恋人と見る夕暮れの海
旅館自体が少し小高い場所にあるため、縁側からは眼下に海が望める。しかし周囲には背の高いホテルなども数件存在する上、海側にも遊覧船乗り場と付随する土産物屋などがあり、恋人と二人で眺める海としては少々雰囲気に欠ける。部屋に通された後に外を確認し、綺麗は綺麗なのだがこんなものかと思った。
だが日暮れの近い今、美園と二人縁側に腰を下ろして望む水平線の向こうに沈みゆく太陽と、その光を反射して
「少し眩しいですけど、綺麗ですね」
「うん、綺麗だ」
照り返しの眩しさと喜びの両面からか、少し目を細めた美園が視線を海から僕へと移し、優しく笑いかける。
部屋に戻ってからの美園は茶羽織を外して浴衣一枚。それに合わせてか髪をアップにしてまとめている。美園本人は花火デートの時とは違い髪形に時間をかけられず、雑になっていると恥ずかしがってはいたが、僕からすれば普段見られない彼女の姿がやはり新鮮に映る。
(今日はこんな事ばっかだな)
美園が普段僕に見せるのは基本的に準備の済んだ姿で、ノーメイクに近い状態であっても彼女自身が見せてもいいと思っているもの。それは僕の前ではいつも可愛くありたいという美園の意思表示であるとわかっているので、嬉しく思うし尊重しているつもりである。
しかし今日のように恥じらいを覗かせる姿というのは、美園が本来あまり見せたくない状態である事は承知しているが、だからこそ見せてくれた事に心が動く。
「智貴さん」
「ん?」
「いつものところに行ってもいいですか?」
「うん、いいよ。って言うか来てほしい」
「はい」
座布団二つをくっつけて並んでいた美園が腰を上げ、ゆっくりといつもの場所、僕の足の間へと移って来る。可愛らしく頬を緩めながら。
体勢を落ち着かせた美園を抱き寄せて自身に寄り掛からせると、ふふっと笑った彼女がそのまま僕の左腕を抱きしめる、いつものように。
「暑くない?」
「大丈夫です。智貴さんは?」
「僕も大丈夫」
「良かったです。こうやって二人ともお風呂上がりで、というのは初めてですからね」
「確かに。美園温かくて凄い気持ちいい」
普段の入浴順は美園が先であるため、こうやって湯上り間もない彼女を抱きしめる経験は無かった。
美園の体は普段よりも温かく感じられるし、実際にそうなのだと思う。だが口にした通り暑いのではなくじんわりと温かく、まだ暑さの残る九月の夕暮れ時であるのに、離したいとは思えない。
「そう言われるとちょっと恥ずかしいです」
くすりと笑いながらそう言い、美園はほんの少し僕の腕を抱く力を増す。同時に温かな気持ち良さも増す訳で、ここでもやはり恥ずかしいながらも僕の気持ちに応えてくれる美園が愛おしい。
「ありがとう」
空いた右手で崩さぬ様にそっと髪を撫でると、「どういたしまして」とほんの少し自慢げな色を含んだ優しい声が耳に届く。
そんな美園の髪をそのまま撫で続けていると、空は少し藍色を濃くしてきており、太陽も水平線から見える部分が少なくなってきていた。
「潮風が気持ちいいですね」
微風程度、美園の髪を揺らす事も無い弱い風ではあるが、湿気を含んでいるためか火照った体に対し確かに気持ちがいい。多少ベタつくかもしれないが、夕食の後にまた風呂に入るので問題無いだろうと、「だねえ」と返す。
そこで美園越しに海に向けていた視線を腕の中の彼女に戻すと、まとめられた髪とそのおかげで覗くうなじに目が行ってしまう。料理をしてくれる際に見慣れたと思っていたが、浴衣から覗いているせいか、湯上りのボディクリームの甘い香りのせいか、少し刺激が強い。
「こうやって髪の毛上げてるとやっぱり普段より涼しい?」
誤魔化しも兼ねながらアップにされた毛先に軽く触れながら尋ねてみると、美園は「そうですね」と頷いてみせた。
「実行委員の作業の時もそうですけど、こうやって外でだと分かりやすく涼しいですね」
「あー、やっぱりそうなんだ。夏場は普段からそうしてれば――」
「前にも言いましたけど、智貴さんが触ってくれなくなるのでダメです」
腕の中で体ごと振り返りながら、美園はいたずらっぽい笑みを浮かべた。そんな彼女の前髪にそっと触れると、「後ろの方も、大丈夫ですよ?」とくすぐったそうに目を細めて元の体勢に戻っていく。
「崩れるよ?」
「仲居さんが食事を用意してくれるまでには直せますよ」
「了解」
「はい。どうぞ」
そう言って美園はわざわざ姿勢を僅かに前傾させるので、苦笑が漏れる。彼女の方も普段と違う状況に気分が高揚しているのだと思うと、それが自分にも返って来る。
だからなのか、ふと思った事を実行に移した。
露わになったうなじにそっと唇で触れると、美園が小さな声と吐息を漏らし、ぴくりと肩を震わせた。
「……智貴さん?」
「どうかした?」
「『どうかした?』じゃありませんっ。今何を……」
そう言って体ごと振り返ろうとする美園を少し強めに抱きしめる事で止めると、髪の隙間から見える耳が赤くなっているのが分かる。
「分からなかった? じゃあもう一回」
「じゃあ、じゃ……もうっ」
もう一度、今度は来るのが分かっていたからか甘い声は漏れなかったものの、小さな肩はやはり少しだけ震えた。
そして更にもう一度、中央からやや右寄りに口付けを落とす。
「二回しました。もう一回って言ったのに」
「そこ?」
口ぶりは普段の穏やかなものと違うが、これは羞恥から来るものだと分かっている。腕の中で華奢な体を動かすものの抗の力は非常に弱いし、後ろに倒せば僕の行為を防げるはずの姿勢もそのままだ。
「大丈夫、噛まないから」
「後でお仕置きですからね」
「了解。楽しみにしてる」
「もうっ」
怒ったフリの美園が腕をぺちんと叩くのを合図に、もう一度、二度三度四度と、日が海に沈むまでの間、数え切れない程美園に触れ続けた。
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