距離と、時間と思い出

 三年生になってからも毎日大学に来ている。一、二年で100以上の単位を取得しているので、あとは必修科目を落とさない事と専門選択科目を三つ取れば卒業研究と合わせて卒業要件は満たせる。

 しかし問題はその必修である。半日授業の木曜を除いた全ての午後に必修の実験が入るため、必ず出て来なければならない。ならば木曜はどうかというと、ご丁寧に必修科目が二つ入れこまれている。正直嫌がらせかとすら思う。


 そんな半日授業の木曜日、普段ならそのまま家に帰るところだが今日は待ち合わせのため学食に来ていた。サークル活動日ではあるがやはり人の数は少なく、人数分の席を確保しても迷惑にあたらないのは助かる。

 自分が少し早く着いたので参考書でも読もうかと思ったところ、待ち合わせをしている内の一人がやって来た。


「お待たせです」

「待ってないけどな」

「それ時間的な意味じゃなくて私をって意味ですよね?」


 目の前に座った志保がじろりと睨んでくる。僕は何も言っていないというのに。


「まあでも第二学生食堂二食までご足労頂いたんでその辺の無礼は許してあげますよ。ってか早いですね」

「何様だ。授業がちょっと早く終わったからな」

「あー。逆に美園はちょっと遅れるって……まあ知ってますよね」

「当然聞いてるよ」


 そう言ってみせると志保は乾いた笑いを浮かべた。

 美園と志保は学部学科こそ一緒だがコースが違う。二年になって専門科目が増えた結果、授業が分れる事も増えたという。


「成さんは相変わらずか?」

「ですねー。教育実習近いんで大変そうにしてますよ。こういう時は私も一人暮らししてればもっと傍にいられたのになって思っちゃいますね」


 軽いため息をついた志保におやと思った。何と言うか、らしくない。


「それでも食事の支度したり色々手伝ってるんだろ? 実際の負担的にも精神的にも大分違うと思うぞ」


 普段と違う様子にフォローを入れてみると、志保は顔を上げてじっと僕を見た後でニヤリと笑った。


「経験談ですか?」

「ああ。と言うか志保だって去年の文化祭、成さんにだいぶ助けてもらったろ?」

「そう、でしたね」


 思い出すように笑いながら、志保は「うん」と頷いた。


「ありがとうございます。こういうのって誰かに聞いてもらうと考えがまとまりますね」

「美園とはこう言う話はしないのか?」

「んー」


 志保は困ったように笑う。


「内容が違えば話すんですけどね。傍にいられない悩みを美園には言いづらいかなって。困らせちゃいますからね」

「僕はいいのか?」

「一応先輩なんですからちょっとくらいはいいかなって。それに傍にいられる二人の事が羨ましいですって言っても、マッキーさんなら『だろう?』とか言って惚気てきそうなんで気が楽と言うか」


 あははと笑う志保に今度は僕がため息をついてみせる番だ。


「羨ましいか?」

「羨ましいです」

「僕も羨ましいよ」


 軽口を叩き合った後、本心をぶつけた。志保は意味がわからないのか目を丸くしている。


「高校時代から付き合ってただろ?」


 僕と美園はどう足掻いてもその思い出と経験を手に入れる事が出来ない。


「羨ましいですか?」

「羨ましいよ」


 ニヤリと笑う志保に苦笑しつつ応じると、「無い物ねだりですね」と同じような苦笑いが返って来た。


 ちょうどそのタイミングで美園が学食に入って来たところが見えた。そしてこちらを見つけて顔を綻ばせた美園に男が声をかける瞬間も見えてしまった。


「ちょっと行ってくる」

「はい。苦労しますねえ」

「そうでもない」


 早足で入口まで辿り着くと、穏やかな笑みを浮かべて「待ち合わせなので」と断った美園に、相手の男が「じゃあ連絡先」と食い下がっていた。


「美園」

「智貴さん。お待たせしました」

「向こうに席取ってあるよ」

「はい。ありがとうございます」


 やり取りに加えて嬉しそうに笑う美園を見て察したのか、声をかけてきた男は何も言わずに学食から出て行った。

 場所が場所だけに手を引く事はしなかったが、普段大学内を歩く時よりも少し近めの距離を保って歩いた。隣の美園が嬉しそうに僕を見上げるので、こちらも笑ってそれに頷いて返す。そんな僕たちを志保が呆れたような顔で出迎えた。


