応相談

 しばらく中庭を見て回っている間、気付いただけでも数組が渡り廊下を通って大浴場へと向かって行った。


「僕たちもそろそろ入りに行く?」

「ええ。夕食のタイミングもありますし、頃合いだと思います」


 腕時計を見せて尋ねると美園も同意してくれたので、一度部屋へ戻り支度を済ませて再度渡り廊下を歩く、今度は中程までではなく最後まで。そのせいか二人で見て回った中庭がまた少し違って見えた。


「じゃあ1時間半くらいでいいかな?」


 美園が部屋から持って来た荷物は僕の物よりもずっと多い。家にいる時でも風呂上がりのケアには相当――僕には極力見せようとはしないので正確には分からないが――気を遣っている彼女であるので、今回もそうなのだろう。

 なので、温泉を楽しむ時間と諸々のケアの時間を合わせたらこのくらいで足りるだろうかと尋ねてみると、美園は少し喜色を滲ませて優しく笑った。


「お気遣いありがとうございます。でも、髪は夜洗うつもりですので1時間頂ければ十分ですよ」

「了解。じゃあ1時間後にここでいいかな」

「はい」

「うん、それじゃ」


 会釈の美園にひらひらと手を振れば、両手で荷物を抱えたその細い指先を小さく振った挨拶が返って来る。「また後ほど」と可愛らしいはにかみとともに。



 美園の風呂上がりの姿というのは何度も見てきた。可愛らしい寝間着を纏った姿に、僕の要望に応えてもう少し露出を増やしてくれた姿も。分かっていた事だが今日はそのどちらとも違う、赤いのれんの向こうから出て来た彼女は浴衣姿だ。旅館備え付けの白地に藍色の模様の入ったシンプルな物の上に、臙脂の茶羽織を重ねている。

 花火大会の時に着ていたファッションとしての浴衣や普段のネグリジェ姿と比べれば、どちらが可愛いか、綺麗かなどは言うに及ばない。しかし湯上りで少し色付いた肌に保湿を兼ねたナチュラルなメイク、湯気を浴びて少し湿り気を帯びた髪など、いつもと違う姿に目が離せない。


「お待たせしました」

「いや全然」


 実際に僕が男湯側から出て来たのはおよそ5分前。美園を待たせたくはないが自分が湯冷めする程待っていては彼女が気を落とすだろうと時間を読んだ結果、ほぼ正解だったらしい。

 平時と同じくコンタクト着用の美園はこちらに近付いて、湯上り間もない事が分かったのだろう、「良かったです」と顔を綻ばせた。


「浴衣、シンプルだけどいいね。凄く綺麗だよ」

「ありがとうございます。でも、あんまり見ないでください」


 美園も自身の状態が今まで見せていた姿と違う事は自覚しているのだろう。恥じらいで僅かに揺れた瞳からの上目遣いが大変い可愛らしく、そして色気を感じさせる。


「部屋に着いても?」

「……そこからは応相談という事で」

「楽しみにしとくよ。じゃあ戻ろうか」

「はい」


 眉尻を下げながらも優しく笑った美園がそのまま僕にぴたりと寄り添い、腕にそっと片手を添えた。

 ごく軽く腕を組むような仕草ではあるが、温泉で温まった美園の体温を薄手の浴衣の向こうから感じられ、可愛らしいはにかみの威力が更に膨れ上がる。


「お互い浴衣で、こんな風に歩いてみたかったので、嬉しいです」

「あー、何か雰囲気出るね、確かに」


 花火の時にはホテルの室内で浴衣に着替えたためこうして歩く事は無かった。だから言葉通り嬉しかったのだろう、美園は「行きましょう」とやわらかく笑う。

 そうして歩き始めて浴場の建物から渡り廊下に出ると、気温の上ではまだ温かいはずではあるが、微風には少し爽やかなものを感じた。


「まだ秋とは思いませんけど、水と緑に囲まれた環境ですから風は爽やかですね」

「うん。同じ事思ったよ。部屋に戻って窓開けて涼んだら気持ち良さそうだ」

「いいですね。縁側で夕涼みなんて、旅館でもないと出来ませんから」


 中庭を通る風は最初のものよりも少し強く、それでいて湯上りの皮膚を優しく撫でる。美園はそっと髪を抑えたが、水気の分だけ普段より揺れが小さいように見える。そんな小さな発見にさえも心が躍る。


「どうかしましたか?」

「うん? 楽しみだなあって。部屋に着いたらたくさん見ていいって言われたし」

「そうは言っていませんけど?」


 首を傾げながら口を尖らせた美園だったが、「ダメかな?」と尋ねると「応相談です」と目を逸らし、くすりと笑った。

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