ファイアワークス④
打ち上げ終了まで30分を切り、フィナーレに向けた最大規模の花火が上がり始める少し前。繋いでいた手をほどいて美園の細い腰に手を回し、ゼロ距離の彼女を更に近くへと、お互いの体を押し合うくらいに抱き寄せた。
隣から体ごと寄りかかるような体勢になった美園を右手と体で支えつつ、左手でその髪を撫でる。部屋の照明を暗くしてあるので、ダークブラウンの髪は黒と区別がつかないが、触れた髪質は彼女の細やかでなめらかなもので心が安らぐ。
「体大変じゃない?」
普段のように後ろから抱きしめて支えられればと思うのだが、足の可動域が少ない浴衣ではそうもいかない。一応やろうと思えばできなくもないだろうが、ちょっとアレな姿になってしまうのでお互いそれには言及しない。
「はい。智貴さんがしっかり支えてくれていますから。重くありませんか?」
「やわらかいよ」
腿をぺちんと叩かれた。
少しして、切れ間なく打ち上げられる花火が窓からの夜空を独占する中、僕と美園は言葉を交わす事なくそれに見入った。
頭を撫でたり髪を梳いたり、綺麗な花火を眺めつつ味わう幸せな時間の中で、美園は自分を支える僕の右腕を両腕で抱きしめ、時折ぎゅっと力を入れながら振り返りはにかむ。それを合図に花火が音だけに変わり、数秒間唇を触れ合わせた。何度も何度も。
そんな堪らない時間も気付けば終わる。花火はもう見えないし音も聞こえなくなった。
「終わりましたね」
「うん。ちょうど21時だ」
開始時同様に終了のアナウンスも聞こえない。そのせいなのか存分に甘いひと時を過ごしたからなのか余韻が残り、気持ちが後を引く。
今や座りながらお姫様抱っこをするように支えた美園と視線を絡ませたまま逸らせない。薄暗い部屋の中で見つめ合う彼女がぱちくりとまばたきをし、長いまつ毛をかすかに揺らす。大きな瞳は少しだけ潤んでいて、僅かな明かりを反射して星の輝きを見せる。
「花火、綺麗でしたね」
「うん。でも、やっぱり美園には全然敵わないよ」
「もうっ。またそういう事を……」
さっさと照明を点けておくべきだったと少し後悔した。照れて口を尖らせた美園は、見つめる僕の視線から逃れようと腕の中で身をよじっていて堪らなく可愛らしい。明るい場所で見たかった。
「逃がさないよ」と美園の体を起こしながら抱き寄せると、「逃げます」と笑った美園がぎゅっと抱き着いて僕の肩に頭を乗せる。
「これで見えません」
「困ったな」
耳元で聞こえる勝ち誇った声を聞きながら頭を撫で、ほんの少し視線を動かすと美園の首筋が目に入った。月と街明かり、窓から入る弱い光の下でもその透き通るような白さがわかるのは、自身の記憶で多分に補正が加わるからだろうか。
ふと甘噛みしたくなる衝動を覚えるが、肌を合わせる時以外にそれをしようとするだけで、美園はこれ以上ないほどに恥ずかしがる。羞恥に染めた頬を膨らませ、尖らせた唇をかすかに震わせて瞳を揺らす姿はとても可愛らしいのだが、やり過ぎて慣れてしまえばそんな姿は見られなくなってしまう。
妥協点として指で触れてみると、美園がぴくっと反応を見せ、「もうっ」と僕に抱きつく力を増した。ぎゅうっと強く、照れ隠しの裏に更に隠した
「ごめんね」
「たくさん撫でてくれないと許してあげません」
「了解」
少し拗ねた様子の美園の要求に喜んで従わせてもらいしばらく続けていると、段々と美園が僕を抱く力が弱まっていく。密着度と感じるやわらかさの減少に残念な気持ちが少しも無いと言えば嘘になるのだが、嬉しそうにえへへと笑う美園がそれを補って余りある幸せを与えてくれる。
「許してくれる?」
「まだダメです」
ふふっと笑った美園の言葉通り頭を撫でて髪を梳き続け、もう片方の手で華奢な背中に触れてこちらも優しく撫でた。少しだけくすぐったそうに息を吐いた美園が、そのまま僕に頬を寄せ、やわらかな感触と温かさが伝わる。
「そう言えば、ご褒美はどうしますか?」
