかくなので。皆さんは高校の授業で日本や世界の歴史を学んだことと思います。そのなかで、こんなことを思った経験はありませんか?……今の時代は、後世の教科書においてどのように叙述されるのだろう、と。
で、試しに自分でやってみるんですよ。今、自分が生きているこの世界に、後世に残るような歴史的な出来事がないか探してみる……ところがこれ、見つからないんですよ、全然。同時に気づくわけです、今の世界はドラマを失った舞台だということにね。
ゲームに喩えてみると……昔のロールプレイングゲームって、ラスボスの魔王を倒した後の世界がプログラムされていない。ご存知ですか?だから、ラスボスを倒してしまうと、最後のセーブポイントまで遡る……つまり、ラスボスを倒す前の、魔王の城のどこかしかまで飛ばされるようになっているんです。プレイヤーはそこで「ゲーム内の物語は終わったんだ」と悟る。リニアな物語から解き放たれた後には、何も残されていない。
今の時代に生きる我々は、言うなればラスボスを倒した後の勇者に近い状況に置かれています。物語がプログラムされていない、ラスボスの後の世界をどう生きるか……それは、歴史を省みるだけでは答を見つけることのできない問いなんだと僕は思います。
というわけで、皆さんにも考えてもらいたい……5月20日に世界が終わったら、後には何が残るのか……そして、5月20日までのこの一週間、我々は勇者の如く目標を抱いて生活できるのだろうか、ということを」
「ぼく」はそのとき講義室で、8日後の映画のこと、今夜のアニメのことを考えていた。
「私」はそのとき講義室で、後1週間でやらなければいけないことを探していた。
「ぼく」と「私」は、大学のクラスメイトでもあり、高校の同期でもあった。
「私」にとって「ぼく」は、大学に入ってはじめて知り合ったクラスメイトの一員。
「ぼく」にとって「私」は……高校の時からの憧れの存在だった。「私」のように、清算する生活を営みたいと「ぼく」は希った。
しかし、「ぼく」にとって「私」は、あまりに別世界の人種だった。「ぼく」は自分のことを考えるにつけ、「私」のようになりたいという願いが、叶わぬ儚い楼閣だと悟った。
「ぼく」は「私」に話しかけることすらできない。
だから「ぼく」は数年前、自分の中に「わたし」を作り出した──
* * *
右腕のデジタル腕時計を見る。5月19日、午後11時。私は外へと繰り出していた。
最後の夜は家族一緒で過ごそうと何時間も家にこもっていたのだが、母親と弟は眠りに落ちてしまい、父親は魂が抜けたようにテレビ番組をリビングで見呆けていた。居心地が悪いというわけではない。しかしこのまま家にこもっていても、やり場のない絶望が膨れあがるだけだと私は思った。
最後の夜すら、もう終わったのだ。
父親に「夜風にあたってきたい。車借りるね」とだけ言って、私はジャージの上下にパーカーだけ羽織って玄関へ向かった。ドアに手をかけた時、リビングから何か声が聞こえたような気がした。私は「行ってきます」と茶色のドアに向けて呟いた。
5月というのは捉えがたい季節だ。春とも夏とも言い難い境界に位置する。近頃は昼間の陽気に春の終わりを感じとっては辟易としてしまう。しかし今は冷えた風が私を微かになでて気持ちがいい。深くなる夜の闇は、私の絶望の表象を示さない。
車窓を数ミリだけ開けてドライブする。私は乗り物が好きだ。見慣れた近所の風景でも、高速で駆けるとカルタを返したように一変して見えるもの。辺りにヒトケはない。私は静かな世界をひとり愉しんでいた。
もう、いつ世界が壊れても構わない……なんて勿論思っちゃいない。私は今の生活に未練を気持ち悪いくらいに感じている。一週間前、通っている大学で最後の講義があった。その時の教授の言葉を、ハンドルを回しながら思い出す。
「月並みすぎて言語化しないだけで、案外真理なんですよ、これが。5月20日に世界がどうなろうが、いつ現実がどのように崩れ去ってもいいように、生活をその都度営むべきだと思います」
仰る通りだとは思うが、やっぱり月並みすぎてすぐには受け入れられない。生活が壊滅しようとしてくれないと、生活について深く考えられない……あまりに残酷だと私は思う。どうして人間は、失わないとモノの大切さがわからないのだろう?