「お疲れ様」

「お待たせ、しーちゃん」


 美園は苦笑しつつ志保の前に腰を下ろす。


「公衆の面前でイチャつかないでくださいよ」

「イチャついてないだろ」

「前から言ってますけどね、二人はもう目線でイチャついてるんですよ」


 そうだろうかと思って隣に目をやるが、美園もそうでしょうかと言いたげに少し首を傾げ、眉尻を下げて笑っている。


「ほらそれ。無自覚ですか、そうですか」


 やさぐれ気味の志保は大きくため息をついた。


「もういいです。この話題はなしで」

「それじゃあ、ご飯取りに行く?」

「受け取りカウンター混み始めたし、もうちょっとゆっくりしてからでいいんじゃないか?」

「確かにそうですね。しーちゃんはサークルの方は大丈夫?」


 美園に言われてカウンターの方をちらりと見た志保は、「大丈夫」とだけ言って少し意地の悪い笑みを浮かべた。


「混んでるとこに行って美園がまたナンパされると困りますもんね」

「私は別にそんな……」

「美園がナンパされるのは諦めてるけど、正直なところ僕の目の前でってのは確かに面白くないな」

「諦めてるんですか?」

「そりゃな。これだけ可愛いんだから無理もないだろ」

「智貴さん」


 嬉しいけれども親友の前で惚気ないでほしい。そんな複雑な表情の美園が上目遣いで僅かに口を尖らせていた。「ごめんごめん」と謝りながらも、やっぱり無理もない話だなと思わざるを得ない。「もうっ」と頬を膨らませる美園はそれくらい可愛い。思わず頭に手を伸ばしてしまうくらいには。場所を思い出して慌てて引っ込めたが。


「美園が苦労するから出来ればやめてほしいけど、こればっかりは僕の意思だけじゃどうにもならないからな」

「智貴さんは嫌じゃないんですか?」

「そうですよ。彼女ナンパされて嫌じゃないんですか?」


 少しいじけた様子の美園が上目遣いのままそう尋ねてきて、志保もそれに同調した。


「嫌か嫌じゃないで言えば嫌だけどね。でも美園が困る方がよっぽど嫌だよって話」


「モテる彼女を持って大変だな」という類の事をよく言われるが、僕は先ほどと同じように「そうでもない」と返している。

 美園がモテる事は付き合う前から散々思い知らされてきている。全く気にならないと言えば嘘になるが、彼女の心を離さないために自分が何をするか、どうあるかの方が大事だと今は思える。


「私は困っていませんよ。だから安心してください。『私にはお付き合いしている人がいます』ってお伝えするだけですから」

「因みにそれを言う時凄い幸せそうな顔してますよ」

「しーちゃん!?」


 僕の返答に少し照れた様子を見せ、それからニコリと笑った美園だったが、志保の補足で顔を赤くした。


「嬉しいよ」

「もうっ。智貴さんもっ」


 志保の言う美園の姿がありありと想像できた。多分僕も同じ機会があれば同じ表情をするのではないかと思う。


「バカップル」


 ぽそりと呟いた志保の言葉に反応したのは美園の方が早かった。


「しーちゃんも成島さんのお話をする時はいつも幸せそうな顔をしているよ?」

「え?」

「そうなのか? 僕の前ではあんまり……」

「そこはやっぱり先輩だからでしょうか。しーちゃんと成島さんは私と智貴さんよりも3年以上長くお付き合いしていますから、私は色んな思い出話を聞かせてもらっています。しーちゃん本人は惚気ているつもりがないのかもしれませんけど」


 美園がきっぱりと言い切ると、志保は無自覚だったのか本当に驚いたような顔をして「嘘?」と呟いた。


「本当だよ。いつも羨ましいなあって思っていたんだから」


 美園は優しく微笑んで頷き、最後にわざとらしく口を尖らせた。そんな美園を見て志保は「さっきの話と同じですね」と軽く笑う。


「さっきの話?」

「マッキーさんが美園と制服デートしたかったって言ってた」

「え」

「おい」

「そうだ。積み重ねがあるんだから、新参のバカップルなんかに負けてられないし」


 志保は言うだけ言って「人数分水持ってきます」と席を立ってしまった。きっと吹っ切れたのだと思う。それはいい事なのだが……。


「言ってないからね?」

「言っていないんですか?」


 言い訳というか本当の事を伝えると、美園は少し残念そうに視線を落とした。


「……言ってないけど見てみたいとは思う」

「はい。わかりました」


 そんな姿にチクリと胸が痛み、恥ずかしながら本心を伝えた。美園は頬を少し朱に染めて、なんとも嬉しそうに首を縦に振った。

 

 僕の体は高校の制服にまだ入るだろうか。

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