永い約束

「懐かしいですね」

「うん」


 1年ぶりに訪れた思い出の店。あの時と同じとはいかなかったが、案内された席に座った美園が嬉しそうに店内を見渡している。細部まではわからないが、全体としての和風モダンな雰囲気は変わっておらず、懐かしさに笑みがこぼれる。


「メニュー表です。どうぞ」

「ありがとう」


 受け取ったメニューに一通り目を通すが、頼むものは来る前から決めていた。


「美園はどうする?」


 尋ねながら顔を上げると、美園はメニュー表で顔の下半分を隠しながら、少し照れたように上目遣いの視線を僕に向けていた。とても――


「可愛い。……あっ」

「思い出してくれましたか?」

「うん。思い出したよ」


 僕がそう伝えると、美園はメニュー表を下げて「嬉しいです」とやわらかく笑った。


「去年と同じ、春限定のコースにしようと思います。中身の方は少し変わっているみたいですけど。どうかしましたか?」

「同じ物を頼もうと思ってたから、ちょっと嬉しくて」

「そうですね。私も嬉しいです」


 頬が弛んだ僕を見て美園が優しく微笑む。

 優しい微笑み、やわらかな笑み。それは一年前の美園も浮かべていた。ただ、言葉にしてしまえば同じでも、今の笑顔は少し違う。

 

 少しずつ距離を縮め、交際に至り、それからもまたゆっくりとお互いの心を通じ合わせた。だから、今の笑顔は恋人としての僕に向けたもの。一緒にいられて楽しいです、幸せですと、そう伝えてくれている。

 そして僕自身、美園の笑顔から色んな情報を得られるようになった。それが本当に誇らしい。


「それじゃあ注文しようか」

「はい」


 去年と同じく、春限定のコースは注文してから割と早い時間で届けられた。一品ずつ出てくるからだろうか。


 全く同じタイミングで「いただきます」と声に出し、お互いに笑みを向けながら最初の一品に箸をつける。


「おいしい」

「はい。おいしいです」

「正直去年の一品目は味覚えてなかったからなあ」

「智貴さん、緊張していましたもんね」

「そんなにバレバレだった?」


 自分で選んだ行った事もない店に女の子を連れて行く。緊張するなというのが無理な話だ。その上、無自覚だったとは言えもうあの頃には美園に惹かれていたのだから、なおさら。

 もちろんそれでも、情けない緊張をだいぶ隠していたと思うのだが。


「当時の私は今ほど智貴さんの表情が読めませんでしたから、緊張のほどはわかりませんでしたけどね。それでも、真剣に考えてくれたんだなって嬉しくなりましたよ」

「まあそれなら、結果的にはいいのかな」


 少し懐かしむような表情の後で、「そうですね」と美園は微笑んだ。



 レストランから地上に降りるエレベーターの中で、美園は上機嫌だった。


「今年も苺があってよかったです」

「好きだもんなあ」

「はいっ」


 コース料理の一部は去年と変わっており、デザートの苺大福も苺のムースに変わっていたが、苺である事は変わりなかった。


「それに、苺のムースは特別なんです」


 僕の腕に抱きつきながら、美園はおずおずと上目遣いの視線を向けてくれる。


「覚えていますか?」

「覚えてるよ。可愛かったって言っただろ?」

「そうでしたね。ありがとうございます」


 嬉しそうに笑う美園の頬を軽く撫でたたところでエレベーターが一階に着いたので、扉が開く前にその手を離した。僕の腕を離しながら物足りなそうに眉尻を下げる表情が可愛い。


「また後で」

「はい。約束ですよ?」


 頷いて笑いかけたところで扉が開く。待っている人がいたので選択は正解だったようで、エレベーターを降りたところで美園と顔を見合わせて笑い合う。


「それじゃ、行こうか」

「はい」


 ホテルを出たところで手を差し出すと、やわらかく微笑んだ美園が手を取った。

 指を絡めた美園と向かう先は去年と同じ、駅から北にある城址公園。


「今年は大丈夫ですよ」


 少し自慢げな美園が絡めた指の力を僅かだけ強めたので、それがおかしくて笑みがこぼれた。


「あ、笑いました」

「美園といると自然と笑顔になるから」

「そういう笑顔じゃありませんでした。もうっ」


 頬を膨らませてみせる美園だが、目元は笑っている。


「傷付きました」

「ごめん」

「はい。許します」

「うん。ありがとう」


 またも顔を見合わせて笑い合う。

 去年のちょっとした失敗をこうやってお互いに笑い話にできる。付き合ってからしばらくはきっと同じ事ができなかったと思う。


 それが嬉しく絡めた指に少しだけ力を入れた。一瞬僕を見上げた美園がえへへと笑い、繋いだ手の振り幅が僅かに大きくなる。


「失敗はしちゃいましたけど、あの時の事も大切な思い出です」


 少し遠くを見るような横顔がとても綺麗で、心臓が跳ねた。



「今年はベンチも空いていますね」

「ちょっと座ろうか」

「はい」


 25分ほど歩いて辿り着いた公園は去年と違い比較的空いていた。歴史系のイベントと子供向けのショーが開催されているらしいが、資料館やショー会場から遠い場所は混んでいない。