美園の穏やかな声と同時に、触れあわせた頬からかすかな振動が伝わりこそばゆい。
もう少しこうしていたいなと思う気持ちも強いが、断腸の思いで顔を離して美園と向かい合うと、彼女の方も同じ思いだったのかやわらかな微笑みを浮かべつつも眉尻が僅かに下がっていた。
そして同じように僕の気持ちも伝わったのだろう、美園はくすりと笑い、「また今度しましょう」僕の頬をそっと撫でた。
「してほしい事、決まったよ。膝枕してほしい」
そんな美園に大きく頷きもらうご褒美を伝えると、彼女はほんの一瞬目を丸くし、嬉しそうに笑った。
「はいっ。わかりました」
背筋を伸ばした綺麗な姿勢でベッドに座り直し、浴衣の腿に当たる部分を手で払い、両手を伸ばして「どうぞ」と僕を招き入れようとしてくれる。その仕草、姿全てが愛おしく、今すぐに飛び込んでしまいたくなるが――
「その前に明かりつけていいかな?」
「構いませんけど、寝転がるのに眩しくありませんか?」
「顔が見えないと嫌だから」
「そうですね。それは困ります」
照明をつけてベッドに戻ると、「それじゃあ今度こそ」と美園は両手で僕の顔を包み込み、ツツっと指を滑らせ、蠱惑的にすら見える笑みを浮かべる。心身ともにぞくりとした感覚を覚えるのも仕方のない事だった。
可愛い、清楚、淑やか。他者が最愛の恋人を形容する時、大体この辺りの言葉が使われる。そしてそれは概ね正しい、美園は全てに当てはまるのだから。本来はそれらの言葉の前にもう一つか二つ修飾語をつけてより強調すべきだとは思うが。
そして更に親しい者であれば、美園の意外と子どもっぽい一面も知っているだろう。普段やわらかく笑う、楚々とした優しい彼女が時折見せるあどけない笑顔やむくれたような表情を。
しかし、稀に見せるこの妖しい笑み――しかも浴衣のおかげかよりそれが際立つ――だけは僕にしか向けられないものだ。いつか美園と約束した、二人だけのものの一つ。僕はこの表情に逆らう事はできない。主導権を握られるのが分っていてなお、何をされてもいいやとそう思えてしまう。
美園はそんな僕の諦観を感じ取ったのかくすりと笑い、「倒しますね」と僕の体をゆっくり支えながら、僕の頭を楽園へと導いてくれる。
「どうですか?」
「ほんとに最高」
常々思うが、どうして華奢な美園の体がこうも柔らかいのか。頭を撫でてくれる手、頬に当てられたもう片方の手、そして頭を支える細い腿。全てが堪らなく心地良い。
妖艶な表情から一転して美園が浮かべるのは慈愛に満ちた優しい笑み、きっと将来は子どもにも向けられるのだろうが、今は僕だけのもの。
「懐かしいです」
「うん……って言いたいところなんだけど、去年は覚えてないからなあ」
「そうでしたね」
「もったいない事をしたと思うよ、ほんとに」
眼福である大きな遮蔽物の向こうでくすりと笑う美園にしみじみ言ってみせると、彼女の手つきが一段と優しくなる。
「これから何度だってしてあげますよ」
「ありがとう、楽しみにしてるよ。でも、恋人じゃない時の膝枕はあの時が唯一のチャンスだったからね」
「そんな事ありませんよ」
「うん?」
少しだけいたずらっぽい笑みを浮かべた美園の意図を計りかねる。
「わかりませんか?」
「……わかんない」
「ショックです」
美園はふふっと笑いながら両手で僕の頬を包み、むにむにとしばらく動かした。これも中々気持ちがいい。
「じゃあ、答えを教えますから。絶対に忘れないでくださいね」
「うん」
「この先、夫婦になって、子どもが生まれてお父さんとお母さんになって、それからずっと後におじいちゃんとおばあちゃんになっても、ずっとこうしていましょう」
やわらかな微笑みが眩しい。
「……ああ。約束する、絶対に忘れない」
そう言って小指を伸ばすと、「はい」と満足げに笑った美園が同じ指を絡めてくれた。
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