ファイアワークス③

 あと少しで花火の打ち上げが始まる。少しだけ開く窓を固定し、見やすいようにと動かしたベッドに腰掛けてそれを待つ。

 左に座る美園はこの段階から僕にぴったりとくっついている。「去年は少しだけでしたから、今年は最初からこうしていたいです」だそうだ。こちらとしても当然そのつもりだったので、離さないよという意思表示も込めて彼女の腰に手を回している。


「試験、今回も頑張りましたよ」

「うん、知ってる。頑張ったね」

「はいっ」


 上目遣いで僕を見つめる美園に言葉を返せば、可愛らしい顔が更に可愛くなる。輝く瞳に頷き、腰に回していた左手を頭に伸ばしたところで、ハーフアップにまとめられた髪を見て止めた。

 美園は一瞬首を傾げたものの、僕の視線の先に気付き、「あ」と眉尻を下げてくすりと笑った。


「ちょっと待っていてください」

「いいの?」

「もう、見てもらいましたから」


 やわらかく微笑んだ美園が薄紅の花飾りが付いた簪を引き抜き、そのまま髪をほどいた。その仕草がつやっぽく、心拍が高まる。料理や片付けが終わった後などに普段も見る仕草。いつもの服だってうなじは見えるし色気は十分なのだが、今日より一層惹きつけられるのはやはり浴衣の力もあるのだろうか。


「あんまり見ないでください」

「無理」

「もうっ」


 少しだけ癖のついてしまった綺麗な髪を鞄から取り出した櫛でとかしながら、美園は恥ずかしがって口を尖らせた。


「お待たせしました。お願いしてもいいですか?」

「喜んで」


 僕の返答で嬉しそうに笑った美園の頭に手を伸ばして撫でると、彼女は心地良さそうな笑顔を見せてくれる。そんな美園の髪を梳きながら、顔を寄せて一瞬だけ唇を重ね、笑い合う。


「確かに、会場じゃこんな事はできませんね」

「うん」

「ありがとうございます。お部屋をとってくれて」

「本当はもっといいホテルを取りたかったんだけどね」


 駅近くのシティーホテルでも最上階付近からなら花火が見えるとの事だったが、ちょっと手が出ない価格だった。社会人になったらリベンジをしようと思う。


「十分素敵ですよ」


 僅かに腰を浮かせた美園が、「ありがとうございます」と僕の頬にキスをくれた。はにかむ彼女の髪を撫でて頬に手を重ねると、美園はゆっくりと瞳を閉じ――

 もう一度、と思ったところで花火の音が響く。まぶたを開いた美園と二人で異口同音に「あ」と声を出し、顔を見合わせたまま苦笑した。


「花火の音は聞こえるんだけどね」

「会場の音は聞こえませんもんね」


 名残惜しさを感じつつもお互い窓の外へと向き直り、夜空を彩る光の花へと視線を向けた。

 美園の肩を抱き寄せ、「はい」と言う静かな声とともに預けられた頭をそっと撫でると、美園は僕の浴衣をつまみ、「綺麗」と呟いた。

 去年と同じように「うん」と頷き、サラサラの髪を梳きながら、やはり去年と同じく美園の方が綺麗だと思った。今年の関係ならば伝えられる――そもそも既に色んな場で言っている――その言葉を、今のところはと飲み込んだ。きっと美園は照れて頬を朱に染め、それはそれは可愛らしい反応を見せてくれるだろう。だから、最後の花火が終わったら、存分にその姿を見せてもらおうと思う。