「足、大丈夫?」

「大丈夫です。ゆっくり歩いてくれましたよね。ありがとうございます」

「ヒールが高めだったからね」

「この1年でヒールの高い靴にも多少慣れましたよ」


 公園の入り口から少し入ったところのベンチに手を繋いだまま座る。美園は「ほら、大丈夫でしょう?」と前に出した足を見せてくれる。


「見ただけじゃわかんないよ」

「残念です」


 いたずらっぽく笑った美園は足を引き戻し、上品に座り直す。繋いだ手はぴったりとくっついた僕たちの腿の上、僕が右で美園が左、午後の日差しと触れ合った彼女の体でとても暖かい。


「本当は去年も、少しヒールの高い靴を履いて来ようと思ったんです」

「へえ。でも去年は普通の恰好だったよね?」

「はい。お姉ちゃんに止められました。慣れない事はしちゃダメだって。あの頃はお化粧を普段と変える事も自分一人じゃできませんでしたから」

「あー。だから」

「そうなんです。だから今日はその分も込めて、雰囲気を変えてみたんです」

「会った時も言ったけど、そういう格好も本当によく似合ってる。普段の恰好も好きだけど、今日の美園も好きだよ」

「ありがとうございます」


 はにかんだ美園がそのまま僕の肩に頭を預けるので、普段と違う爽やかな香りを再認識して胸が高鳴る。


「色んな美園が見られて幸せだよ」

「そう言ってもらえると、頑張りがいがあります」

「そうしてもらえると僕も嬉しい。でも、負担にならない程度でね」

「はい」


 僕の肩から頭を離し、美園がはにかむ。


「去年ここに来た時、情けなくて泣いちゃいそうでした。でも、お家に帰った時には、全くそんな事を思わなかたんです」


 子供向けのショーはもう始まっているらしく、ベンチから見える道を通る人の中に家族連れは少ない。資料館に向かうのか、年配寄りの来客が多いだろうか。

 美園は僕から顔を外してそんな道の方に視線をやり、また僕に戻した。「どうしてだと思います?」と、やわらかく笑いながら。


「僕との約束を守ってくれたから?」

「それもありますね」


 去年、美園と僕が互いに調べていなかったせいで、この公園ではだいぶ忙しなくなってしまった。美園がそれをとても気にしていたのを覚えている。


「でも、それだけじゃないんです」


 そう言った美園がもう一度僕の肩に寄りかかる。


「多分、一年前の今日なんです。憧れの牧村先輩から、大好きな牧村先輩に変わったのは。もちろんそれ以前も好きでした。でも、智貴さんを好きになって良かったって、あの日思ったんです」


 少し力の入った美園の右手に、繋いだままの左手だけでなく空いた右手も重ねる。


「だから、記念日のお話をしましたけど、今日は本当に大切な日なんです」

「教えてくれてありがとう。僕にとっても、美園の大切な日だって事を無しにしても、今日は大切な日だよ」


 少し不思議そうな目で僕を見る美園に、伝える。

 大学に入った美園と初めて話をした日、きっとあの時から僕は惹かれていた。でも、明確に意識をし始めたのは1年前の今日だ。まだ自分の気持ちに気付いていなかったにせよ、美園の事が頭から離れなくなったのは、この日から。


「本当に、デートのお願いをして良かったです」

「うん。誘ってくれてありがとう。これがなかったらいつまでも好きだって気持ちに気付けずに美園に愛想尽かされてたかもしれないし」

「そうかもしれませんね」

「えー。そこは否定してほしいなあ」


 冗談めかして伝えると、美園がくすりと笑いながら乗ってきた。


「まあでも、そうならなかった訳だし、別にいいか」

「はい。大切な事は今も未来も、智貴さんの隣に私がいるという事ですから」

「うん。来年も10年後もその先も、ずっとこうやって隣にいる」

「はい。約束です」


 小指を絡めると、美園は満面の笑みを浮かべた。

 そして僕は、約束を一つ破りたくなった。


「家に帰ってからって話だったけど、頭撫でていいかな?」

「もう。そんな事は聞かなくてもいつでもいいんですよ」

「うん。ありがとう」

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