思い出捏ね捏ね

「こんにちは。智貴さん。いらっしゃいませ」

「こんにちは、美園。お邪魔します」


 僕の持って来た大きめの荷物に目をやった美園は少しそわそわしている。そんな様子がおかしくて可愛くて、自然と笑みがこぼれた。


「どうして笑うんですか」


 かがんでスリッパを用意してくれた美園は僕の表情に気づき、怒っていますとのアピールを含んだ上目遣いの視線を送ってくる。


「理由言った方がいい?」

「言わなくていいです」


 ふいっと顔を逸らす美園の頭をそっと撫でると、「ずるいですよ」と小さな囁きが耳に届いた。ますます頬の弛む僕を見た美園は「もうっ」と立ち上がり、手を引いて部屋の中に招き入れてくれる。その手には照れ隠しでだいぶ力が込められていた。


「それじゃあ、早速でいいのかな?」

「……はい。これ、使ってください」

「ありがとう」


 コクリと頷いた美園からハンガーを受け取り、「楽しみにしてるよ」と伝えた。


「はい。私も、楽しみにしています」


 少し赤い顔ではにかみながらそう言った美園は、「失礼します」と小走りで脱衣所へと去っていった。

 本当に可愛いなあと思いながら見送ってから、「さて」と自分の荷物を開ける。中に入っているのは懐かしさを覚える、ある意味では思い出の品と言っていい。

 高校時代の制服である紺のブレザーと濃灰色のスラックスに臙脂のネクタイだが、これを実家から送ってもらうのは結構恥ずかしかった。


 ブレザーとスラックスは多少小さいかなと感じはしたが、それほど身長が伸びた訳ではないので窮屈とまでは思わなかった。流石にワイシャツは捨てており、スーツ用の中から一番スタンダードな物を選んだためこちらはぴったり。

 最後に弛めてあったネクタイをキュっとあげ、姿見で全身を確認する。サイズが合わずに見苦しいような事はなく安心したのだが――


「恥ずかしいなこれ」


 最後に着たのは二年以上前。しかもその当時と今の自分は髪型も顔つきもまるで違う。自分が二十歳であるとの認識が加わるせいもあって、高校生と言うには少し違和感がある。

 羞恥と、そして自分が大人になっているように感じる喜びに、もどかしさを感じる。


 一人ではいたたまれないので早く美園に来てほしいような、見られるのが恥ずかしいような複雑な感情が混じり合うのを自覚できた。

 それでも、鼓動が速くなるのはやはり楽しみだからだろう。


「お待たせしました」


 敢えて脱衣所に背を向けたまま待っていると、背中越しに控えめな声が届いた。

 逸る心を必死でなだめ、ゆっくりと振り返る。


「どうでしょうか?」


 頬に朱がさした状態の美園がすこしもじもじしながら、ちらりと僕を窺いはにかんでいた。

 美園の方も身に纏っているのは高校の制服。以前卒業アルバムで見せてもらった物と同じ、紺色のブレザーとスカートに藍色のリボン。制服と同じ色の靴下には校章と思われる赤のワンポイントが入っている。

 楚々とした印象を受けるのは写真で見た時と同じで、一般的な制服のブレザーよりもガードが堅そうに見えるのに、着ている本人のスタイルの良さがその上からでもよくわかる。


「あの?」


 美園の普段の印象は服装もメイクも清楚系。今着ている制服の印象も言葉としては違わない。だが両者がぴったりとマッチしているかと言えば、それは違う。

 美園はあくまで大学生として清楚であるのだとよくわかる。お嬢様学校の制服に身を包んだ今の彼女には、可愛らしさや楚々とした魅力だけでなく妙な色気がある。

 いや、正確に言えば違うのだろう。そもそも普段から色気はあるんだ。当たり前だ。顔はとんでもなく可愛いしスタイルも抜群によく、所作は美しくて仕草は女性的。今はいつもと違う格好の美園を見て、僕がそれを再認識しているだけ。