 幸せな時間は過ぎるのが早い。美園と付き合い出してからはより一層強く実感している。

 顔を向け合う事も少なかったし、言葉もそれほど交わしていた訳でもないのに、いつの間にか一時間が過ぎていた。

 髪を撫でていた左手は今、僕の脚の上で美園と指を絡めている。髪を梳いたり肩や腰を抱いたりしていた手は、いつの間にか美園に捕まってしまった。

 細くしなやかな指に込められた力がしばらくはこのままでと伝えてきたので、視界の端に嬉しそうに笑う美園を見ながら、こちらもほんの少しだけ指に力を入れた。


「智貴さん。試験はどうでしたか?」


 色とりどりの円形の花火が連続で上がる。数秒後に音が届くのとほぼ同時に、美園の声が聞こえた。


「ごめん。花火で聞こえなかったよ」


 僕がそう返した瞬間にもまた同じように、種類こそ違うが花火の音が連続で届く。だからなのか美園は少しだけ頬を膨らませた。

 遠く離れていても花火の音は十分聞こえる。しかし、会場で聞こえるような話声をかき消してしまうほどではない。


「もうっ」


 そう口にしてぷりぷりとしてみせた美園がいたずらっぽく笑い、手をほどいてぎゅっと抱き着いてきた。着替えの後に抱きしめた時にも思ったが、お互い浴衣なせいか普段と少しだけ触り心地が違うのが新鮮で、新しい香水の香りと合わさって少しだけ顔が熱くなる。


「これなら聞こえますよね?」

「うん。よく聞こえるよ」


 確かに体は近付いた。しかし抱き着いた美園の頭は僕の心音を聞くかのように左胸の辺りにあり、顔の距離関係はあまり変わらない。美園がそれをわかっているように、僕も当然分かっていながら彼女に笑いかけ、腕を伸ばしてその細い腰を抱いた。


「智貴さん、ドキドキしています」

「そりゃあね」


 僕の胸に耳を当てた美園が嬉しそうに笑うので、空いた右手でその頭をくしゃりと撫でた。そうして僅かに乱れた髪を今度は手櫛で整えると、美園はくすぐったそうに目を細め、「幸せです」と囁くような声で僕の芯を震わせる。


「その言葉と反応がもうご褒美だよ」

「ダメです。そう言ってもらえるのはすごく嬉しいですけど、智貴さんも私から試験のご褒美をたくさん貰ってください」


 体を起こした美園は弛んだ頬を引き締めて真剣な顔を作ってみせた。


「そうは言ってもなあ……してほしい事はいつもしてもらってるし」

「私だってそうですよ。でも、それでも特別にしたいんです」


 僕たちは互いに遠慮し合う関係ではない。したい事としてほしい事は相手に伝えている。そうだとしても、普段と同じ行為であってもご褒美としてお互いに与え合う事に意味がある。くすりと笑った美園の意図としてはそんなところだろうと思う。


「そうだなあ」


 花火に視線を向けた僕を見つめて楽しそうに笑い、美園もまた窓の外へと目を向けた。


「本当は、こうやって一緒に花火を見られるだけで十分幸せなのかもしれませんね」

「うん。でも、せっかくだからもっと幸せな気持ちになろう」

「はい」


 手を握ると指が絡められ、頭が肩に預けられる。何度も何度もこういった事はしていると言うのに、やはり幸せは増す。

 窓の外では少し大きな音が響く。連発で上がっていた花火から種類がまた変わり、今は大きめな物が断続的に打ち上げられている。


「綺麗ですね」

「うん」


 去年一緒に花火を見に来た時、僕にとっては別に花火でなくてもよかった。美園と一緒にいられる口実でしかなかったのだから。実際花火の記憶は印象が薄い。

 しかし今年は少し違う。絶対に花火でなくてはダメという訳ではないが、美園と一緒に花火を見たいと確かに思った。そしてやはり、愛しい人と一緒に見る花火はとても美しいと感じた。


「花火が終わるまでには考えとくよ」

「はい。楽しみにしています」


 本当はもう決めていた。

 言わなかったのは今それをしてもらったら、今年も花火の記憶が薄れてしまいそうだったから。

 美園と見る綺麗な花火も、貰うご褒美も、どちらもしっかりと記憶に刻みたかった。

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