第5話「ぼくの5月20日」

目が覚めると世界は真っ白に染まっていた。崩落の刻が、ついに始まったのだ!

 嘘である。

 真っ白なのはぼくの視界のほとんどを占める天井。ぼくは先ほど目を覚ましたのである。

 世界は果たしてどうなったのか?ぼくは無事なのだろうか?という疑念もないわけではないが、当座においては現在時刻のほうが気になっていた。昨晩は目覚ましアラームを設定せずに寝てしまったし、就寝時刻も普段より早かった。今日のぼくが何時に起床したのか、自分でもまったく予想がつかないのである。

 寮の一室に壁掛け時計はなく、時刻を確認する手段は備えつけのテレビか、スマートフォン、それにノートパソコン。しかしぼくはテレビをアニメの視聴以外に用いない。情報の即効性という点において最早インターネットの右に出るメディアがない昨今である。

 ぼくはスマートフォンの電源をつけた。


 10:13

 5月21日 日曜日


「……?!」


 世界の壊滅が訪れるはずの5月20日を、とうに通り過ぎて……

 ぼくは5月21日に起床した。


 * * *


 [無断転載禁止]【国連】ランドス事務総長「引き続き警戒を。まだ危機は去っていない」wwwwww@2fn.net


552 :名無しさん:20XX/05/21(日) 05:09:44:82

 隕石の衝突時期が日付まで正確にわかっているのは不自然だってネット民が散々してきたきたじゃないか

 地球ぐるみのデマだったんだろ

553 :名無しさん:20XX/05/21(日) 05:09:46:01

 ???「謝罪を要求するニダ」

554 :名無しさん:20XX/05/21(日) 05:09:46:99

 油断しちゃいけないって言われてもなあ、せっかく期待したってのに

555 :名無しさん:20XX/05/21(日) 05:09:48:48

 もう隕石来る感じしねえよな

 二徹してて体力が限界だからもう寝るは。明日普通に大学ありそうだし

556 :名無しさん:20XX/05/21(日) 05:11:05:19

 >>552

 陰謀論乙

 すぐにデマ認定して解決した気になるのはオタクの悪癖だぞ


 * * *


 2日ぶりということになるのだろう、ぼくは寮の一室から外へと繰り出していた。理由はぼくが今日も「いつも通り」に生きることができると確認したかったからである。

 5月19日の午後十一時から、5月21日の午前十時。35時間は寝ていたことになる。その間に無意識ながら目覚めた可能性は捨てきれないが、少なくともぼくの観測上、世界は丸一日以上のブランクを挟んでいた。

 しかし仮に5月20日にぼくが起床していたとして、何か生産的な活動ができたかというと怪しいところである。そもそも世界は昨日壊滅するはずだったのだ。ネット民の一部は終始「デマ」であると声高に主張していたようだが、マクロな視点でみると地球ぐるみで世界の壊滅を信じて疑わず、現実に降伏していたと捉えて間違いない。しかし、世界は壊滅しなかった。誰もが各々の納得する形で生活を清算し、あるいは納得がいかずとも生活の終わる覚悟を決めていた。そんな最中に世界は延長を始めたのだ。果たして誰が、終わったはずの生活を再び営もうという気になるだろう。隕石が落ちようが落ちまいが、世界から生産性はことごとく失われた。悲劇を回避したのだ、盛大に祝杯をあげても良さそうなものなのに……喜びよりも困惑が、世界を明らかに覆っていた。

 むろんぼくも生産的な活動ができない点で例外ではない。しかし周囲の人々とぼくは決定的に心の持ちようが異なっている。

 今のぼくには喜びもなければ困惑も(起床直後はともかく今に限っては)ない。そして今日もまた「いつも通り」に生きようという気でいることができる。なぜならぼくは世界の壊滅するずっと前から、5月21日の映画の封切りを待ち焦がれていたからである。周囲の人々にとっては無為に延長するだけの世界は、ぼくにとって待ち望んでいた瞬間。しかしだからといって、ぼくは世界の壊滅を前提に動いているわけではなかったので、特別喜びがこみ上げているわけではない。

 今のぼくに何か感情があるとすれば……そう、「勝ち誇り」の心持ちである。

 ぼくのことを散々現実逃避だ引きこもりだと詰りつづけた人々が、救われたはずの現実にひたすら困惑する一方、ぼくは当然のように5月21日を生きている。現実を正しく受け止めているのは明らかにぼくのほうだろう!