私はあれから今日に至るまで、バカみたいに久闊を叙してみたり、集まって傷を舐めあってみたりした。そうして自分は今の生活を気に入っていたのだと気づいた。生活を清算すればするだけ、その生活がもうじき失われてしまう現実に向き合わなければいけない。でも、痛みを伴わないと生活の大切さに私は気づくことができなかった。世界がひとつ、壊れようとしている現実は……皮肉にも世界がひとつであることを明らかにした。
そういう意味では、やっぱり生活の清算は必要なことだったと私は思う。でもまあ、私とて最期まで痛みを我慢できるような殊勝な人間ではないので、ひとりで深夜のドライブに興じるというのも、これはこれで私にとって必要なことなのだ。
車窓をちらちらと見やりながら、そんな物思いに耽っている時。
「……うっ?!」
車体を揺るがす衝撃とともに、どこからともなくけたたましい爆音がした。
世界の壊滅が始まったのだ。
自動車を急停車させ、私は路上へと降り立った。
そこは川辺だった。アーチ橋がどこかにあったのを昔見た覚えがあるが……今はそれどころではない。
先の衝撃で頭を座席にぶつけてしまったようだ。針の刺すような痛みを堪えながら、私は辺りを見回した。いつも通りならば闇に溶けているはずの風景を、今日は割と鮮明に目でとらえることができる。火事場の馬鹿力ともいえる興奮状態のなせる業なのかもしれないが、最たる理由は文字どおりそこが「火事場」だったからだ。
高い建物のない開けた風景。赤い輝点が水平線上にぽつぽつと並んでいた。幸い私のいる地域にはまだ火が回っていないようだが、時間の問題だ。
カルタを返すどころでは済まない変貌っぽりに私は愕然とした。
「帰らなきゃ……」
車で10分も飛ばせば家に着けるはず。着いたからといって安全である保障はないが、この非常事態にひとりでいるのは、なんというかまずい気がしたのだ。
私は運転席に乗りこみ、エンジンをふかそうとした……
「!?うそ……!」
車は無事でなかった。先の衝撃でやられたか……車で10分の距離ならば歩けないことはないし、この辺りの地図は頭に入っている。私は頭痛を振り切ってその場を駆け出した。父の車を壊した挙句、路上に棄てて帰宅する大学生。悪い女に育ってしまったものだ。せいぜい世界の壊滅で帳消しになることを願うことにしよう。
火の海と化しつつある水平線を尻目に走りながら、私は不謹慎極まりないことを考える。闇に溶ける空間に、オレンジ色の光がぽつぽつと彩りを添える……まるで劇場みたいだ。世界の壊滅というのも、まるで現実味のないドラマのように思える。
本当にこれがドラマであり、虚構であったなら、どれだけ良かっただろう……と、思わないこともない。
「……いたっ!」
走り始めてから数分、運動不足で既に息も絶え絶えの私は、路上の何かに足をかけて転んでしまった。体勢を立て直して足元に目を落とすと、なんと路上にあったのは人の身体だった。
人の身体に足をかけてしまったことへの背徳感を覚えつつ、私はその人に話しかけた。
「あ、あの!大丈夫ですか?」
その人はうつ伏せになって倒れていた。私はその人を抱きかかえて身体を起こした。辺りに火事や土砂崩れの形跡はないし、身に何かあったというのは考えづらい。ショックで気を失ったのかもしれないと私は推理した。
その人の顔を見る。しわだらけの老いた男性だった。目は固く閉じているが、ひゅー、ひゅー、と呼吸する音がわずかながら聞こえる。私はひとまず安心した。
と、ここで……私はこの老いた男性を助けることに時間を割いていいものかと少し考えた。今すぐこの地域が火の海と化すことはおそらくない。私が家に戻ったとして、安全度が高まるわけでもない。何より私は傷の舐め合いを欲している。私は決心し、何度か男性に声を浴びせた。
次第に大きくなる私の声。高鳴る鼓動が静寂を破る。
そしてついに、老いた男性は目をゆっくりと開いた。男性は私のほうを見て、「あなたは……?」と訝しげに言った。
私が何とか名乗ろうとしたその時。
周囲の地盤が突如、ぐらぐらと揺れ始めた。あまりの激しさに立つことすらままならない。私は老いた男性もろとも、身を路上に投げ出された。
「……きゃっ!」
川辺のそばのガードレールが、アスファルトで舗装された道が、コンクリ製の壁が、向こう岸の住宅が、等しくひび割れて、崩落してしまった。
どこからともなく瓦礫が降ってくる。私はこの期に及んで、確かにこれは、世界の壊滅と言うほかないかも……と思ってしまった。
私はとっさに老いた男性を身を乗り出して庇った。その拍子に右腕のデジタル腕時計が目に入る。午前0時。
5月20日が始まり、世界が終わろうとしていた。
* * *
「……!」
私は目を覚ました。覚ますことができた。覚ましてしまった?どれでもいいが。
それよりも、今まで私は目を覚ましていなかったという事実のほうが重い。周囲が崩落するのに合わせて視界がブラックアウトしたところまでは覚えている。しかしそれからというもの、私は暫時気を失っていたらしい。気を失ったという経験が私にはないのだが、不思議にも慣れたような感覚がする。寝ているのとさして変わらない?
身体の感覚はまだ戻らない。右腕のデジタル腕時計は、強い衝撃を浴びて一足先に壊滅を迎えていた。あとは、老いた男性……そう遠くにはいないはずだが……
「あっ……人だ!人がいるぞ!おい、君!」
どこからか男の声が聞こえる。私を呼んでいるのだろうか?幻聴かもしれない。
「あれ、君……?もしかして、お前!こんなところにいたのか!」
声の主は私を知っている?ぼんやりと二人の人影が見えたような気がした。
なんだろう、家族?でも、私の父親はあんな声をしていない。
じゃあ、一体誰の家族?
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