「何か言ってくださいっ」


 視線を外せずにいると、妖艶な雰囲気すら纏って見える美園の顔がずいっと近付いた。先程よりも赤い。


「なんかすごい」

「どういう意味でしょうか?」


 だんだんと思考能力を取り戻してきた僕の目に、不思議そうに首を傾げた美園が映る。その姿がまた堪らないのだが、今度は冷静さが勝った。


「凄く可愛いよ。着てくれてありがとう」

「私の方こそありがとうございます。智貴さん、素敵ですよ」


 えへへと照れて笑う美園が、少し赤いその頬にかかる髪に触れた。


「とりあえず座ろうか?」


 美園を直視するのがまだちょっと厳しく、ソファーへと促した。きっとこれから先、色んな彼女の姿を見るたびに僕はこんな風になるのだろうなと思う。幸せな想像だった。

 そんな僕の手を嬉しそうに取った美園は、そのままゆっくりと肩に頭を預けてきた。甘い香りと僅かな重みが心地良い。


 志保が僕の発言を捏造した事から話は始まったのだが、お互い外に着ていくのは流石に恥ずかしいと思った。その結果制服デートin美園の部屋となった訳だっだが、今の彼女の姿を誰にも見せたくないので大正解だった。


「もし、もしも高校時代に出会えていたら、一緒に通学したり、待ち合わせて帰ったり、寄り道をしたり、お勉強を教え合ったり、なんて事があったんでしょうか?」


 僕の肩に頭を乗せたままの美園が、少ししんみりとした調子で言った内容を想像してみる。

 朝は僕が美園を迎えに行って、玄関から出て来た美園と「おはよう」と挨拶を交わし、キスを……しないだろ。どうも今の基準で考えてしまう。いや、そもそも彼女の実家の前でキスなど今でも無理だ。


「そうだなあ……」


 手を繋いで学校に行く、待ち合わせて帰って寄り道をする。……どの場面を想像してみても、僕も美園も制服を着ていなかった。大学生の僕達がその場面場面に当てはめられているだけ。


「上手く想像できないな」


 苦笑した僕の肩から重みが消えた。視線を向けてみると、少し眉尻を下げた美園が「そうですね」と少し寂しそうに呟いた。


「じゃあ、せっかくだし思い出作ろうか」

「どういう事でしょう?」


 僕の言葉に目をぱちくりとさせた美園が、少し首を傾げている。先程も見た姿ではあるが、やはり高校の制服に身を包んでいるせいかほんの少しだけ幼い印象を受ける。と言っても色っぽいのだが。


「今日はこのまま高校の同級生って事で過ごそう」

「楽しそうですね」


 ふふっと笑った美園が同意してくれる。どうしますか? 何をしますか? そんな風な期待が込められた瞳がきらきらと輝いて見えた。


「そうだな、お互いの呼び名を変えてみようか」

「呼び名ですか?」


 そう言って考えるそぶりを見せた美園の顔がほんのりと赤くなっていく。色んな呼び名を頭の中で試してくれているのだろう。


「……智貴さんじゃダメなんですか?」

「高校の同級生同士で付き合ってたらさん付けでは呼ばないんじゃない?」

「私の学校ではさん付けが基本でした」

「お嬢様学校だもんね」


 上目遣いで恥ずかしがる美園が可愛くて頭を撫でると、サラサラとした心地良い手触りの向こうに気持ち良さそうな顔が見えた。


「でもせっかくだからさ。普段と違う呼び方してほしいな。みーちゃん」

「みっ……」


 変な鳴き声を出したかのような美園がそのまま固まり、見る見る顔を赤くしていく。


「みーちゃん」


 髪を撫でながらもう一度呼んでみる。実はこちらも少し恥ずかしい。

 ぴくりと震えた美園が僕の手の下から恨めしげな視線を送ってくる。耳まで真っ赤に染めていてとても可愛らしい。


 少し潤んだ瞳の下で、形のいい桜色の唇が少し開き、きゅっと閉じた。そして少し待ってもう一度うっすらと開き、「ともくん」と消えてしまいそうなくらい小さな声が聞こえた。

 呼ばれてみて美園の気持ちがわかった。心拍が一気に上昇した実感がある。


「少し顔が赤いですよ。……ともくん」

「みーちゃんの顔は真っ赤だよ」


 はにかんだ美園がそのまま僕の胸に飛び込んできて、背中に回した腕にぎゅうっと力をこめた。僕の方はそっと彼女の背中に手のひらを置き、優しく抱きとめる。


「いじわるです。……ともくんは」

「みーちゃんが可愛いから、つい」

「つい、じゃありません。もうっ」


 美園はぷりぷりとした様子で僕の背中をぺちぺちと叩く。その反応が可愛くて、もう一度ゆっくりと髪を撫でた。


「大好きだよ。みーちゃん」

「ずるいです。私だって大好きです。……ともくん」


 それを合図にお互いゆっくりと腕の力を抜き、顔を見合わせ合う。そして何も言わずに一秒程唇を重ねた。

 握りこぶし一つ分の距離でお互い気恥ずかしさを感じながら笑い合う。高校時代のファーストキスという偽物の思い出、それがなんともくすぐったかった。

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