 近所の映画館までの約1キロの道のりは、彼らに対する栄光の凱旋である。


 

 外は不自然なまでに閑散としていた。世界壊滅の前夜ですらヒトケも少しはあったというのに、今日に至っては寮を出てからただの一人もヒトを見かけていない。目当ての映画館が平常営業であることはホームページを調べたうえで把握しているが、それさえもウソだと疑ってしまうほどである。

 ……現実が虚構に他ならないと言い出したのは、他ならぬぼくなのだが。

 そういえば、とぼくは昨夜、もとい一昨夜のことを思い出す。ぼくはアーチ橋で出会った女性を言い負かした。女性はぼくが近づく以前から余裕がなかったように見えたとはいえ、とどめを決定的に刺したのは確かにぼくだ。ぼくの言葉のどの箇所が、女性の心のどの部分に刺さったのかは不明のままであるが、とにかく、ぼくは崩れ落ちる女性を尻目にアーチ橋を後にしたのだった。一昨夜の出来事である。

 その後ぼくが眠りに落ちるまでの間、その女性のことを全く考えなかったわけではない。帰るべき場所をもつに違いないその女性が、果たして平静を取り戻し、あの場から去ることができたのだろうかと、わずかながら忖度した。そして今もそのように思いを馳せている。結局世界は壊滅を免れたらしいから、余程のことがない限り無事だとは思うが、それも確認するすべはない……ぼくはあの女性と二度と会えないような気がしているのである。

 ぼくは誰とも会わないまま、行きつけの映画館へとたどり着いた。

 こじんまりとした灰色の外壁は、いつもと変わらぬ様相。

 館内はやはり無人である。受付にさえ人がおらず、さすがに入館して良かったものかとぼくは尻ごんだ。薄暗い館内にぽつぽつとオレンジ色の柔らかい光が灯っている。ぼくが受付カウンターへ近づくと、曲名不明のピアノソナタが空間をなだらかにジャックした。以上の状況からさすがに営業中だと判断して良いだろうとぼくは思った。とはいえ受付を素通りするのも後ろめたかったので、懐の中で握りしめていた千円札をカウンターの上へそっと置いてから受付を後にした。

 今日は5月の第3日曜日。男性のみが千円で映画を観ることのできるキャンペーン・デーなのである。

 案の定、場内はもぬけの殻。ぼくは最前から4列目の中央の席に陣取って座った。静寂がとても気持ち良かった。

 すでにスクリーンには他の映画の宣伝が映し出されていた。どれもどこかで観たことがあるようなものばかりでつまらない。ぼうっとしていると、暫時、「東映」の文字が海原を背景にデカデカと主張を始めた。

 上映開始である。

 ぼくの待ち焦がれていた、本日5月21日封切りの映画は……


 『意識の踊り舞台(プロスケニオン・センス)』。



 (上映開始から一時間後。どこからか女性の声が聞こえる。鈴の音のように透き通った声)


 ──また、会ったわね

「……あなたは」

 ──あら。覚えていないの?2日前、あなたに言い負かされた人よ

「ああ……あの節は、その、なんというか……」

 ──気にしなくていいのよ。あなたの言い分は至極まっとうなのだから。あなたは誰よりも冷静だった。バラバラになりゆく世界を、独りで受け止めて……

「……」

 ──あなたも、この映画、観に来ていたのね

「……ええ。人気シリーズの最新作ですから。ぼくはずっと前からこの日を楽しみにしていました」

 ──あなた、一昨晩は随分と乱暴な口調だったのに、今は様変わりしているわね

「そうですかね。一昨日はぼくとて平静を装うのに苦心していましたから……」

 ──ほんとう?

「……」

 ──まあいいわ。ねえ、隣に座ってもいい?

「お構いなく。それと、劇場ではお静かに」

 ──ふふっ……そうね

 ──あなた、この映画を楽しみにしている、と言っていた

「ええ。今、ちょうどいいシーンですよね。徐々にクライマックスへと移行することを予期させます」

 ──でも、この5月21日は本来、迎えることができないはずだった。世界は壊滅して、全てが水の泡となり……それなのにあなたは、今日を待ち焦がれることができた。それは、どうして?

「……世界の壊滅も、映画の封切りも、ぼくにとっては等しく、現実という虚構を彩るイベントに過ぎなかったから……と自分では納得していました。でも、それだけじゃないように今では思えるんです」

 ──というと?

「ぼくは映画館までの道中、今日の映画の封切りがウソであって欲しくない、と確かに思いました。いや、かつてはそれも屁理屈で呑み込んでいたんでしょうが……」

「たぶん、目標。ぼくは目標を心のどこかで求めていたんです。ぼくは世界にドラマが欲しかった。ゴールのない筋書きなんて、それこそフェイクですから……」

 ──それ、本心ね。あなた、本心を曝すの久しぶりでしょう?

「随分知ったようにものを言いますね」

 ──一昨日のあなただってそうだったでしょう。きっとわたしたち、お互いの考えていることが自ずとわかってしまうのよ

「確かに。ぼくはあの日、無意識にあのアーチ橋へと導かれたような気がしました」

 ──奇遇ね。わたしも似たようなことを感じたわ

 ──あなたにとって、目標が帰る場所だった、ということ?あなたの小さな世界は、この5月21日であったと

「それは言い過ぎかもしれませんが、まあ、部分的には的を得ているでしょう」

 ──そう……



「……?!」

 気がつくと、場内は観客で埋めつくされていた。

 ぼくの隣にいた女性は、既にぼくのことを興味対象から外していた。ぼくがその女性から感じ取った儚さや余裕のなさは、最早そこにはなく。女性の隣にいる集団は、たぶんその家族である。彼女は母親と父親、それに弟と思しき少年とともに映画を鑑賞していた。無言ながらに伝わる和気藹々とした雰囲気が、ぼくの心を非情にも突き刺した。

 ぼくはスクリーンから目を離し背後を振り返った。老若男女、大勢の観客が劇場を構成している。未だ静寂は破られていないはずなのに、ぼくは居てもたってもいられなくなってしまった。

 家族連れ、カップル、老夫婦、会社の同僚、大学の悪友、師弟……あらゆる関係がそこに渦巻き、あらゆる生活がそこにあることに、ぼくは愕然とした。彼らは既に生活を清算したのではなかったのか。ずるずると世界の延長をただ消費するのではなかったのか。

 ……そうだ、これも現実。ひとつであったかもしれない世界の縮図である。でもそれらは他ならぬ虚構に過ぎない。そこにあるのは空虚だけだ。世界がドラマを失っているからこそ、ぼくはドラマチックな映画に陶酔し……

 いや、違う。

 ぼくは断じて現実から逃げてなんかいない。非情な現実をもぼくは受け入れる。今までずっとしてきたことだ。そのはずなのに……


 ──考えなかったの?あなたの信じる目標そのものが、虚構であるという可能性を。

 ──見つめなかったの?世界を虚構を言い張るあなたも、心のどこかでリアルな単一の世界を希求していたという皮肉な現実を。

 ──読み解けなかったの?「壊滅」は決して死を意味しないことを。

 ──気づかなかったの?壊滅しようとしているのは世界ではないということに……


 周囲の観客が、真っ赤なイメージに化ける。そして一挙にぼくのことを見た。壊滅を免れたはずの世界の片隅で、ぼくの装っていた平静がぐらぐらと壊れ始めて……

「うわああああーーーーっ!!!」

 悲鳴が灰色の映画館に反響しつづける。


* * *


 目が覚めると世界は真っ白に染まっていた。


 ああ、そうか。

 ぼくはずっと前から、妄想の檻に囚われていたんだ。

 5月20日を前にして、ぼくは無意識にも妄想に逃げこんだ。映画を観て、あの女性と語り合ったのも、ぼくが作り出した小さな世界に過ぎなかったんだ……

 ぼくはこの妄想を、きっといつまでも繰り返すだろう。


 10:13

 5月21日 日曜日


 ぼくは5月20日を迎えることができなかった。

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